「私達の山旅日記」ホームへ

No.133 三ツ峠山1786m
平成13年(2001年)12月8日〜9日 快晴

三ツ峠山 略図
三ツ峠山(開運山)の山頂部を望む
三ツ峠山の山頂部

絶好のロケーションに建つ
三ツ峠山荘


山荘に一泊して たっぷりと富士山展望
登山とハイキングの接点を垣間見た!

第1日=富士急行線・河口湖駅-《バス》-三ツ峠登山口〜三ツ峠山荘〜三ツ峠山1786m 第2日=三ツ峠山荘〜三ツ峠山〜木無山1732m〜(府戸尾根)〜霜山1302m〜新倉山1234m〜天井山1075m-《ロープウェイ》-河口湖畔〜河口湖温泉寺(入浴)〜河口湖駅
 【歩行時間: 第1日=1時間50分 第2日=3時間30分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 第1日目(12/8): 新宿駅から午前8時11分発の「快速ぶらり河口湖号(*)」に乗車。この電車、大月でJRから富士急に乗り換える手間が省け、おまけに座席は背もたれが二段階に調節できたりして、至って快適だった。のんびりと車窓からの景色を楽しみながらの旅にはもってこいだ。終点の河口湖駅へ着いたのは10時26分。駅前から10時40分発(これが最終とのこと)の天下茶屋行きのバス…土休日の臨時便、何と乗客は私達夫婦だけ…に乗り、三ツ峠登山口バス停に降り立ったのは11時10分頃だった。思ったより寒い。手袋をつけ、右手の清八林道へ向かって歩き始める。
 今回私達が三ツ峠ハイキングの登路に選んだのは最短の「裏三ツ峠コース」だが、東側の富士急行線三ツ峠駅からダルマ石を経て登る「表三ツ峠コース」などに比べ若干情緒に欠けるようだ。道標に従ってさらに右折して、幅広の“ジープ道”を登ること約1時間半、あっけなく山頂手前の三ツ峠山荘へ着いてしまった。少し楽をしすぎたかも…。
 山頂部は、同じ裏コースから登ってきた約300名の大団体(バス8台を連ねてきたとのこと)で、しっちゃかめっちゃかの状態だった。富士山の上空には笠雲がかかっていて、なかなかの眺めだったが、光線の関係か薄霞のせいなのか、コントラストに乏しく、写真向けではなかった。
 展望の開けた山荘裏の小高い広場で遅めの昼食を済ませてから、三ツ峠山(開運山)の山頂を往復した。登り約10分だった。
 大パーティーの去った後、三ツ峠山は急に静かになり、冷たい風と静寂が山頂部を覆った。置き去りにされたような気持ちになっていた私達二人を、三ツ峠山荘の御主人が暖かく迎え入れてくれた。

* 三ツ峠山荘: 山荘の御主人・中村環氏は、三ツ峠の開拓者として、また富士山の名写真家としてもつとに有名な方であるが、残念なことに先年亡くなられたとのことだった。現在は二代目の中村光吉氏が後を継がれている。富士山の絶好のビューポイントに位置しており、数組の宿泊客たちの殆どは中高年のアマチュアカメラマンだった。夕間、朝間と、寒い中、山荘前の広場に三脚をセットして、刻々と変化する富士山の景色を見据え、手袋も着けず、じっと佇む彼等の後ろ姿に、思わず感動をさえ覚えてしまった。
 週末のこの日、意外と空いていて、私達には八畳の個室があてがわれた。夕餉にはカニ鍋などを数人で囲み、カメラ談義、写真談義に花が咲いた。

* 三ツ峠山(三峰山): 御坂山地の一峰。三ツ峠山(開運山)1786m、木無山1732m、電波塔の立つ御巣鷹山1775m の三山の総称。古くは神鈴峰とも呼ばれていたらしい。富士山などの展望と花の名所でもある。三ツ峠山山頂南面の屏風岩は古くからロッククライミングの練習場として知られている。この日も岩壁を攀じ登る数組のクライマーたちを見ることができた。

* この数年後(H16年)、「快速ぶらり河口湖号」は「ホリデー快速河口湖号」に統合されています。[後日追記]

