No.63 石鎚山(いしづちさん・1982m) 平成10年(1998年)5月3日〜4日 |
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【石鎚山歩行時間: 第2日=30分 第3日=6時間30分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ
*** 前項・剣山 からの続きです *** 多度津駅のホームで知り合った70歳のオジサンは、東京の馬込生まれで豊島区在住、奥さんの実家が四国とのことだった。法事で阿波にきて、奥さんを残して一人旅、気楽なものだ…。西条から同乗したおかげでタクシー代の3分の1の2,000円が浮いた。 ロープウェイ山頂駅より30分ほど歩いて、成就社境内の常住屋白石旅館に着いたのは午後4時半頃だった。そのオジサンと偶然同じ宿だった。 夕方から夜にかけて辺りは深い霧に包まれた…。
石鎚神社成就社の屋根の上に顔を出した石鎚山。一瞬、妙義山に似ている、と思った。 午前6時半、宿を出発。ゆっくり歩く。時間はたんまりある。東北東を振り返ると、雲海の上に存在感のある瓶ヶ森1896mが見えている。その手前にチョコンと大森山の頂が、左方には先ほどまでいた成就社の杜が、矢張り雲海の中の小島のように見える。何処からかホラ貝の音が聞こえる。来て良かった、と思った。 夜明峠までの雑木林の中に、ブナなどに混じって「ヒメシャラ」と表示されている木があったが、天城のそれと比べると木肌の色が赤よりも茶に近く、どっきりするなまめかしさはなかった。 巻き道を行かず、一ノ鎖、二ノ鎖、三ノ鎖、に挑戦してみた。順番待ちで混雑していたが、はっきり言って、とても怖かった。特に「二ノ鎖」の65mをよじ登った時に怖い思いをした。足よりも腕が疲れた。ところが、佐知子は平気で登ってきた。どうやら太い鎖のつなぎ目の輪の中に靴先を掛けると登りやすいようだ。 やっとの思いで祠のある弥山山頂に着く。人ゴミでごった返していた。 雲海が晴れてきた。西から南西にかけて間近に見えるのは、西ノ冠岳から二ノ森にかけての山並。緑の山が大きくて素晴らしい。二ノ森のあれはカール地形だろうか(ンな訳ないか…)。瓶ヶ森の右手前に、直下の二ノ鎖下部より東へ延びている登山道が見える。その先に小さく見える建物の辺りが下山予定の土小屋だ。 ここで大問題が起こった…。東南の眼前に聳える天狗岳への切り立った岩尾根を歩き出したとたん、妻の佐知子がビビリだしたのだ。オーバーハングしている稜線の岩の上から落差1000mはあると思われる谷底を見たことで、急性高所恐怖症になってしまったのか。あるいは、稜線に出てホッとした瞬間、忘れていた鎖場での恐怖を思い出し、一挙に疲れが出てしまったのか。何れにしても、全く元気がなくなってしまった。 充分な休憩をとった。結局、何とか二人で西日本最高峰の天狗岳の頂上に立つことはできたが、色々な意味で考えさせられた稜線上だった。「霊山」を甘く見てはいけない。「冒険」は、矢張り、するものではない…。 なだらかな道を、アケボノツツジの濃いピンク色の花などを観ながら、のんびりと下山。土小屋着15時50分。16時30分発の一日に2便しかないバスに乗り、面河渓(おもごけい)へ。 面河渓のバス停から30分ほど遊歩道を歩き、関門や五色河原などの景勝を見物し、閑静な宿「渓泉亭」に着く。部屋の窓から渓谷越しに巨大な岩盤(亀腹)が望める。 第4日目(5月5日・薄晴): 面河渓は石鎚山南麓の聖なる渓谷(聖流郷)であるらしい。早朝、宿の付近を散歩してみた。河原の岩が白く見えていたので石灰岩だと思っていたが、近くでよく見ると花崗岩のようだ。(石鎚山周辺の岩石は殆どが堆積岩のように見えたが…。) バスを乗り継ぎ、3時間ほどで松山市内へ入った。三越デパート前の停留場でバスを降り、暫く歩いてロープウェイに乗り、小高い丘の上にある松山城を見学した。晴れてはいたが薄靄がかかっていて、石鎚山は見えなかった。 ゴールデンウィークの最終日とあって、松山空港は帰路の観光客などで混雑していた。空港ロビーでANAの搭乗手続きをしていたとき、地元テレビ局のインタビューアーにマイクを向けられた。 「愛媛に満足しましたか?」 との質問に 「大満足です!」 と答えた。 石鎚山の山頂から南西方面(西ノ冠岳〜二ノ森)を望む 秋にはドウダンツツジの赤(紅葉)とシコクシラベの緑の対比が美しいという 雲海に浮ぶ瓶ヶ森 ・ 手前にチョコンと大森山
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