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No.392 石垣島の山旅 (於茂登岳、他)
令和2年(2020年)2月6日〜8日 曇り一時雨少し晴れ レンタカー利用

麓から於茂登岳を望む
麓から於茂登岳を望む

石垣島の略図
第3日目に撮影
テリハボクの街路樹

第2日目
於茂登岳登山

石碑「大御岳(うふうたき)ぬ清水」
「大御岳ぬ清水」を通過して…

ちょっと滑る・・・
丸木橋を渡る

たくさん落ちていました
エゴノキの落花

無名の滝だそうです
(無名の)滝を見物

じつに多様な植生だ!
本降りの雨が降ってきた

電波塔や気象台施設などがある
於茂登岳の山頂部にて

展望はイマイチ
於茂登岳の三角点

野底岳登山
麓から野底岳を望む
野底岳(野底マーペー)

けっこうなスリルです
野底岳の山頂にて

第3日目
屋良部岳&島内一周

ビビってしまい、この先へ進めません・・・
屋良部岳の山頂にて
↑この5歩先がスポットですが…

石垣島の最北端です
平久保崎を見物

私達もマリオだ!
マリンスポーツの島で山登り

第1日目=成田空港14:40…18:40新石垣空港…石垣市大浜
第2日目=大浜…於茂登岳526m…野底岳284m…石垣市新川 【歩行時間: 於茂登岳登山=3時間20分 野底岳登山=30分】
第3日目=新川…屋良部岳217m・島内一周観光…新石垣空港19:20…22:10成田空港 【歩行時間: 屋良部岳登山=20分】
 ※ 島内の移動はレンタカーにて
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(於茂登岳)へ


●第1日目(2月6日 曇) 成田空港→石垣島
 Wikipediaによると…若干の異同はあるようだが…八重山諸島では東をアール、西をイール、南をハイ(パイ)、北をニシと呼ぶらしい。そして面白いのは沖縄・八重山地方の方言(発音)で、ざっくり云うと、基本的な短母音は“a i u”の3音のみで、e と o は i と u に吸収された形になるという。だからだと思うが、2013年3月に開港した新石垣空港の愛称「南ぬ島・石垣空港」の“南ぬ島”は「ぱいぬしま」と読むそうで、その意味は“南の島”ということらしい。…と、のっけからややこしい話で恐縮です。

 その「南ぬ島・石垣空港」に、私達夫婦を乗せたLCC(Peach・533便)が着陸したのは定刻を30分ほど過ぎた19時10分頃だった。予約のレンタカーの担当者が空港の出口で待っていてくれて、借りる手続きはスムーズに進んだ。そのレンタカーの案内人から聞いた話によると、この石垣島の航空便は何時も20分〜30分は遅れるという。たまに定時に到着することもあるらしいが…。何れにしても、ホテルのチェックインの時限などはそれほど気にすることはないようだ。…この島の時間はゆっくりと流れている。
 レンタカーの日産ノートを南へ走らせる。ヘッドライトに映し出された街路樹(常緑高木のテリハボク・当地ではヤラブノキと呼んでいるようだ)が美しくも異様で、それが延々と続く様は異国情緒たっぷりだ。なんといっても…、西に台湾もすぐ近くというこの八重山群島の石垣島だ。一年で最も寒い筈のこの季節でさえ平均気温が最低約17℃〜最高約22℃というのはミラクルで、寒がりの私にはパラダイスだ。
 ネット予約したこの日の宿は石垣港のある市街地の東外れに位置するホテル「花と緑のみずほ石垣島」。ゲストハウス的なホテルで、1泊朝食付き一人2,800円(税込み)は超安い。近所のコンビニで食料(ヤキトリだ!)や缶ビール(オリオンビールだ!)などを調達して、遅めの夕飯とする。…真冬の暖かくて遅い夜が静かに更けていく。

