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No.212-1 弘法山(丹沢前衛)
平成18年(2006年)12月10日 高曇り

弘法山 略図
明るい雑木林を登る
まづ浅間山へ

山頂のあずま屋
浅間山の山頂?

立派な展望台です
権現山の山頂

「馬場道」へ続く道です
弘法山へ向かう

未だ充分に紅葉が楽しめました
弘法山の山頂

雑木林の美しい尾根道
吾妻山へ向かう

あずま屋が景色に溶け込んでいます
吾妻山の山頂


お勧め! 里山温泉ハイキング

小田急線秦野駅〜弘法山公園入口〜浅間山〜権現山244m〜弘法山235m〜善波峠〜吾妻山150m〜鶴巻温泉「弘法の里湯」(入浴)〜鶴巻温泉駅 【歩行時間: 2時間40分】
 → 国土地理院・地図閲覧サービスの該当ページへ


 来春の「山歩会」の下見も兼ねて、いつものメンバー(妻の佐知子と二人)で、丹沢前衛の人気の里山(小丘陵)を西から東へ歩いてきました。遊歩道が整備されていて、ゆっくりと歩いても3時間足らずのミニ縦走です。そのコース上には浅間山、権現山、弘法山、吾妻山、と4座の低山が連なっています。何れも平坦な山頂で、休憩場所には事欠きません。よく管理された雑木林の美しさなど、半日たっぷり満喫してきました。
 道筋にはソメイヨシノがたくさん植えられていて、春の「花見」の名所でもあるらしいです。小田急線の秦野(はだの)駅から鶴巻温泉駅までのなだらかなトレイルで、鉄道の駅から駅というのも魅力ですが、なんと云ってもその終点に名湯の鶴巻温泉が待っている、というのがスゴイです。
 未だ紅葉の名残りがあるとはいえ初冬のはっきりとしない空模様の一日でしたが、老若男女の軽装ハイカーたちで、この山域はおおいに賑わっていました。結論から云うと、このコースは素晴らし過ぎるほど素晴らしいコースでした。でも、ハイキングというよりはウオーキングと云った感じかなぁ…。

* 浅間山(せんげんやま) 秦野駅から水無川に沿って下り、本流の金目川を渡ると「弘法山公園入口」と書かれた立派な案内板がありますが、そこが弘法山ハイキングコースの入口です。コナラ、クヌギ、イヌシデなどのよく管理された雑木林を登り始めて20分もすると小さな石祠がポツンとあり、その少し先には「浅間山」と書かれた標識が立っています。振り返ると秦野の街並みやその奥に箱根の山々などが見えています。更に4〜5分も進むとあずま屋があり、その傍らにも「浅間山」と書かれた古めかしい立派な標識が立っていますが、さて、一体どっちが本当の山頂かなぁ、と思わず辺りを見回してしまいました。地形的には「山」と云うよりは「権現山の肩」とでも云ったほうが当を得ているようですが、どうやらこちら(あずま屋のあるほう)が本物の山頂に思えます。
 「日本山名事典(三省堂)」にも国土地理院の地形図にも載っていないし、山頂標識にも表示がないので、その標高などは不明です。多分200m弱だと思います。この日は見えませんでしたが、天気が良いと富士山が見えるといいます。それが「浅間山」のそもそもの山名の謂われに違いありません。
 秦野盆地を流れる水無川も金目川も、その水がとてもきれいだったことが特に印象的でした。秦野市民の自然に対する美しい心の反映であると思いました。

* 権現山(ごんげんやま・244m) 三等三角点の山で、本コース中の最高峰です。山頂は千畳敷と呼ばれるほど広く、お城のような立派な展望台が建ち、近くには秦野出身の歌人・前田夕暮の歌碑があります。トイレや水場(水道)なども完備されていて、ああ、ここは公園なんだな、とはっきりと分かる広い空間でした。やはり立派な解説板によると、旧盆(8月14日〜15日)には百八松明(ひゃくはったい)の地元行事が行われるといいます。
 この権現山から弘法山へ続く「馬場道」と呼ばれる広く平らな尾根道(桜並木)は特に立派でした。春の花見の頃は大賑わいだと思います。解説板の「秦野のタバコづくりの歴史」などをじっくりと読んだりして、地元の歴史もちょっと勉強してしまいました。左下に「めんようの里」を見ると間もなく(あっという間に)弘法山です。
 なお、公園展望台からは秦野の街並、相模湾、箱根の山々、(晴れていれば)富士山、丹沢大山などの丹沢の山々、などが展望できます。ここからの富士山の眺望は「関東の富士見百景」に選定されている、とのことです。また、弘法山公園のソメイヨシノは平成6年には「かながわの花の名所100選」に選ばれています。季節にはアジサイ、ひまわり、ヤマユリなども咲き、四季折々に楽しめるように管理されているようです。

