No.335 真鶴半島の灯明山(魚つき保安林) 平成27年(2015年)5月3日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ GWど真ん中の午前9時35分、真鶴(まなづる)駅前から観光客でほぼ満員の路線バスに乗り込む。無風・快晴の絶好のコンディションで、少し暑いくらいだ。バスが快調に走り出してから約8分、琴ヶ浜を過ぎてから坂を少し上った処が“岬入口”で、ここで降りたのは私達夫婦の二人だけだった。どうやら乗客の殆どはこの先の(終点の)“ケープ真鶴”で降りるらしい。私達が降りた岬入口バス停は魚つき保安林(*)の北側の入口でもある。指導標に従って山道へ入るといきなり深山の様相で、ひんやりとした大気が心と肌に気持ちよい。 * 魚つき林とは: いわゆる「森の恵み」で、昔から森林が魚を寄せるということは経験的にわかっていたようです。近年、山(森)と海との生態系のつながりという観点から、森林の公益的機能(土砂の流出を防止・清澄な淡水を供給・栄養物質や餌料を河川や海洋の生物に供給…水産資源の保全、など)が再認識されています。東北地方では魚つき林を「魚蔭林」とか「魚隠林」などとかつて呼んだことがあるそうですが、生物に悪影響を与える紫外線(太陽光線)の反射を和らげるなどの効能もあるようです。なお、上流部の森林も広い意味で魚つき林と云われます。森は海の恋人、なんですよね。(^_^)/~ 魚つき保安林とは、それらの公共目的を達成するために農林水産大臣または都道府県知事によって指定されている「保安林」の一つで、全国で約60千ha(国有林8千ha+民有林51千ha=凡そ24Km四方)が設定されています。ちなみに、この真鶴半島の魚つき林の面積は約35ha(凡そ590m四方)とのことで、1937年に「魚つき保安林」に制定されました。 徳川時代に小田原藩が15万本の松苗の植林をしたというこの森を、真鶴町の人々は親しみをもって「お林」と呼んで大切にしているとのことです。明治維新後は皇室御料林となり、戦後になってから真鶴町に払い下げられたそうです。 半島全体は神奈川県立真鶴半島自然公園に指定されています。 [以上は林野庁のサイトや現地(真鶴町)の解説板などを参考にして記述しました。] まず森林浴遊歩道をなだらかに登って、灯明山(*)の山頂部を確認する。平坦で樹林に囲まれているので、標識を見逃すと通り過ぎてしまいそうな地味な山頂だ。それから少し逸れて御林遊歩道も歩いてみたり、静かな森をゆっくりと縦横に歩き廻る。 クスノキの巨樹があちこちに目立っているけれど、これらは矢張り昔に植えられたもので、人に保護されて大切に育てられてきたものだと思う。優先種ではない(つまり競争に弱い)クスノキの自生はごく少ないはずなのだ。…大昔から、クスノキは腐りにくくて防虫効果もある有益な材であることが知られていた。戦後しばらくの間までは、枝や葉は樟脳の材料となり、その樟脳はセルロイドや無煙火薬の原料、そしてなんと医薬品(クスノキの学名に由来するカンフルなど)としても使われた、というのだから驚きだ。そういえば私が子供のころ、箪笥の抽斗を開けるとぷ〜んと樟脳の匂いがしたものだ。そして確か、縁日で親から買ってもらった“樟脳船”も同じような匂いがした。クスノキの葉をちぎって嗅いでみると、その懐かしい匂いがする。 森の高木では(クスノキの他には)すっくと立つクロマツが多く、スダジイも交ざっているようだ。中層部にはシロダモ、ヤブニッケイ、ツバキ、ヒサカキ、トベラ、イヌビワ、…などの照葉樹林でおなじみの名脇役たちが繁茂している。下層(林床)ではアオキ、オオアリドオシ、マンリョウ、ヤブコウジ、そしてリョウメンシダなどのシダ類が、木漏れ日を浴びて緑色に美しく輝いている。クスノキの幼木は(もちろん)育っておらず、数百年後のこの森の覇権を狙って、まだ若木のタブノキやスダジイが息をひそめている。手をあまり入れていないおかげで、自然の遷移が進行しているようだ。そう…、この森の始まりは人工林、だったのだ…。 番場浦遊歩道から潮騒遊歩道へと進み、半島先端の南側の磯・番場浦海岸に出る。とたんに賑やかになって、家族連れなどの観光客が磯遊びに興じている。とてものどかな情景で、海もたまにはいいものだと思う。浜辺に咲くハマダイコン、ハマエンドウ、コマツヨイグサなどの花を愛でたり、荒磯(三ツ石)の風景を眺めたりしながら岬を廻り、再び“山”へ入る。 磯側に繁茂する(林縁の)トベラの葉が白く粉をふいたようになっていたので、もしやと思って舐めてみたら(やっぱり)すごくしょっぱい。波しぶきがかかってそれが乾燥して塩が噴き出たのだ。普通の植物ならとっくにお陀仏だ。トベラはやっぱり“塩分に強い=浜辺で海を見ながら育つ植物”なんだな。 真鶴町営の休憩施設・ケープ真鶴の喫茶室で、私は生ビール、佐知子はソフトクリームを食して、それから与謝野晶子の歌碑(*)を見物したり、再び森の中を歩いたりした。ぐるっと周遊して、岬入口バス停を通過して、佐々木信綱の歌碑(*)なども見物する。 琴ヶ浜海岸に下ったのがお昼の12時少し前で、海を眺めながら、「うに清」で新鮮な食材の磯料理を堪能する。北面には相模湾を隔てて表丹沢の山々がよく見えている。その右端の金字塔・大山の右裾が長く尾を引いて、三浦半島の低山群をシルエットさせてから無限の太平洋に沈み込んでいる。 情緒のある森や波騒ぐ荒磯の景色を楽しむことができて大満足だ。しかし矢張り、真鶴半島は小さな半島だった。そのこじんまりとした“安心感”がとてもよかった、と云うべきかもしれないが、如何せん小さすぎる。あっという間のアプローチとあっという間の下山…、そんな感じだったのだ。 しかしさて、東京(及びその近辺)の住人が気軽な半日のアウトドアを思い立ったとき、まず候補に挙げるべきなのがこの真鶴半島だ、と、ほんとうにそう思う。 * 灯明山96m: 真鶴半島の最高峰で、半島の先端部中央に位置しています。つまりこの一帯が「魚つき保安林」になっています。およそ350年前ごろ、この山頂部に三間四方の家を建て、灯明をともして岬を通る船の案内をしたそうです。 * 与謝野晶子の歌碑:「わが立てる真鶴岬が二つにす 相模の海と伊豆の白波」 * 佐々木信綱の歌碑:「真鶴の林しづかに海の色 さやけき見つつわが心清し」 佐知子の歌日記より 真鶴のお林という森のなか 潮風あびて岬をめぐる 相模湾へすべり込むよな角度もつ丹沢山塊を真北に眺む 蓋はずし楊枝をくるりと回し食う さざえのつぼ焼き苦味がいいね 帰宅する時間がせまり自由席の特急「踊り子」に飛び乗るわれら
再び 真鶴半島の魚つき林へ
打ち上げは下山地の「うに清」で、タイやヒラメの舟盛やサザエやアワビやウニやイセエビやエボダイなどの…をたらふく食べて、悦に入りました。甘露甘露です。 佐知子の歌日記より 岩につく海苔や貝殻むしり取り童女に帰る真鶴の磯 舟盛りの鯛や平目がピクピクとこちらを見てるが我らは食べる |