北アルプス No.336 霞沢岳とクラシックルート 平成27年(2015年)6月23日〜25日 |
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思い出に残る素晴らしいアルバイト! → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 上高地の河童橋までのバス路線が開通したのは昭和10年のことであるらしいが、それを本国(イギリス)で知ったウォルター・ウェストンは涙を流して悲しんだという。そんないにしえのエピソードに胸を熱くした若いころからずっと、いつか必ず島々谷をつめて上高地へ至る由緒ある峠道、つまり「徳本(とくごう)峠越え」のクラシックルートを歩いてみたいと思っていた。 今回はかなりの“しがらみ”を断ち切ったおかげで、その日本アルピニズム発祥における歴史的なアプローチ道でもある「徳本峠越え」を歩く機会に恵まれた。考えた挙句に選んだのは、やはり楽な反対コース(上高地→徳本峠→島々)だった。そして、その“副産物”として(もう1日をかけて)、常念山脈の南西端に聳える二百名山・霞沢岳を登山してみようと計画した。…しかし、霞沢岳を“おまけ”で登ろうなんてとんでもない思い上がりだった、と後悔した。霞沢岳は、実際、予想以上にきつい、思い出に残る素晴らしいアルバイトだった。 ●第1日目(6月23日):上高地〜徳本峠小屋 新宿駅西口から午前7時20分発の高速バス「さわやか信州号」に乗る。乗客はパラパラ(10人程度)で、登山姿は私一人だけだった。梅雨時だから、まぁこんなもんかもしれない。バスは順調に走り、上高地のバスターミナルに着いたのは定刻の12時03分で、歩き出すと前方の河童橋の頭上に穂高連峰が絵葉書のように見えている。この時季の上高地でこの絶景は上出来で、まずは快調なスタートだ。 梓川沿いの道(左岸の通称横尾街道)を1時間ほどゆっくりと歩き、明神館の少し先の白沢出合を右折する。と、途端に人影は絶え、コマドリやウグイスなどの小鳥の鳴き声や瀬音が静寂を増幅させる。 暫くはツガの目立つなだらかな林道を進むが、やがて道幅が狭まって傾斜が増し(白沢から左へ分岐する)黒沢沿いを南へ登る。そしていよいよ、ジグザグとした本格的な山道になる。カツラ、サワグルミ、ナナカマド、カジカエデなどの落葉広葉樹からコメツガ、シラビソ、そしてダケカンバ、と徐々に植生は亜高山型に移りゆく。振り返ればそれらの樹間から(穂高岳前衛の)明神岳2931mが雄々しく聳えている。足元にはミヤマカラマツ、オククルマムグラ、マイヅルソウ、オオバミゾホオズキ、イワカガミ、サンカヨウなどが、今を盛りに咲いている。…しかし、辺りが急に暗くなって、カミナリが鳴って雨が降ってきた。 上高地から標高差約630mを登って、標高2134mの小空間に建つ徳本峠小屋に着いたのは午後3時半頃だった。久しぶりの山行ということもあり、自分の身体が重く、異常な疲れを感じた。明日の霞沢岳往復登山に、ふと不安がよぎる。雨は上がって、小屋脇の広場(テント場)からは薄っすらと穂高連峰が見えている。 * 徳本峠小屋: 写真の左側部分の古い建物は、北アルプスに開設された山小屋の初期形態をとどめるとして、2011年(H23年)10月に国指定等文化財(登録有形文化財)に指定されたそうだ。現在は補修工事中で、一人の大工さんが一生懸命に材木を削っていた。 若いご主人と奥さん(?)が、感じの良い受け答えで切り盛りをされている。2連泊したおかげで随分と親しくなって、いろいろと親切にしていただいた。夕食のメインは、1泊目がハンバーグで、2泊目は天ぷらと石狩鍋だった。限られた食材と人材で目いっぱい工夫されている姿勢に好感が持てる。特に、茹でたユキザサの茎(マヨネーズで頂く)は、グリーンアスパラのような食感でとても美味しかった。 同宿したのは、この日が私を含めて4人で、翌日は5人だった。少しシーズンを外したおかげなのか、ここはとても静かな深い山の中だった。 「徳本峠小屋」のHPへ 小屋脇の広場からは穂高連峰がよく見えるが、シラビソの林立する裏の小道をちょっと上って「展望台」へ行くともっとよく見える。夕まぐれのその場所に、セーターを着た私は立ち尽くしていた。…何時しか森と同化したような感覚に襲われて、何故か涙が、私の頬にずっと流れ落ちている…。 ●第2日目(6月24日):徳本峠小屋〜霞沢岳(往復)
