No.158-1 木曽駒ヶ岳から空木岳(その1) 平成15年(2003年)9月13日〜15日 |
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【歩行時間: 第1日=2時間30分 第2日=6時間40分 第3日=5時間20分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ ●第1日目(9/13・霧と雨): おなじみの「スーパーあずさ1号」を上諏訪駅で飯田線に乗り換える。3両編成の列車は天竜川に沿った伊那谷をのんびりと南へ走る。猛烈な台風14号は日本海を北へ抜けつつあるが、その影響だろうか、お天気は芳しくない。左手の南アルプスも右手の目差す中央アルプスも厚い雲の中だ。 駒ヶ根駅へ着いたのは午前10時32分。30分に1本のしらび平行きのバスが出たばかりだったので、勿体無いとは思ったが、駅前からタクシーに乗り込んだ。駒ヶ根高原を過ぎ、山間の細い坂道をタクシーは登る。前を走っていた先発のバスが、少し開けた道で私達の乗ったタクシーのために道を開けてくれた。しらび平までのタクシー料金は4,960円だった。 しらび平でタクシーを下りた途端、涼しくて強い風が肌をさす。 「ちょっと寒いね」 などと佐知子と話しをしていたら、ロープウェイのスピーカーが 「本日、これ以上風が強くなると運行中止になる恐れがあります。下山はお早めに…」 と云っている。長袖のシャツを着込んでいる場合ではなかった。慌てて乗車手続きをした。シーズン中は長蛇の列で長いこと待たされるという駒ヶ岳ロープウェイ。この日は、この悪天候のお蔭で、数えるほどの観光客しかいなくて、待ち時間無しでゴンドラに乗り込むことができた。 標高差にして約950mをロープウェイで稼ぐ。終点の千畳敷駅はそのまま「ホテル千畳敷」になっている。レストランで昼食を済ませ、登山者カードを提出し、常駐している監視員から注意事項を聞き、靴紐をきつく結び直し、雨具に身を固めて歩き出したのは12時20分頃。ここは標高約2600m、既に森林限界を抜けている。風と霧のなかにミヤマアキノキリンソウとタカネトリカブトが僅かに咲いていた。 千畳敷には、じつは、私達夫婦は10年以上前の早春に観光で訪れたことがある。その日は晴天で、大きなカールには深い雪が一面に被っていて、その頂には宝剣岳などの白銀の岩峰たちが格好よく並んで見えたものだった。 「何時かあんな山に登ってみたいね」 とそのとき佐知子と話したことを今でも鮮明に覚えている。しかし今日はほとんど何も見えない。千畳敷カールをトラバースしているとき微かにガスが切れて、下方の剣ヶ池がチラッと見えたのみだった。 八丁坂を登り切り、乗越浄土(のっこしじょうど)で稜線へ出ると、北西の風が一段と強くなる。道標にしたがって左へ暫らく進むと、霧の中から忽然と今夜の宿、宝剣山荘が現れた。 宝剣山荘のチェックインを済ませ、一段落してから身軽になって、木曽駒ヶ岳往復(歩程約1時間30分)を試みた。花崗岩のガレ道。視界約30m。どこをどう歩いているのかさっぱり分からない。道標とコンパスだけが頼りだ。 途中、中岳山頂の大きな岩の脇にある祠に手を合わせる。ゴロ石とハイマツの道を尚も暫らく進むと広々とした木曽駒ヶ岳(本岳)の山頂に着いた。人は誰もいない。イワヒバリが岩の上を跳ねている。木曽側と伊那側のそれぞれの駒ヶ岳神社本殿を参拝したり、一等三角点の標石を確認したりしてけっこう長い時間を過ごした。展望に恵まれた山頂、とのことだが、今日は勿論何も見えない。白いガスが岩礫帯に漂っているのみだ。 宝剣山荘への復路、大粒の激しい雨がついに降りだした。ずぶ濡れ状態で山荘へ辿り着いたのは午後3時40分頃だった。 * 宝剣山荘: 300人収容の大きな山小屋。4月上旬〜11月下旬、年末年始営業。木曽駒ヶ岳の中岳と宝剣岳の中間、稜線上の絶好のロケーション。宿泊料は2食付きで8,000円。この日は六畳の相部屋で、私達のほかに4人の男女の中高年パーティー。一畳に一人で余裕のスペースだった。食事はおかずが盛沢山で、満腹になった。近くに同程度の規模を持つ天狗荘もあるが、こちらは7月1日から8月31日までの営業とのことだった。 佐知子は何時も履いていた山靴が修理中で、仕方なく履いてきた安物の軽登山靴のため、靴の中は雨水でびしょびしょ。ぶつぶつ云いながら食堂のストーブの前に座ったきりだった。私の方は同室の4人組から泡盛(焼酎)の差し入れがあったりして、美味な古酒に舌鼓、ほろ酔いのいい気分。午後6時半には、もう、夢の中だった…。 * 後日(平成29年7月)、同山荘を利用する機会に恵まれましたが、宿泊料については若干値上がりしていて、1泊2食付きで8,700円でした。[後日追記] →No.158-3まったりと木曽駒ヶ岳 ●第2日目(9/14・高曇り): 午前4時頃に起きだして、階下の食堂で懐中電燈の明かりを頼りにコンロでたっぷりと湯を沸かす。インスタントコーヒーをサーモスに詰めて、残りを啜っていたら佐知子が下りてきた。 「雨は止んだけれどガスってるよ」 と云ったら残念そうな顔をした。宝剣山荘の明かりは5時に点り、5時15分から朝食が始まった。 今日は空木岳手前の木曽殿山荘をめざして、縦走路を南進する予定だ。午前6時15分、宝剣山荘の裏手からまず宝剣岳北稜に取り付く。気温摂氏約5度。少し寒い。暫らく歩くと身体が温まってきたので手袋を脱ぐ。要所に鎖や鉄の杭が打ち込んであり、足場はしっかりしている。三点確保に留意しながら楽しく岩峰を登る。霧は徐々に晴れてきた。 宝剣山荘から僅か約20分の登りで、岩が林立する宝剣岳の狭い山頂へ着いた。高さ3mくらいのひときわ大きな一枚岩が突き出ていて、上部にはハーケンが突き刺さっている。この一人しか立てそうもない岩塔の上が宝剣岳の最高点のようだ。 「危ないからやめなさい!」 と云う佐知子を無視して、攀じ登りはじめた。しかし、腕力が必要な最後のひと登りがちょっと恐くて、途中で断念してしまった。トシのせいかなぁ。私は最近めっきりと勇気がなくなってしまったようだ。テレ笑いしながら佐知子と目が合わないようにした。 暫らくすると後から登ってきた親子連れのパーティーが、私が断念した岩塔のハーケンにカラビナを付けて、持参してきたザイルを使って、ひょいひょいと登っている。やられたなぁ、と思った。私にもザイルを使わせてください、とは矢張り云いにくかったので、「撮ってもいいですか」 と子供のお父さんとお母さんに了解を得て、写真だけはカメラに収めた。→右上の写真です。 そうこうしているうちに北から西にかけての雲が切れて、御嶽山がその堂々とした体格を現しはじめた。木曽駒ヶ岳の左奥には薄ぼんやりと乗鞍岳も見えている。立ち尽しながら、その素晴らしい景色を長いこと見つめていた。 宝剣岳南稜を下る。ここも急峻な岩尾根だ。慎重に足場を選ぶ。下り切った鞍部からは山岳展望の穏やかな稜線が続く。右手の三ノ沢岳の金字塔が大きくて立派だ。 極楽平(サギダル)、島田娘と、いわくありそうな箇所(その雪形によるものであるらしい)を通り過ぎ、濁沢大峰(にごりさわおおみね)、檜尾岳(ひのきおだけ)、大滝山と、幾つかのピークを越えてゆっくりと前進する。何処までいっても白い花崗岩とハイマツの明るい稜線だ。所々岩場もあるけれど危険というほどの箇所はほとんどない。薄日が差してきて、前方の空木岳がその全容を見せ始めた。こちらから眺めると、北アルプスの笠ヶ岳にも似た鈍角三角形だ。