 第2日目(12/9): 未明、5時起床。外は未だ真っ暗で星がとてもきれい。下弦の月も晧々と天空に輝いている。カメキチ(写真家)たちはもう既に山荘前広場南端の好位置に陣取っている。外気温マイナス10℃くらい、だろうか。ピーンと冷気が張りつめている。
 三ツ峠山の山頂へ登って待つこと数十分。やがて御正体山の左の方から太陽が昇り始める。南面に鎮座する均整のとれた富士山は圧巻だが、その右手、西面に並ぶ雪化粧の南アルプスの眺めも朝日に映えて素晴らしい。北面の奥秩父の山々や、東面の道志、丹沢、箱根の山々など、山座同定に大忙し。寒さも忘れて長いこと山頂に立ち尽くした。
富士山を眺めながら下山
府戸尾根を下山
 7時に山荘に戻って朝食。カメキチたちの話しを聞いたら、今朝の富士山はあまり赤くならず、いい雲も出なかったのでガッカリしたとのことだった。でも私達にとっては、薄オレンジ色に染まった空を背景にくっきりと浮かび上がった富士山は、とても立派できれいに見えた。
 午前8時、下山開始。霜柱を踏み砕きながら木無山を越え、府戸尾根を南へ下る。正面の樹林越しには白銀の富士山、その右手には河口湖や南アルプスが覗いている。なんと贅沢な眺めの下山路だろうか。
 あちこちの枯れ枝の間から「ピーツ、ピーツ」という小鳥の鳴声。遠目ではっきりとはしないが、腹が薄茶色で、多分ヤマガラかジョウビタキだと思う。ギャーギャーとうるさい鳴声はヤマドリのメス。と、冬枯れの山はけっこう賑やかで、誰にも出合わなかったけれど、寂しくはなかった。
 天上山富士見台駅へ着いたのは午前11時だった。ここは太宰治のパロディ小説「カチカチ山」の舞台になった処でもあり、「カチカチ山展望台」は富士山や河口湖の展望を楽しむ観光客でごった返していた。
 ロープウェイ(高低差219m)に乗り河口湖畔へ下る。30分ほど湖畔の道を歩き、予定通り、河口湖温泉寺でのんびりと風呂と食事を楽しむことにする。河口湖駅へはそこから歩いて矢張り30分位だろう。
 登山のようなハイキングのような、そんな2日間だった。

  河口湖温泉寺: 「足和田山」の項 を参照してください。

三ツ峠山の山頂にて
朝の富士山:三ツ峠山頂より
朝日に映える富士山
三ツ峠山の山頂にて
寒さも忘れて立ち尽くす

*** コラム ***
登山とハイキングの違いについて

登山靴のイラスト 「ハイキング」は「登山」に含まれるものなのか、その逆なのか、もしくはそれぞれ別個の個性をもつ単語なのか、私にはよく分からなかった。はっきりと云えることは、その境界線がとても曖昧で漠然としている、ということだ。その漠然としている部分が好きで、私達は毎月のように外へ出掛けている。アウトドアー、それ自体がとてもよいことだと思っているからだ。

 私が未だ中学生だった頃、登山とハイキングの違いについて、山に詳しい先輩に聞いたことがある。その時その先輩は、“三ツ峠”までをハイキングと云うんだよ、と教えてくれた。とてもへんてこりんな回答だったので、それ以来ずっと三ツ峠のことが気になっていた。しかし何故か縁がないまま、40年が過ぎ去っていた。
 今回、憧れの三ツ峠を歩いてみて“極上のハイキング”だということはよく分かった。そして、薄々とは理解していた登山とハイキングの接点を、足と目と心で、しっかりと自分のものにした、ような気がした。そんな山、それが私の三ツ峠だった…。

* 登山:
 広辞苑・第1版→ 山にのぼること。山上の寺社に参詣すること。探検またはスポーツのため、山に登ること。
 広辞苑・第5版→ 山に登ること。山登り。
* ハイキング:
 広辞苑・第1版→ 徒歩旅行をすること。自然に親しむのを目的として山野・海辺を跋渉(ばっしょう)すること。
 広辞苑・第5版→ 自然に親しむため山野などを歩くこと。徒歩旅行をすること。

 以上は広辞苑の丸写し。1955年(昭和30年)5月に発行された第1版と、1998年(平成10年)1月に発行された第5版の表現が、微妙に違ってきているのは興味深いことだ。特に“登山”の項で、その目的について特定する記述を廃した、というのが面白い。自然に親しむのがハイキングで、とにかく登るのが登山、ということなのかもしれない。
 登山・ハイキングに関する各種の本や雑誌などを読んでみると、登山にはスポーツ性や冒険性の意味合いが強いのに対して、ハイキングは山頂(ピーク)を主な目的にせず、社交性や遊戯性が強調されているものが多いようだ。
 私の結論の一つでもあるが…、同じ時季の同じ山を同じコースで歩いたとしても、その歩き方や歩く人の感性やそのときの状況で、「登山」にもなれば「ハイキング」にもなるんじゃないかと思う。



桂川の流れる富士急沿線の街の頭上に聳える
倉見山(道志山塊)から三ツ峠山を望む(後日撮影)


このページのトップへ↑
No.132「烏尾山・新茅ノ沢」へNo.134「竪破山」へ



ホームへ
ホームへ
ゆっくりと歩きましょう!