 佐知子の歌日記より
ピーチとう艶めかしき名の飛行機にスイカの産地成田より乗る
二月の夜上着二枚を脱ぎ捨てて石垣島のコンビニへ行く

●第2日目(2月7日 曇・雨) 於茂登岳・野底岳
 於茂登岳登山: セルフサービスのホテルの朝食後、車を20分ほど走らせて於茂登岳の登山口に着いたのは8時30分頃だった。於茂登岳(おもとだけ・宇本嶽、宇茂登嶽、大本岳)526mは沖縄県の最高峰で、日本の以西最高峰(これより西にその山より高い山はない)の一座でもある。岩崎元郎さんの新日本百名山に選定されたのは周知のとおりだ。地元ではウムトゥダギと呼ばれているそうだが、これも当地の方言の短母音の関係かもしれない。ウムトゥダギは「石垣島のおおもとをなす山」を意味しているという。
 登山口を少し入ると、サキシマスオウノキほどではないけれど、板根の発達した常緑高木(ギランイヌビワ)が目につく。周囲は南国ムードたっぷりの(亜熱帯性の)原生林で、殆ど知らない植物ばっかりだ。帰宅してから調べて分かったのだが、上空を覆っていたヤシみたいな木はヒカゲヘゴで、日本では最大のシダ植物であるらしい。北麓の米原には大型のヤシ(ヤエヤマヤシ)の群落もあると聞くが…。オニへゴ(クロヘゴ)やヤブレガサウラボシなどの大きなシダ類も南国っぽい。他の木に張り付いてよじ登っているのはランの仲間だと思ったが、タコノキ科のツルアダンであるらしい。都会のビルのロビーなどでも見たことのあるような、大きな観葉植物も生き生きと風に揺れている。
 所々に4〜7弁の白い花が落ちているけれど、これってもしかして(ここでは少数派の落葉高木の)エゴノキの花かもしれない。本州のよりも一回り大きいけれど、う〜ん確かにエゴノキだ。この地のものはオオバエゴノキとかリュウキュウエゴノキと呼ぶこともあるらしいが…。しかし待てよ。今は2月上旬の真冬だよね。なんで初夏に咲くエゴノキが今頃咲いているんだよ。…と、私の頭はず〜っと錯乱状態になっている。その私の過熱した頭を冷やすように、やがて本降りの雨が降ってきて、山道が水浸しになってきた。
 粘土状の滑りやすい赤土や、コンクリートの小道や、丸木橋で渡るちょっと恐怖の小沢や、落差5mほどの滝見物や、シノダケ(リュウキュウチク)の藪漕ぎなど、標高差約400mの往復登山は案外と変化があって面白い。これでリュウキュウキンバトやカンムリワシといった国の天然記念物に出逢えることができたなら、もう最高なんだけれど…なかなか思い通りにはいかないものだ。とはいえ、なにもかにもが新鮮で興味津々だ。
 イタジイ(スダジイ)やオキナワウラジロガシの老木たちも雨に濡れて生き生きとしている。イスノキやカクレミノやホソバタブなども多そうだ。似ているけれどタブでもないしシイやカシやツバキでもないし…、これも帰宅してから分かったのだがモッコク科のケナガエサカキという常緑小高木で、この地(石垣、西表)の特産種であるらしい。ヤブツバキのような(サキシマツツジの)落花が美しい。ツワブキのような花(リュウキュウツワブキ)も咲き残っている。クサイチゴのような花(リュウキュウバライチゴ)も少し咲いている。シロダモのビロード状の白い幼葉もしっとりと濡れている。…じつに多様だ。
 幸いにも雨は1時間ほどで止んで、三等三角点の標石や電波塔や気象台施設などのある…そしてリュウキュウチクの生い茂る…山頂部をあっちへ行ったりこっちに来たり…サーモスの熱いコーヒーを飲んだりしながら…小1時間ほど散策する。このときは生憎と靄っていて、ピークからの展望はイマイチだった。東シナ海…川平湾の辺りだろうか…その一角だけが…例のターコイズブルーの海の色を浮かべて芸術的に見えている。
 駐車スペース(於茂登岳登山口)に戻ったのは13時頃だった。

 野底岳登山: 於茂登岳登山口から北北東の方向へ日産ノートで約30分、野底岳(のそこだけ・ヌスクダキ)284mの登山口を示す案内板を見つけ、林道の駐車スペースに車を停める。麓のサトウキビ畑越しによく目立っていた(とんがり頭の)野底岳のピークを、予定通り、ここから往復することにする。
 とはいっても標高差にして90m足らずの観光登山だ。20分ほどの急登(ロープあり)で原生林を抜けると、大きな岩が重なる山頂部に着いた。この山頂部にも三等三角点があり、岩上から眺めた山並みやサンゴ礁の海辺の景色は、もちろん、絶品だった。
  野底岳山頂からの展望(YouTube)
 この野底岳は地元では「野底マーペー」の愛称で呼ばれているらしく、山頂直下の小広場にその謂れを書いた説明板が立っている。それをそのまま書き写してみた。↓

 伝説ヌスクマーペー: 昔、琉球王国時代、役人が国王の命として人々を一人残さず強制移住させる「道切りの法」という制度があった。 当時、黒島の宮里村のカニムイとマーペーは恋仲であったが、道切り法により享保七年(1732)に建立された新村の野底村へマーペーは強制移住させられた。 毎日カニムイの事を思い泣きもだえていたマーペーは近くの高い山に登ってふる里を見ようとしていたがオモト山が立ちはだかり何も見えなかった。 幾日もなげき悲しんだマーペーは頂上で祈る姿で石となった。 その後、人々はマーペーをあわれみ、この山を野底マーペーと呼ぶようになった。 [八重山歴史家 牧野清 山水会]

 読んでみると、この野底マーペーが恋愛のパワースポットになっている、というのもガッテンだ。 なお、1977年4月に発売されてヒットした小柳ルミ子の「星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英)はこの野底マーペーの伝説をモチーフにしたものであるらしい。…だから何なの、と云われれば返す言葉はないけれど…。

