No.41 二子山と武川岳1052m(奥武蔵) 沢道と尾根道の 歩きがいのあるコース |
|||||||||||
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ 悪天候のため、ナァーンにも見えず。稜線は予想以上に起伏があり、歩きがいのあるタフなコースだった。 雪道登山の練習を兼ねて、残雪を期待したのだが、少し遅かった。そして、カタクリの花期にはチト早かった。で、霙(みぞれ)が降った。 奥武蔵は今、冬と春の狭間だった。 * 秩父往還の妻坂峠は、横瀬町生川と名栗村名郷を結ぶ古くからの峠で、鎌倉時代の武士・畠山重忠が鎌倉に出仕するとき、妻がこの峠まで見送ってくれたという。 高篠温泉郷「不動の湯」: 前項「大霧山」 を参照してください。
A 武川岳から二子山 18年4ヶ月ぶりに夫婦で、(つまり同じメンバーで)奥武蔵の武川岳に登ってきました。とても懐かしかった…、と書きたいところですが、私も妻も殆ど憶えていません。歳月人を待たず、忘却とは忘れ去ることなり、…をしみじみと感じ、無慈悲な時の流れを痛感した山行でした。 「忘れたいこと⇒時間が解決する」ことも多々ありますが…、楽しかった思い出はやっぱり、きっちりと憶えていたいですよね、じっさい。 梅雨の中休みで天気は良かったのですが、いつもの日帰り山行では1リットル以上は飲んだことのない水分を1.5リットル以上は飲んだ、暑い一日でした。それでも、日曜日ということもあって人出が多く、それも若いハイカーが多くて、18年前の薄い記憶(みぞれ交じりの早春だったかと…)と比べると隔世の感がありました。この国の山は、いつの間にか中高年と若者がいい塩梅に同居する、とても自然な状態になっているのです。 スギ・ヒノキ・カラマツ(少し)の人工林と落葉広葉樹の雑木林が入り交ざる、尾根道も沢道もある変化に富んだ、なかなかの名コースだと(今回も)思いました。雑木林の主人公はミズナラやカエデ類(イタヤカエデ、イロハモミジ、コハウチワカエデ、チドリノキなど)で、武川岳の山頂部ではクリの木が目立っていました。山稜の平坦な地形の箇所には(少ないですが)ブナもありました。それらの森の副主人公はアカシデ、ヤマザクラ、リョウブ、アブラチャン(実)、マユミ(実)、ミズキ、ツツジ類、アセビ(これは常緑樹)、などで、植生はけっこう豊かです。 焼山の山頂は開けていてぐるっと約300度の大展望。武甲山などの近隣の山々や秩父盆地の展望が特によかったです。しかし木々に葉の茂るこの季節のこととて、稜線からの展望箇所は割と少ないと感じました。このコースからの展望を求めるのであれば、やっぱり晩秋から春にかけてがいいと思います。 蔦岩山から焼山への尾根道には林道歩きが入り交ざるなど、18年前には(多分)なかった状況もありました。近年、名郷(名栗渓谷側)から直接武川岳に登る「天狗岩コース」に人気があるらしいですが、それは(時間的に余裕ができた)今後の宿題にしたいと思います。…山は逃げないけれど歳は逃げるので、それがちょっと心配ですが…。 朝早く家を出て、武甲山の登山口でもある生川(うぶがわ)から歩き始めたのは8時30分頃で、芦ヶ久保駅に下山したのは14時少し過ぎ。14時17分発の上り電車になんとか間に合いました。おかげで、夕方には東京都大田区の自宅に帰ることができました。父がウトウトしながら、テレビで大相撲を見ていました。7月場所の初日だったんだ、とそのとき気がつきました。 佐知子の歌日記より 猛暑日の武川岳は訓練と思うしかなくひたすら登る 山頂の眺めはきかず朝からのこの汗は何なのとタオルをしぼる
このページのトップへ↑ ホームへ |