No.331 日連アルプス(金剛山から宝山) 平成27年(2015年)2月14日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(金剛山)へ JR中央本線・藤野駅の南東に位置するこの低山群のことについては、意外と展望が良い、ということを人づてに聞いて以前から知っていた。しかし、誰がいつ頃から「日連(ひづれ)アルプス」と名付けたのかは、ガイドブック(このコースを紹介している本はかなり少ない)を読んでもサイト検索をしてもなかなか判然としない。藤野観光協会のブログには2011年2月の月刊誌「新ハイキング」の記事にその由来があるらしいことがほのめかされているが…、なんか曖昧だ。…何れにしても、日連アルプスの名称が誕生したのは割と最近のことであるらしい。とはいえ、沼津アルプスや三浦アルプスや鎌倉アルプスなど、何々アルプスと聞いただけで心がときめいてしまうのは、それはやっぱり不思議なことだ。 さてそこで、私達夫婦はいそいそと出かけることにした。この日は、関東地方などの(東日本での)山岳展望にはもってこいの、典型的な冬型気圧配置の一日だった。
藤野駅構内の跨線橋から南東側を眺めると、街並みの頭上にずらっと低山が並んでいる。(→冒頭の写真) 「あれが日連アルプスだったのね」 と佐知子が意味ありげにつぶやく。何気なくいつも見ていた景色に、ある日突然その意義を悟る…といった心境だったのだろうか…。 トイレだなんだで準備して、藤野駅南口から歩き始めたのは午前8時40分頃だった。相模川に架かるロケーションのいい日連大橋を渡り、相模原市立藤野小学校脇を直進すると間もなく、左手に赤い鳥居が現れて、そこが金剛山の入口(登山口)だった。例によってまず始めはスギ林だが、やがて間もなくコナラ主体の雑木林に変化する。この山域は私有地が多いらしく、神奈川県の案内板によると、この辺りも「水源の森林づくり」契約地になっているようだ。複層林・針広混交林へ導いていると聞き及ぶが、それはとてもよいことだと思う。路傍には丁目石が次から次へ出てきて、この山道が参道であることを実感させる。 傾斜が増してきた。北側斜面なので残雪が多くて、しかもそれが凍結している。とうとう観念して6本爪アイゼンをザックから取り出す。振り返ると秋山川(相模川の支流)や藤野市街の奥に生籐山から陣馬山へ続く山並みがよく見えている。…流石に文明の利器、アイゼンを着けたらあっという間に金剛山の山頂についてしまった。あとから思うと、要アイゼンの箇所はこの上りの数十メートルだけだった。 金剛山の山頂には木祠(古峯神社)があって、周囲はスギ、モミ、コナラ、ヤマザクラ、カシワ、シデ類、ツツジ類、アラカシ、シラカシ、ヒサカキ(祠の両脇)、ヒイラギ、アオキ…などの木々に囲まれている。展望は殆どないがしっとりと落ち着ける空間だ。着けたばかりのアイゼンを外したり、祠に参拝したりして暫くは辺りをウロウロしていたのだが、10名程度の中高年パーティーが登ってきたので、それを合図に私達は金剛山を辞した。 * この日連地区の金剛山420mの近くには、秋山川を隔てて西側に位置するもう二つの金剛山(鶴島金剛山491mと名倉金剛山456m)があります。→「No.344藤野丘陵・金剛山から高倉山」 を参照してみてください。[後日追記] 金剛山の山頂から10分間ほども東進すると峰(日連峰山)の開けた山頂で、丹沢山塊〜道志山塊〜大菩薩連嶺〜笹尾根…などの西面200度の展望を楽しむことができる。ピラミッド型で目立つ大室山の右側に真っ白な頭を(ほんの少し)ぴょこんと出しているのは富士山だが…、う〜ん、まぁ見えないよりはいいかも…。 峰から北へなだらかに数分進むと八坂山の山頂で、こちらからは陣馬山などの北面の展望を楽しむことができる。何れにしても、思った以上の絶景だ。 足取りも軽く杉峠の五差路を右へVターンすると道は広くなる。畑で農作業をしていた男性がいたが、そんな里の風景の新和田(あらわた)峠を経てなだらかに登り、送電線の鉄塔下を通過する。