No.393 雨巻山(あままきさん・533m) 令和2年(2020年)3月5日(木) |
|||||||
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(雨巻山)へ 新型コロナウイルスの災厄でこの世は騒然としている。部屋に閉じこもる日々が長く続くと死ぬほど辛くなる(前期高齢者の)私達夫婦は、こんなときどうすればいいのだろうか、と考えた。そしてはたと気が付いて内心ニヤッとした。…マイカー登山ならば(人ごみの駅構内などは通らずに)自宅からずっと安全に閉ざされた空間(つまり車内)に居たまま目的の登山口へ行けるはず…。そうだ! 静かな山へ行って森の気(フィトンチッド)をたっぷりと吸って、NK(ナチュラルキラー)細胞を活性化させて、私達はウイルスと戦おう! という訳で、私達がマイカーで向かったのは、昨年(2019年)の4月に旧版を作り直して出版された山渓の「関東百名山」に新たに加わった雨巻山(あままきさん・533m)だった。雨巻山は栃木県の南東端(益子町と茂木町の境)に位置しており、茨城県にも跨る鶏足山塊(*)の最高峰でもある。 * 鶏足(けいそく)山塊とは、八溝山地の中央部を西から東に横断する那珂川をほぼ北限に、花崗岩類の分布する笠間〜岩瀬間の横谷を南限とする東西約30Km、南北約20Kmの山塊である。(茨城県自然博物館の総合調査報告書から抜粋) つまり、八溝山塊〜鷲子(とりのこ)山塊の南、筑波山塊の北に位置する。 東京都大田区の自宅を6時20分頃に出て、首都高速から常磐自動車道を北へ走り、それほど混んではいない途中のSAで朝食を摂る。マスクをしている人が多く、夫々が目を合わせないように申し訳なさそうに下を向いているのが印象的だった。茨城県内では(この時点では)新型コロナウイルスの感染者は(未だ?)出ていないのだが、良きにつけ悪きにつけ、現代の情報伝達の力には凄まじいものがあると実感する。 友部JCを左折して北関東自動車道を西へ進み、桜川筑西ICからカーナビに従って一般道を北進して、雨巻山の大きな(40台くらいは停められそうな)大戸川登山者専用駐車場に着いたのは9時少し前だった。既に数台の車が止まっていて、トイレへ行ったり登山準備をしているうちにさらに数台が入ってきて、う〜ん、このご時世の平日なのに、評判通りに雨巻山は人気があるようだ。近くに流しそうめんの店とマス釣り場とこじゃれたコーヒー&ピザの店(茶屋雨巻)があるけれど…、薄いモヤ(春霞かな)のせいもあるのか、思ったよりずっと閑散とした感じだ。 林道を約5分南へ進み、指導標に従って右折してよく整備された登山道へ入る。まずはスギ・ヒノキの人工林で、間もなくコナラ主体の明るい二次林(雑木林)になってきて、気分のよい尾根歩きが続く。落葉樹ではコナラの他にはシデ類、ヤマザクラ、ナツツバキ、カエデ類(ウリハダカエデなどが少し)、リョウブ、イヌブナ、アオハダ、ネジキ、マンサク、ツツジ類など、未だ微妙に芽吹き前だ。常緑樹ではカシ類(シラカシなど)、ヒサカキ(多い)、ヤブツバキ、シロダモ、樹勢の弱ったアカマツ、カヤ(幼木)、背の高いアオキなど。林床の主は背の低いミヤコザサで、所々に蕾を付けたミヤマシキミが群生している。高度経済成長期頃に皆伐されたと思しき若い自然林とはいえ、けっこうイイ感じだ。 三登谷山(みつとやさん・433m)のこじんまりとした山頂は北西面が開けていたけれど、この日は日光連山や高原山方面に(大雪注意報が出ていたほど)厚い雲がかかっていて、山岳展望に関しては残念だった。しかし近くの低い山並みと静かな里の風景が、私達の眼と心を充分に癒してくれた。 小さなコブをいくつかアップダウンして歩みは快調だ。里へ下る分岐がいくつか出てくるけれど、道標がしっかりしているので安心だ。やがて「階段の道」と「岩の道」の二股に分かれるが、ごく短い区間でどちらを選んでも大差はないらしく、私達はかっこをつけて「岩の道」を登った。この山域は砂岩、頁岩、チャート、石灰岩などの堆積岩から成っているとのことで、それらを観察するのも面白い。