その空木岳の右手にはどっしりとした南駒ヶ岳。更に右奥には雲から顔を出しているなだらかな恵那山も見えている。振り返れば宝剣岳の鋭鋒がぴょこんと可愛らしい。足元にはトウヤクリンドウやコウメバチソウが咲いている。当地特産のコマウスユキソウはもう咲いていなかったけれど、花期の終わりかけたタカネツメクサやミネウスユキソウがまだしぶとく咲いていた。気分は最高だ。 巨岩の立ち並ぶ熊沢岳の山頂で展望を楽しみながらの昼食。切りモチを茹でてインスタントスープに入れて食べたら大変旨かった。考えたら、山にモチを持ってきたのは今回が始めてだった。腹持ちがよくて消化もよいモチを、なぜ今まで気が付かなかったのだろう、と思ったほど、モチは山では旨かった。 さらに大展望の稜線は続く。午後になると少しずつ雲が多くなってきたけれど、東方の空は明るくなってきて南アルプスの甲斐駒ヶ岳や鋸岳の輪郭が雲の切れ間から見え隠れしている。小ピークの熊沢五峰を越え、東川岳の山頂に立ち、ガスの出始めた眼前の空木岳など、本日最後の360度の展望を楽しんでから木曽殿越へ急降下。木曽殿山荘に着いたのは午後3時を少し回った頃だった。 * 木曽殿山荘: 東川岳と空木岳の狭い鞍部が木曽殿越(きそどのごえ)と云われる処であり、100人収容の木曽殿山荘がポツンと建っている。 その昔、木曽側から登ってきた木曽義仲主従は、ここから伊那側へ下ったという。その伊那側を見下ろすと深々とした太田切本谷が天竜川へ向かって続いている。地図上の山道は勿論ないけれど、初級ロッククライミングとヤブ漕ぎを覚悟すれば下れそうにも思えてくる。眉唾物だと思っていた伝説だけれど、実際に木曽殿越に立ってみて、さもありなんと思った。 チェックインを済ませると、山荘の女将が美味しい緑茶を飲ませてくれた。疲れた身体に女将の優しさが染みこんだ。 「水場までは平らな道を歩いて7分ですよ」 と教えてもらい、ポリタンクや水筒をぶらさげて早速出かけてみた。 木曽側へ向かって東川岳の南面をトラバースすると「義仲の力水」といわれる冷たくて美味しい沢水が滾々と流れていた。この山道は木曽の倉本・須原へ続いているというが、なんか感じのよい道だった。途中の道端に、ミネウスユキソウの薄黄緑色の頭花が可憐に美しく咲いていたので思わず見惚れてしまった。水場までは、このようにゆっくり歩いたので、実際は10分以上かかってしまった。 しかし、この日の木曽殿山荘は2階の大部屋の一畳に2人だった。経験上、安眠できる限界は二畳に3人までだと思う。隣の人の寝返りの振動がもろに伝わってきて、夜中に何十回も目を覚ました。予約制の筈だが、それがちょっと不満の木曽殿山荘だった。7月1日〜10月10日営業。宿泊料は2食付きで一人7,500円。宝剣山荘より500円安かった。 ●第3日目(9/15・快晴): イビキの音には薬局で買い求めた耳栓が有効だったけれど、一畳に2人の寝床はあまりにも窮屈で、熟睡できなかった。で、仕方なく、眠い目をこすりながら午前3時半頃に起きてしまった。とりあえず山荘の表へ出てみてびっくりした。無風の空に満天の星、下弦の月、だった。北極星をはさんでカシオペアと北斗七星が同時に見えている。天空には冬の星座のオリオンも輝いている。思わず小さな声で 「ヤッタネ!」 と叫んでしまった。 やがて佐知子も起きてきた。コンロで沸かしたコーヒーを飲んでから、今度は二人で外へ出てみた。月と星だけの竹色の薄明かりが段々と白ずんで、周囲の山の輪郭がはっきりとしてくる。夜が明けてきて、山の朝の壮大なドラマが始まったのだ。 木曽殿山荘は東川岳と空木岳に囲まれた狭い鞍部に位置している。だから見通しが利くのは西面と東面のごく限られた範囲だけだ。西(木曽)側は少しモヤっていたけれど、東(伊那)側の太田切本谷の方向は空気が鮮明だ。