No.411 高鈴山と神峰山 令和3年(2021年)1月30日(土) |
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日本の近代産業史を垣間見る → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(神峰山)へ マイカーを利用して、何時ものメンバー(夫婦)で、多賀山地(阿武隈山地の南縁)の人気の山、高鈴山(たかすずやま・623m)と神峰山(かみねさん・590m)を、御岩(おいわ)神社を起点として歩いてきました。高鈴山は茨城県日立市と常陸太田市の境、神峰山はすっぽりと日立市に属しています。 コロナ禍中のこととて、(日帰り入浴など)何処にも立ち寄らず、なるべくヒトと会わないように気を遣った、東京からの日帰りハイキングです。 常磐自動車道の日立中央ICから県道36号線を西へ進んで約10分、御岩神社の駐車場P2に車を停めたのは午前9時頃。人の気配は無い。準備して歩き出そうとしたら、看板の注意書きが目に入った。『高鈴山、神峰山への登山は本山駐車場をご利用願います』と書いてある。 「向かいにもう一つの駐車場P3が見えているけれど、本山駐車場って何処かしら?」 と佐知子が云う。 「本山っていうくらいだからこのもっと先、神社に近いほうかなぁ?」 と私が答える。 とりあえず少し歩いてみると参道とぶつかって、その近くには駐車場P1があった。訳が分からないまま御岩神社の鳥居を潜って、林野庁の「森の巨人たち百選」に選定されているという三本杉を見物したり、トイレへ行ったり、拝殿に参拝したりしているうちに、本山駐車場の件はもうすっかり忘れてしまっていた。そして、うきうきと神社の裏手からそのご神体でもある御岩山(賀毗礼の峰・賀毘禮之高峯)を目指す私達だった。 * 帰宅してからネット検索などで分かったのですが、本山駐車場というのは(多分)本山トンネル駐車場のことで、私達が駐車した御岩神社の無料駐車場からは県道36号線を1.5kmほど引き返さなければならなかったようです。その場合、高鈴山・神峰山への登山は向陽台登山口からのコース選択、ということになり、御岩神社参拝はスポイルされてしまいそうです。なんか、ちょっと理不尽な感じもしますが、そのときの私達は(まず)御岩山へ詣でたのですから…、神様は許してくださると思います。 なお、この「本山」のルビは「ほんざん」ではなくて「もとやま」、とのことでした。 すっくと伸びるスギたちが印象的な、御岩神社境内の裏手には小さな祠の薩都神社があって、なお暫く登ると左手にこじんまりとした賀毗禮(かびれ)神社がある。これも御岩神社の奥宮であるらしい。鳥居を潜ってみると、社の手前に注連縄を張った大岩がドカッと置いてあり、その上部にはびっしりとイワウチワが群生している。春のその花の時季はさぞかし素敵だろう、と思う。 賀毗禮神社から少し進むと表参道と裏参道との大きな分岐があって、私達は左手の表参道へ進む。スギ林からコナラ、ヤマザクラ、クリ、リョウブ、ヒサカキ、アセビ、アオキ…などの天然林へ徐々に移り変わる。参道といっても山道で、広くてよく整備されている登山道、といったところだ。道端の所々にはクマザサが茂っている。 稜線が近くなると、右手の木々の隙間からチラッと尖がった小岩峰が見え隠れする。これがもしかして御岩神社のご神体の一部かもしれない、と思うと、自然と厳粛になる私達だった。現在はロープが張ってあり、岩場は立ち入り禁止になっている。数日前に積もったと思われる残雪が出てきて、アイゼンは必要ない程度だが、注意が肝心だ。 突き当たったT字分岐に立派な指導標があって、左が向陽台(神峰山方面)で右が高鈴山方面だ。ここを右へ進んで岩っぽい急斜面を登ると、そこが御岩山の山頂だった。北面の八溝山方面が大きく開けていて、素晴らしい眺めだ。この小広い山頂部が先ほど見えていた小岩峰の辺りで…、もしかしてここが御岩山の磐座(いわくら)とも云える、超神聖な場所なのかもしれない。そう…、じつは、この御岩山そのものが御岩神社のご神体なのだ。 御岩山からは更に南へ向かって、ゆるい起伏の続く尾根道を進む。周囲にはヒサカキやアカマツが目立ち始め、道端のササが何時の間にかクマザサからミヤコザサへ移り変わっている。ヤシャブシやオオシマザクラは、大正から昭和初期にかけて、煙害で山々の緑が失われたときに、煙に強い木として植えられたものであるという。 