…間もなく両道は合流して、皆伐から逃れたブナが(少し)残る森を抜けると、三等三角点やベンチやテーブルなどのある雨巻山533mの小広い山頂だった。風が強くて少し寒い。慌ててセーターを着てその上にウィンドブレーカー代わりのカッパを身に着ける。するともうホカホカだ。 南東方面の景色(近くの高峯520mや仏頂山431mの左奥に水戸市や東海村方面)を眺めながら早めの昼食(手作りの梅干し入りのおにぎり)を摂っていると、地元の中高年パーティーや家族連れ(学校は休校中だ)などが次々と到着して、雨巻山の山頂はけっこうな賑わいだ。私達はガイドブック(山渓の「関東百名山」)に従って反時計回りで縦走しているのだが、どうやら時計回りがこの山の主流らしい。その理由についてはこの後に(下山路で)思い知らされることになる…。 雨巻山の山頂から南へ少し進むと加波山や筑波山などの眺めが良いとされる展望塔があるのだが、靄が濃くて大した展望は望めそうもないので割愛して、踵を北東に返して縦走を続ける。相変わらずの(若いけれど)気分のいい冬枯れの自然林だ。「猪(しし)ころげ坂」と呼ばれる急坂をジグザグと下り、名も無い453m峰の小さなコブを越えて少し下り、「峠」の分岐を直進する。この辺りにもミヤマシキミの群生があちこちに見られたが、よく見てみるとこちらのは葉脈がくっきりとへこんで見える(基本種の品種とされる)ウチダシミヤマシキミであるらしい。その違いをはっきりと観察できたのが嬉しい。…それにしても、「峠」とは何とイージーなネーミングだろうか。 → コラム欄「ミヤマシキミとウチダシミヤマシキミの違い」 国土地理院の地形図には山名注記のないピーク(ちょっとしたコブ)をこの後もいくつか超える。ベンチがあって北側の展望が開けている御嶽山(おんたけさん・433m)の山頂でも一休み。靄が晴れてきたこともあって、このピークからの広大な眺めが秀逸だった。手前の当山域(鶏足山塊)を含めた低い山並み(茂木周辺の丘陵地)が大海原のように広がっていて、長く連なる送電線のその先には八溝山系のなだらかな山容がぼんやりと横たわっている。 御嶽山から(それほど怖くない)クサリ場を下って、そして登り返すと最後のピークの足尾山413mの山頂だが、ここは樹林に囲まれていて殆ど展望はないので早々に立ち去る。…この足尾山から西へ向かう沢筋の下山路もいい感じだったのだが、岩盤の沢床(ナメ)を歩く箇所で滑って転んで濡れて、ちょっと痛い思いをした。ロープもあるし、慎重に歩けばなんてことのない短い区間のナメだったのだが、トシと油断が原因だ。倒れたまましばらくは動けず声も出せなかったので、後方の佐知子が心配そうに声をかけてくる。ようやく 「大丈夫!…だと思う」 と返事ができて立ち上がって振り返ると、彼女もほっとした様子だった。実際、不思議なほどどこも怪我はなかった。…で、時計回りの周回コースがこの山の主流だったのは、そう、このナメや御嶽山の北側のクサリ場が「上り」になるからだと悟った次第だ。 タゴガエル(ニホンアカガエルだったかも)の鳴く沢筋を下り、大川戸の登山者専用駐車場に戻ったのは14時30分。里にはロウバイやオオイヌノフグリやヒメオドリコソウやホトケノザなどが明るく咲いていて、ここはもう春だった。…新型コロナウイルスが世界にはびこるこんな時節だから、下山後の温泉立ち寄り(当初は真岡市の「真岡井頭温泉」を予定していたが…)は遠慮して、真っ直ぐに帰宅することにしよう。 * 今回の新型コロナウイルスの特徴の一つに、子供や若者たちには感染しにくい(症状が出にくい)ということがありますが、これは微かな光明ですね。もしかして神様は、老人が多くなり過ぎたこの地球に“必殺仕掛人”を遣わしたのかもしれません。(^^;) 何れにしても、当分の間は「トンネルは必ず抜けるものだ」を信じて、災厄に耐えるしかなさそうです。 佐知子の歌日記より 薄曇りの雨巻山(あままきさん)に風強し声あげたわむ小楢の冬木 グエッグエッと鳴き声ひびく田子蛙(タゴガエル) 沢の清水に五匹が泳ぐ 山里の大犬の陰嚢(オオイヌノフグリ)輝いて小さき青色お空を見上ぐ
このページのトップへ↑ ホームへ |