 野底岳登山の後は、ドライブを楽しみながら島の南西に位置する今日の宿「石垣島ビーチホテルサンシャイン」へ向かう。

* 石垣島ビーチホテルサンシャイン: この時季の石垣島からは未明に南十字星を見られるかもしれない、ということで翌朝の4時前からまんじりともせずに部屋の窓から南側の暗い海上を眺めていた。しかし残念なことに薄雲が出ていて星を見ることはできなかった。その代わり、水平線に張り付いているような平べったい竹富島の、所々の明かりが漁火のように見えていた。…と、なにやかやでまったりと一夜を過ごした海辺のリゾートホテルだった。1泊2食付きで一人18,300円。そのチェックアウトのとき、星の砂のキーホルダーをプレゼントされた。

 佐知子の歌日記より
ぬれている岩につまづき転ぶ吾の額と手首がだんだん腫れる
海ぶどう・紅芋・もずく・みな美味い されど恋しい北国の米
末永くいつの世までもと願われた みんさー織のバッグをねだる


●第3日目(2月8日 曇・晴) 屋良部岳・島内一周
 屋良部岳登山: 最終日のこの日は、まず島の西端に聳える屋良部岳(やらぶだけ・217m)を目指すことにした。案内板的なものが殆ど無いので分かりにくかったけれど、峠部を行ったり来たりしているうちに屋良部岳の登山口を示す地味な指導標をやっと見つけ、路肩に車を停める。そして手ぶらで標高差約55m(往復約20分)の急勾配を登る。あっという間のピークの岩上は風が強くて、360度展望のスリル満点だ。“インスタ映え”のするスポットでもあるらしいが、妻の佐知子はビビりっぱなしだった…。

 屋良部岳からの下山後は、じっくりと島内一周の観光ドライブを楽しんだ。予約の(復路の)航空便が19時20分発なので、丸一日を使うことができたのだ。この日のお天気がマァマァだったこともあり、各所の展望所やいろいろなビーチやヒルギ群生地(マングローブ探検)などの観光はトロピカルで爽快だった。午後の大半を過ごしたバンナ公園(バンナ岳を中心とした県立の森林公園)の散策も…人工的すぎるきらいはあったけれど…快適だった。
 この石垣島の滞在中に、カラスより一回り小さくてスマートでおなかの白いけっこうきれいな鳥・シロハラクイナに、いたる所で遭遇した。飛ぶのが苦手らしく地上をうろうろと歩き回っている。その度にデジカメを取り出すのだが、すぐに動いてしまってなかなか写真を撮らせてくれない。ヤンバルクイナなどの仲間(クイナ科)であるらしいが、珍しいものを見てトクした気持ちがした。

 サンゴ礁と亜熱帯ジャングルの石垣島は、実際のところは(いろいろな意味で)かなり管理されたレジャーランドだった。ある意味、関東山地の山奥などよりもよっぽども都会的で安全で人間臭い、と云えるかもしれない。中高年のアウトドア派にもお勧めの島だと思う。
 ともあれ、石垣島の代表的な3つのピーク(於茂登岳・野底岳・屋良部岳)を踏破できて、それだけでも大満足の石垣島の山旅だった。季節的なこともあるのか、ハブにもヤマビルにも出会うことがなかったのが何よりだ。…幸か不幸か、ヒトにも殆ど出会わなかったけれど…。
 この島に温泉がないのが返す返すも残念だ…。

 佐知子の歌日記より
 青く澄む珊瑚の海は島守りか 東シナ海の大波を避く
 杖ほどの太く長い根が絡みあうヒルギ群落の汽水に立てり
 寒いねと満月見つつ足早に帰る七十歳
(ななじゅう)もう25時

*** コラム ***
俵万智さんの「オレがマリオ」から

 あの東日本大震災の後、宮城県仙台市に住んでいた歌人の俵万智さんは、子供を連れて“西へ西へと逃げて”この石垣島に移り住みました。その前後に詠んだ歌を集めたのが彼女の第5歌集「オレがマリオ」です。

 「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

 この歌集を象徴するこの歌について、万智さんの「あとがき」には“冒険に満ちた日々を楽しむ息子の言葉が島の暮らしを象徴しているように思われて…”と書いてあります。
 今回、短い期間の滞在でしたが、小学生だった息子さんの「オレがマリオ」の気持ちがよく分かったように感じました。私達夫婦の2泊3日の石垣島の山旅では、そう、「私達もマリオだ!」と思ったのです。

 おまけに、俵万智さんの「オレがマリオ」からもう2首。

 冷蔵庫にオリオンビールある日々を悪くないさと過ぎる四十代
 お土産にされて売られて本当は誰のものでもない星の砂

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石垣島は南国ムードたっぷり!

登山口近くの林道にて
於茂登岳の原生林
ヒカゲヘゴ: 日本では最大のシダ植物↑
シダ類が生い茂っています
野底岳の原生林を下る

島内一周観光の際に立ち寄りました
吹通川のヒルギ群落(マングローブ)

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