東屋を過ぎると舗装された林道と合流して、レーダー雨量観測塔や電波中継塔や一等三角点のある高鈴山の広い山頂部に着いた。御岩山の山頂よりも一段と北~西面が開けていて、展望台からは奥久慈の山々などが一望できる。左手の遠くには那須連山だろうか、の山影も見えている。この眺めについて、「花の百名山」の該当項(高鈴山=センブリ)のなかで、田中澄江さんは 『・・・海に波のうねりがあるように、大地にも大きな波状のうねりがあることを知った』 と形容されている。僭越ながら、まさに言い得て妙、だと感心する。この(平らに波打つ)ただっ広い山岳風景は、やっぱり茨城県特有のものだと思う。 高鈴山から踵を返して、広い山道をアップダウンして、御岩山を通過して神峰山へ向かう。こちらの山道もよく整備されていて、コナラ、リョウブ、ミズキ、アカマツ、ヒサカキ、シロダモ、アセビなどに交じって矢張りヤシャブシとオオシマザクラも目立っている。何気に、登山道脇の草むらのあちこちにある…日本の近代産業史に大きな足跡を残した日立鉱山(1981年に閉山)関係の残骸だろうか…人工物(建造物の土台?)がちょっと気になる。 神峰神社奥宮に参拝してから少し進むと、南東面が大きく開けた神峰山の山頂だった。ベンチに座って、日立市街やその奥の広大な太平洋を眺めて、「地球ってやっぱり丸いのね」などと会話しながら、菓子パンとサーモスの熱いコーヒーの、昼食を摂る。市街や海が良く見えるということは、そちらからもこの山が良く見える、ということだ。この神峰山が沿岸漁民の、いわゆる「山立て」としても大切にされていた、ということが実感できる。 この神峰山山頂からはあの日立大煙突が黒々と見えている。日立大煙突記念碑(銅板)の銘文によると、(煙害回避のために)大正4年3月に稼働を開始したという。当時は世界一の大煙突(155.7m)だったというが、平成5年2月に突然、凡そ3分の1を残して倒壊したらしい。それでもこの大きさと迫力なのだから、「日立のシンボル」としての地位は不動のものなんだろうと推察する。山頂に残る(煙害を観測したという)神峰山観測所関係の建物といい、オオシマザクラなどの植樹といい、煙害から町を守ろうとしたこの地の熱気に敬意を表したい。 神峰山の山頂から踵を返したときに気が付いたのだが、ここには四等三角点586.70m(点名:小松沢)があるはずだ。1/25000の地形図コピーをじぃ~っと見てみると、山頂(南峰)の北側の神峰神社奥宮の更に北側に…距離にして凡そ150mの地点(北峰)に…三角点の表示がある。確か、来たときは無かったような…、と思いながら探し回ってみた。結果、とうとうそれを見つけた。その三角点の標石は、分岐をかみね公園方面へ右折してすぐのピークにあった。だから何なの、というほどのことだけれど、少し嬉しかった。 復路は裏参道を利用して、御岩神社の駐車場に戻ったのは15時少し前だった。駐車場の門限(16時30分)には余裕で間に合った。さて、真っ直ぐに東京の自宅へ戻って、風呂に入ってからビールを飲んで、それから残り物のおかずで夕食にしよう。 * 補足1: 三省堂の「日本山名辞典」の該当項によると、神峯山(かみねさん・590m)は「かぶやま」と呼ぶこともあるようです。高鈴山と同じく秩父古生層とその変成岩からなり、山頂部に奥宮があった神峯神社は漁民の信仰が厚く、祭礼の富田の山車は日本三大風流物の一つ、とのことです。漁民が漁場の位置を決めたり、天候の良否を占うことから占山(うらないやま)という別名もあるそうです。 * 補足2: 御岩神社からの(高鈴山や神峰山への)登山については、悪天候だと入山禁止になるそうなので、要注意です。 * 蛇足: 高鈴山で北~西面、神峰山で東~南面を眺めることができたのですから、結局、両山を合算すると360度を展望した、ということになります。これって、案外と面白いことかも…。(^^ゞ なお、この地を舞台にして映画にもなった新田次郎の小説「ある町の高い煙突」は有名です。 佐知子の歌日記より 後ずさりしたくなりたり雪道の常陸の神峰・高鈴山に 白鳥(しらとり)は飛んでいないが空や海 青あをとして地球色だね 若きらの歌垣ありし筑波山 高速道よりいにしえ想う
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