小屋から1時間ほどでジャンクションピーク(*)に登りつめたが、ここもまだ林の中だ。驚いたのは木製の山頂標識だ。割れて壊れて樹木の根本に括られているが、ほとんど判読不明だ。じつはこの先でもっとびっくりするのだが、P1とかK2とかの、その地点を示す標識が(P2以外は)心眼の世界で、つまり無いのと同じような状態だったのだ。それはそれで私は一向に構わないし、そのほうが“らしく”ていいかもしれない。 ジャンクションピークをいったん下って登り返す。残雪がどんどん融けていて、そのぬかるみが随所にあり、少し歩きづらい。迷いやすい箇所もあるけれど、赤テープが確実に自分を導いてくれる。道端で小屋の弁当(朝食)を摂ってから、P1→P2→P3→P4〜とアップダウンを繰り返す。 小さな雪渓をいくつか横切るが、これは幸いなことに予想したよりも簡単で、アイゼンは全く必要なかった。 シナノキンバイやキヌガサソウの群生地を通過する。タカネザクラが1輪、下向きに咲き残っている。ミツバオウレンやミヤマキンバイも少しだが咲いている。ハクサンシャクナゲの花芽はまだ硬い。ウラジロナナカマドは白色の複散房花序を直立させ、ミヤマハンノキは房状の雄花序を垂れ下げている。朝霧はとっくに晴れていて、シラビソやダケカンバの樹間からは周囲の山岳風景が見えている。 トラロープなどの助けも借りてK1のピークに立つと1点360度の大展望だ。これから目指すK2や霞沢岳が近くて迫力があるが、その右奥に広がる焼岳〜笠ヶ岳、そして穂高連峰の大パノラマが矢張り素晴らしい。そんな感動中の私の脇を、同宿の女性2人組がもう既に山頂を往復して、二言三言会話してすれ違う。う〜ん、早いなぁ…。というか、もしかして私が遅すぎるのかも、やっぱし…。 北アルプスらしいハイマツと岩の稜線を下って上ってK2に立つ。岩陰にはコケモモやイワヒゲも咲いている。そしてそれからまた下って上って、群生しているハクサンイチゲの花などを愛でながら、しかしゼイゼイ云いながら登り切ると、10時20分、ようやくそこが二等三角点のある霞沢岳の山頂だった。中休止して山岳展望をおさらいする。予想以上にきついコースだ。 踵を返し往路を引き返す。果てしなく続くアップダウンに、超ゆっくりと30分歩いては10分間休憩のバテバテペースで、もうほとんど“気合と根性”だ。要注意箇所では手前で立ち止まって息を整える。立ち止まると羽虫がちょっと煩いが、そんなの気にしない。 ヘロヘロ状態で徳本峠小屋に戻ったのは午後3時40分頃。とにかくホッとした。例の女性2人組はもうとっくに上高地へ下山したようだった。あとから思うと、今回山行の山道で出会った唯一のパーティーだった。 * ジャンクションピークって?: 徳本峠小屋のご主人に「ジャンクションピーク、って、何故ジャンクションなんですか?」とお訊きしたら、奥さんといっしょにニッコリと笑って「さぁ〜、その謂れは不明、なんです。P1とかK1などもじつは不明なんですよ」と云っていた。“尾根の合わさるピーク”という解釈が一般的らしいが、そんな山頂は山ほどあるし、なるほどイマイチ説得力がない。 P1とかP2は(多分ピークのPで)何となく分かる。K1とK2はヒマラヤみたいでかっこいいが、霞沢岳のイニシャル(K)で、その前衛峰の意味じゃないのか、と云っていた同宿の登山者がいたが…。すると霞沢岳本峰はK3ということになる。…まぁ、よく分からなくてはっきりしないことのほうがミステリアスで面白い、と私は思う。 ●第3日目(6月25日):徳本峠小屋〜島々 常日頃の鍛錬不足と…そもそも自身の体力不足を、昨日の霞沢岳登山でいやっというほど思い知らされた私は、この日は夜が明けたばかりの4時半には下山を開始した。長丁場のクラシックルートだ。早目の対応、先手必勝、なのだ。 シラビソ、コメツガ、ダケカンバ、ミネカエデ、オオカメノキ、などの生茂る急斜面をジグザグと下る。林床はここもネマガリダケだ。やがて沢っぽくなってきて、サワグルミやカツラの巨樹が目立ってくる。水場(力水)を過ぎて少し進んだ枝沢に雪渓があり、ここのトラバースルートがかなり分かりずらかった。