No.86 祖母山(そぼさん・1757m) 平成11年(1999年)5月4日 |
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1時間ほど歩いて五合目小屋で朝食にした。この無人小屋の土間では、昨日から泊り込んでいた迷彩服のサバイバル青年と一緒だった。湿った薪に必死になって火を点けようとしていたが、私達が食事を終えて小屋を出ていくまで、とうとう火は点かなかった。あの青年、朝食のインスタントラーメンは、結局、食べることができたのかなぁ。 雨でぬかるんだ道は歩きづらく苦戦の連続だったが、パステルカラーの新緑が素晴らしかった。登山道沿いの木々の幹に樹木名の標板がぶら下がっている。おかげで樹木の勉強がよくできた。ナラ、ツゲ、ウルシ…、高度が上がってくるとブナの木も交じってくる。ナツツバキ(シャラノキ)はもう既に白い花をつけている。所々に、樹高は3メートル位だろうか、薄ピンクのきれいな花をつけている木を見た。今が満開だった。アカヤシオとそっくりで、葉をつけるより先に花が咲くタイプのようだ。下山後に地元の登山者から教えてもらって分かったのだが、それがアケボノツツジだった。 祖母山九合目小屋に着いたのは11時頃だった。ここの若い神経質そうな管理人さんと話をしながら少し早めの昼食。昨日竹田市内で買い求めた菓子パンを口に放り込んだ。この小屋の管理人さんは、神原(こうばる)とか小原(おばる)などの地名について、“原”を“ハラ”と読んではいけない、絶対に“ハル”と読まなくてはいけない、と力説していた。何でも、原(ハラ)はただの原っぱで、原(ハル)は米のできる神聖なところ、という意味だそうだ。地元の人は原(ハル)と読むことに誇りをもっているらしい。 雨は一向に止みそうもなく、1時間ほど様子を見た後、意を決して再び歩き出した。雨と霧で何も見えない祖母山の山頂を往復してから、九合目小屋の管理人さんのアドバイスに従って、黒金尾根からの下山予定を変更して、宮原(みやばる)経由の沢伝いのコースを下った。泥道の長い下りだったが、鶯や四十雀などの囀りと萌える新緑たちに励まされて、飽きることはなかった。 しかし、とうとう、祖母山の「男性的」な部分を全く垣間見ることなく、私達の祖母山は終わってしまった。あのウォルター・ウェストン氏が日本アルプス登山をする前年(明治23年11月6日)に、阿蘇山に続いて登ったのがこの祖母山であるという。…私達の祖母山は緑豊かな深い山だった。そしてずっと、霧に包まれていた。 ずぶ濡れ状態で尾平(おびら)の「もみ志や旅館」へ着いたのは午後5時丁度だった。そして、ゴールデンウィークを利用した私達夫婦の「4泊5日・九州北部の山旅」も、名残り尽きない想いを胸に、いよいよ大詰を迎えようとしていた。 5月5日: 雨は上がり晴れ間も出てきた。各地から集まった百名山志向の泊り客で満室の「もみ志や旅館」をあとに、午前7時30分発の、一日に一便しかない緒方の町営バスで小原(おばる)へ向かう。途中、傾山(かたむきやま)へ登山してきたという地元の若者が乗車してきた。この若者からアケボノツツジの名前を教えてもらったのだ。 小原からは大分交通バスで大分駅へ向かう。バスの車窓から何度も振り返ってみたけれど、祖母山はやっぱり霞みの中だった。 竹田温泉「竹田茶寮」: 竹田(たけた)市内にある武家屋敷の近く、市内が一望できる高台に建つ。「温泉」と表示されていたが、泉質等は不明。無味無臭透明だった。漫画の「おいしんぼう」にも登場したという「頭料理」を期待していたのだが、食膳に出されたのは、美味だが、ありふれた料理ばかりだった。 * 竹田茶寮の頭料理(あたまりょうり)は“冬季・要予約”であるらしいです。[後日追記] 「竹田茶寮」のHP
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