そのオレンジ色に染まりだした東の空に、八ヶ岳だろうか、の黒い輪郭がくっきりと浮かび上がる。その少し左には特徴のあるコニーデ型の山が見えている。それが蓼科山だとすると、その更に左へ続くなだらかな山稜は霧ヶ峰と美ヶ原に違いない。八ヶ岳の右に位置する南アルプスの主峰たちの頭上から太陽が昇る筈だけれど、生憎とそれは空木岳の左裾に遮られてしまっている。こんな素晴らしい朝に、もっと素晴らしい御来光を拝むなんて、そうだね、贅沢すぎるね。などと云いながら、私達は長いこと、寒さも忘れて立ち尽していた。気が付いたら佐知子も私も鼻水が止まらなくなっていた。 そそくさと山荘の朝食を済ませ、ウキウキしながら歩き出したのは午前5時30分頃。標高差360mの空木岳山頂を目差し、眼前の岩尾根に取り付く。佐知子の例のキーホルダーのバカチョン温度計によると気温摂氏約4度。寒いはずだ、と思った。辺りは益々明るくなって、振り返って眺めた東川岳は朝焼けに染まっている。 緑のハイマツから白い花崗岩がニョキニョキと出ている空木岳は、近くで眺めると、先週末に登った奥秩父の瑞牆山(みずがきやま)を一回りも二回りも大きくしたようにも見えた。 空木岳は3つの岩峰からなっている。第一峰、第二峰と、ぐんぐん高度を上げる。足場はしっかりとしている。ふと目を上げると、ホシガラスがせっせとハイマツの松毬を運び、近くの岩上でそれを突ついている。途中1回の小休止で、第三峰目の空木岳山頂へ着いたのは7時10分頃。山頂標識の脇に二等三角点の標石があった。 快晴の空、白砂と露岩の空木岳山頂は大展望だった。地勢図を持ってこなかったので詳しい山座同定はできなかったけれど、比較的近い山で、山の形ですぐにそれと分かる私達が過去に登った山を大雑把にメモってみた。北面の、一昨日、昨日と歩いてきた中央アルプス主稜線の左奥、木曽前岳と木曽駒ヶ岳本岳との間には槍-穂高の連峰が見えている。以下時計回りに、…美ヶ原、霧ヶ峰、蓼科山、北・南八ヶ岳、南アルプスの峰々(塩見岳と赤石岳の間の後方には富士山)、中央アルプス南部主稜線上の南駒ケ岳の右奥に恵那山、御嶽山、乗鞍岳…。と、感無量、至福のひとときだった。 午前7時40分、下山開始。東へ延びる長大な池山尾根を下る。下り始めて間もなくの明るい小平地に駒峰ヒュッテ(シーズン中は管理人在住)が建っている。立派な丸太小屋で改装してからまだ日が浅いようだ。トイレなどもきれいだった。ここに一泊する手があったかもしれない、と思った。振り返って仰ぎ見た空木岳の山頂部は、反対側(西側)の荒々しい登路と較べて岩が少なくて、ハイマツの濃緑が朝日に映えて美しかった。水ぬるむ季節、山肌がウツギの花が咲いたように見えることが山名の由来であるという。 道はここ(駒峰ヒュッテ)から谷側(右手)の空木岳避難小屋の建つ空木平を経由する道と、そのまま尾根を直進する駒石経由の道に分かれる。私達は木曽殿山荘の御主人から歩きやすいと教えられた尾根道コースを選んだ。駒石は、尾根上のちょっと開けた不思議な空間に、ずんぐりと立つ高さ15mはあろうかとも思える巨大な箱型の岩塊だ。 「まさに花崗岩のオブジェね」 と佐知子が称賛していた。 間もなく右手から谷側のコースが合流する。何時の間にか樹林帯に入っていて、シャクナゲ、ウラジロナナカマド、ナナカマド、ダケカンバ、(オオ?)シラビソ、トウヒ、コメツガ、など、亜高山帯の森林が深くて美しい。林床のいたる処にはカニコウモリが咲き、足元にはミヤマアキノキリンソウやアキノキリンソウ、ヤマトリカブトなどが咲いている。 「迷尾根(まよいおね)」の標柱の立つ地点で立ち止まった。なるほど右手に枝尾根が続いている。しかし道は石などでブロックされており、標柱もあるので、めったなことでは、今では、迷い込まないだろうと思った。