しかし、小屋で出会ったベテランハイカーから注意を受けていたおかげで、その雪渓を大きく高巻いて事無きを得た。山旅の3日目ということで身体も慣れてきたのか、体調は(昨日よりは)良いようだ。 道がなだらかになってきて、島々谷の南沢に沿って東へ下る。まだ新緑の(カツラ、サワグルミ、トチノキ、フサザクラなどの)渓畔林が素晴らしい。いくつもの枝沢を小橋や渡渉で渡り返す。休業中のうら寂びれた岩魚留小屋を過ぎても、まだまだずっと、この美しい谷間の小道は続く。まるで(大台ケ原の)大杉谷のようなロケーションも随所に出てきたりして、距離は長いが味のある景観に飽きることはない。何といっても、かのW・ウェストンや小島烏水などの大先達も歩いた、ということが最高の調味料になっている。この徳本峠越えのクラシックルートは、かつて上高地が牧場だった頃(1885年〜1934年)までは、牛馬が行き来していたというから驚きだ。よくもこんな険しい道のりを通ったものだと感心させられる。 * 上高地は牧場だった、については「初秋の上高地散策」を参照してみてください。 沢から渓谷へ、徐々に移りゆく。激流を眼下に眺めながら、大きな一枚岩の「離れ岩」の脇を通り過ぎ、崩壊箇所のガレ場も無難に通過する。更に進むと戦後しばらく使われていたという「炭焼きがま」とか戦国時代の悲話「三木秀綱夫人受難の碑」などが道沿いに出てきて、里が近くなってきたことがわかる。しかし、何でもない処で滑って転んだり、やっぱり今日もヘロヘロだ。(エゾ?)ハルゼミの悲しい鳴き声が谷間にこだまする。 東電の取水場や公衆便所がある二俣からは林道歩きになる。車止めのゲートを過ぎて少し進むと、前方10メートルほどの距離で、大きなカモシカがじっと私を見ている。ぼんやり歩いていたせいで、こんなにも至近距離になるまで気がつかなかったのだ。驚いて立ち止まり、にらみ合うこと約3分間。にらめっこに負けた私が少し動いたら、カモシカは「シャーッ」と鼻を鳴らしながらくるっと向きを変えて、谷底へ降りていった。その谷底を覗いてみたが、普通の人間には到底下れないような急峻な岩壁だった。そこを走って降りていったのだから、カモシカはやっぱりカモシカのように凄いと思った。[→コラム欄へ] それからまた少し進むと、今度は腕章をつけた青年が林道上で望遠鏡を覗いている。話を聞いてみると、クマタカ(絶滅危惧種かも)の観察をしている調査員とのことだった。大きなカモシカもクマタカ調査の青年も、何れも、この日私が初めて出会った大型の哺乳類だったので、寂しさも随分と癒されたような気がした。 やがて道はアスファルトになり、シカ避けの厳重な鉄柵をくぐり抜けると間もなく、島々の閑散とした集落だった。国道158号線を横切り、梓川に架かる雑炊橋を渡って対岸へ出る。“クマ出没注意”や“落石の危険による通行止め”の注意書きを無視して、川沿いの小道を左(東)へ進む。するとなんと、数本の倒木が行く手を阻んでいる。地図を確認して自信をもっていた私はその倒木もなんとかくぐり抜け、暫く進んでお目当ての竜島温泉「せせらぎの湯」の裏手へ到着した。時計を見ると12時20分だった。 体力と平衡感覚に自信を失った今回の山旅だったが、同時に「やればできる!」と自信をつけた山旅でもあった。私の心はかように複雑なのです。 竜島温泉「せせらぎの湯」: 山好きの知人から、梓川の対岸(松本市波田)に位置するけれど、島々宿(松本市安曇)の近くにとてもいい日帰り温泉施設があると聞いた。それがこの竜島温泉だった。利用してみて、なるほどと思った。ヌルヌル感のある(殆ど無色透明の)アルカリ性の湯が、入ってきたのと同量が湯船からあふれ出ている。つまり源泉掛け流しなのだ。木枠の外湯も石タイル貼りの内湯も必要かつ十分な広さで、とてもよかった。入浴後に食堂で、とろろ蕎麦をつまみに飲んだ生ビールの味は将来忘れることはない、ほど、美味いのなんのって…。 (*^^)v 入館料(=入浴料)は510円。2005年5月にオープンしたらしい。新島々駅までは歩いても1時間足らずだが、疲れていた私はタクシー(約5分)を利用した。 竜島温泉「せせらぎの湯」のHPへ
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