道路脇に転落しかけた(古い)車両が放置されてあったり、柱と屋根だけの建築途中の(建前のような)総2階の建物が矢張り“放置”されてあったり、ちょっと異様な雰囲気の「物語」を感じさせる農道だ。…登り切るとそこが鉢岡山の小広い山頂だった。 「藤野町十五名山・鉢岡山・標高460m」と書かれた山頂標識の隣には、擦れた文字で「鉢岡山烽火台跡」と書かれた標柱も立っている。戦国時代、武田の要害の地として狼煙(=烽火・のろし)や警鐘を設け、 鶴島御前山を経て(大月の)岩殿山へと通報した処であるらしい。近くには電波塔(アンテナ施設)などの人工物があって、それがちょっと煩いけれど、私達はここにどっかと腰をおろして昼食にした。 今回の昼食は自炊なので、コンロで湯を沸かしてインスタントポタージュを飲んだり、チタン製のフライパンで目玉焼き(*)を作って食べたり…、久々の洋食(パン食のこと)をじっくりと味わう。ヒノキやイヌツゲや(最近植えたと思われる)クリの幼木などの林立するこの鉢岡山の山頂部は、西側が開けているものの雑然としていて、未だ植生も乏しく、今回のコース上の6〜7座のピークの中では(ハイカーにとって)最悪の環境だったかもしれない。でも、よく云えば“里山的”ということになるかもしれない。こういう人間臭い山も“変化のある低山アルプス”の中にはあってもいい、と、ほんとうにそう思う。 * ハムエッグの予定だったのですが、何故か肝心なハムをザックに入れるのを忘れてしまい…、つまりハム抜きのハムエッグです。…とにかく、山で食べると何でも美味いです。 ゴルフ場や新和田集落や彼方の大菩薩連嶺などを前方に眺めながら、来た道を杉峠に戻り、主尾根沿いを東へ進む。地形図上の368mのピークは知らずに通り過ぎ、鞍部から少し登り返すと日連山384mの地味な山頂だった。ここで最後の中休止をしたのだが、そのときにメモしたものをそのまま書き写してみる。 * 日連山の山頂でのメモ: コナラ、ヤマザクラ、カラスザンショウ、アブラチャン、カエデ類は少し。手作りの地味な山頂標識が括りつけられている樹木は(多分)アカシデ。緑葉が目立っている常緑の幼木は、密かに森の覇権を狙っているアラカシとシラカシ。山稜にはヤマツツジが多いこともあり、新緑のころはさぞかし美しい処だと思う。樹林越しに見える前方の石老山が近くて大きい。 再び小さくアップダウンすると、三等三角点はあるけれど樹林に囲まれた宝山(宝峰)の山頂で、ここはあっさりと通り過ぎ、ホオノキの大きな落ち葉の目立つ急坂をずんずん下る。前方の樹林の隙間からは青碧の相模湖が見え隠れしている。 日連集落のアスファルトに降りてからも、日連神社に参拝したり入江に架かる風光明媚な日連橋を渡ったりして、飽きない。往路にも通った日連大橋から振り返って、再度、相模川や日連アルプスなどの風景を眺めたりして、山里の風情もたっぷりと味わった。 土曜日のこの日、このコースで出遭ったのは例の10名程の中高年パーティーと3組の中高年カップルと単独行の中年男性が1名で、ほどよい静けさもとてもよかった。 気分よく藤野駅へ戻りついたのはまだ日の高い午後2時半頃。夕方の早い時間には楽々帰宅できそうだ。 佐知子の歌日記より 車窓よりいつも眺めし里山群 日連アルプスを初めて登る 富士山のせめて肩まで見たいわと欲張りオバサン日連に一言
再び 日連アルプスへ 平成28年(2016年)3月12日 朝方は霧雨が降ったりとか、お天気はイマイチでしたが、生籐山〜陣馬山などの近くの山々はよく見えていて、早春の山歩きを満喫できました。 打ち上げは「ふじの温泉・東尾垂(ひがしおたる)の湯」で、例によって甘露甘露の大団円。とても楽しい一日でした。 東尾垂の湯については「御前山から菊花山」の項、または「藤野丘陵・金剛山から高倉山」の項を参照してみてください。 佐知子の歌日記より 朝からの小雨まじりの日連山(ひづれやま) めげずに登る軽き足どり うめ・こぶし・はこべら白くはにかんで 藤野の里をゆるりと歩く 下山後に「うまッ!」と言ってめずらしく缶ビールをのむ 午後の四時半
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