この前後の暫らくの区間は小地獄・大地獄といわれるかつての難所だったようだ。木曽殿山荘の御主人も云っていたが、現在では岩壁に木橋、アルミの階段や梯子、鎖などが整備され、ちっとも恐くはない。見落としたのかもしれないけれど、標板さえ立っていなかった。 40〜50分間歩いては15分間の中休止、何時ものペースで快調に高度を下げる。気温もだいぶ上がってきた。8月より暑い今年の9月上旬。このぶんでは下界はさぞかし暑苦しいだろうと思った。マセナギの少し手前で早目の昼食を、アンパンとサーモスのコーヒーで済ませた。 池山小屋(無人)の近くの水場で、途中で私達を追い越していった単独行らしい男性二人に追いついた。ここは標高約1700mの「池山・空木分岐」の地点。話し合って4人で1台のタクシーを予約することになった。真新しい標柱に貼りつけられているタクシー会社のメモを見ながら携帯電話で連絡すると、もう少し先のタカウチバ(鷹打場)という処で、もう一度電話してくれと云う。 道端に咲いている清楚な白い花、センジュガンピなどを観賞しながら、ミズナラやカエデ類などの広葉樹の明るくて広い道を30分も下るとタカウチバに着く。ここでタクシー会社に再び電話を入れてから、更に20分ほどだらだらと下る。林道終点の駐車場へ到着したのは、まだお昼の12時50分だった。日差しが強すぎて身体がチリチリと熱い。 予約のタクシーは少し遅れて到着した。どうやら駒ヶ根駅近くから林道終点までタクシーが走る時間とタカウチバから林道終点まで歩く時間が丁度同じくらいらしい。効率的なタクシー予約にタクシー会社の知恵を見た。歩いている時は無口な男性二人だったけれど、駒ヶ根高原・早太郎温泉郷への車中では運転手さんを交えてよく喋っていた。山登りが好きでたまらない、といったふうだった。タクシーの運転手さんはここいら辺にも最近クマがよく出る、と云っていた。 駒ヶ根高原の「こぶしの湯」でゆっくりと汗を流してから家路につく。3日間の山旅で疲れてはいたけれど、ほんのりと満ち足りた気分に包まれた。北アルプスと南アルプスに挟まれた中央アルプスは、山岳展望に優れた花崗岩の山脈だった。思いのほか岩場の多かった稜線歩きは、私達に思い出に残る素晴らしい1ページを提供してくれた。 早太郎温泉郷「こぶしの湯」: 信州駒ヶ根高原・早太郎温泉郷の一角、家族旅行村「アルプスの丘」に建つ。同高原では「こまくさの湯」に次いで2ヵ所目の日帰り温泉施設とのことで、平成13年10月にオープンしたらしい。 「混んでいない方がいいな」 という私達の希望を聞いてタクシーの運転手さんが案内してくれたのがこちらの「こぶしの湯」だった。露天風呂や岩風呂など大きな浴槽がたくさんあり、のんびりと湯に浸かることができた。泉質は単純アルカリ性で、無色透明無味無臭。典型的な循環の湯で、それがちょっと残念。軽食堂あり。利用料の500円(*)は安いと思った。JR飯田線駒ヶ根駅まではタクシーで約10分だった。 尚、早太郎温泉の早太郎(はやたろう)とは当地に伝わる伝説の霊犬の名前であるらしい。700年近くの昔、駒ヶ根の光前寺に飼われていた山犬で、怪物(ヒヒ)を退治したそうな。面白そうなのでちょっと調べてみたら、実はこの伝説は、当地信州(長野県)と遠州(静岡県)にまたがる、けっこう壮大なドラマだった。興味を持たれた方はサーチエンジンなどで検索されてみては如何。 * 利用料はその後値上げされているようです。[後日追記]
木曽駒ヶ岳から空木岳(その2): この3年後(H18年8月)に同コースを歩きました。 まったりと木曽駒ヶ岳: 平成29年7月の山行記録です。 木曽駒ヶ岳・花の写真集: 大きな写真でご覧ください。 このページのトップへ↑ ホームへ |