* 弘法山(こうぼうやま・235m) 浅間山・権現山・弘法山の3座の山域を弘法山公園と呼んでいるようですが、この一帯の山域を総称して弘法山、と云うこともあるそうです。背の高さでは権現山にチト譲るけど、この弘法山が一帯の盟主であることは推測できます。弘法大師が大同年間(806-810)に修行した山と伝えられています。
 山頂には大師堂(釈迦堂)、鐘楼、乳ノ井戸、平久胤の歌碑など、謂われ因縁のある建造物がその解説板とともに点在しています。権現山の山頂がだだっ広いのに比べ、広いことには広いけれど、しっとりと落ち着いた感じの山頂でした。スギ、ヒノキ、モミジ、イチョウなどに交じり、大師堂の奥などにはシイ、カシ、タブ、シロダモ、モチノキ、ヤブツバキ、などの照葉樹が鬱蒼と生い茂っていて、それがなんとなく自然に感じて、私は好ましいと思いました。権現山が子供向きの明るい山頂であるのに対して、弘法山のそれは大人向きにコーディネートされているのかもしれません。
 ここにも立派なトイレや水道が完備されていました。

* 吾妻山(あずまやま・150m) 小広い山頂にはあずま屋やベンチや方位盤や「吾妻神社」と彫られた石塔などがあります。
 この山の謂われを書いた解説板が立っていましたので、その文面をそのままご紹介します。

『 日本武尊(やまとたけるのみこと)は、東国征伐に三浦半島の走水(はしりみず)から船で房総に向かう途中、静かだった海が急に荒れ出して難渋していました。そこで妻の弟橘比売(おとたちばなひめ)は、「私が行って海神の御心をお慰めいたしましょう」 と言われ海に身を投じられました。ふしぎに海は静まり無事房総に渡ることが出来ました。征伐後、帰る途中相模湾・三浦半島が望めるところに立ち今はなき弟橘比売を偲ばれ「あずま・はや」と詠まれた場所がこの吾妻山だと伝えられています。(環境庁・神奈川県)

 「吾妻」や「東」のつく山には同様の言い伝えがあることが多いようです。ちなみに古事記によると、倭建命(=日本武尊)は、足柄山(神奈川・静岡県境)で「吾妻はや(私の妻よ)」といったので、この山より東が「東国(あずま)」になったとしています。日本書紀では、碓氷峠(群馬・長野県境)で弟橘媛を偲んでいますが、書物や地域の伝説などによって、微妙に“その地”が違うのは興味深いことです。

 吾妻山の山頂から東へひょいと下って、東名高速道路を横切るトンネルを抜けると、鶴巻温泉の温泉街です。心と足にやさしい、家族連れや中高年向きのステキなトレイルでした。
* 弘法山公園・吾妻山ハイキングコースで観察のできた樹木: コナラ、クヌギ、イヌシデ、ケヤキ、エノキ、サクラの類、ミズキ、アカマツ、ヒサカキ、ツバキの類、イヌツゲ、ツツジの類、ウツギの類、イロハモミジ、クスノキ、モミジイチゴ、ピラカンサ、クリ、ゴンズイ、アジサイ、クマノミズキ、ハリギリ、ネムノキ、キブシ、シュロ、ヒノキ、スギ、ヒマラヤスギ、イチョウ、アオキ、ヤツデ、タブノキ、カナメモチ、シロダモ、モチノキ、ヤブツバキ、イヌビワ、トウネズミモチ、サザンカ、シラカシ、ウラジロガシ、アカガシ、アラカシ、スダジイ、… [今回はさっと通り過ぎただけです。見落としてしまった樹木がかなりたくさんあると思います。ご承知おきください。]

再び弘法山公園へ その後の弘法山ハイキングの記録です。
鶴巻温泉「弘法の里湯」については「夏の鍋割山」の頁を参照してください。

*** コラム ***
弘法山 里山考

 二次遷移の途中にある森林や人間の手の加わった森林のことを「二次林」と呼んでいるが、いわゆる「里山の雑木林」がその典型だろうと思う。薪炭も落葉の堆肥なども現在は殆ど需要がないので、下草刈りや除伐や間伐や剪定など、森の面倒を意識的に(計画的に)、人間が(行政が)やらないと、美しい里山(二次林)は維持できない。森林の自然な遷移を、そのときの人間の都合のいいようにある段階で意図的にストップさせたのが美しい「里山の森」である、という言い方もできるかもしれない。

 (神奈川県秦野市の)丹沢前衛の弘法山一帯はコナラやクヌギやイヌシデなどが明るく茂る美しい森に誘導されている。流石に環境省が「里地里山保全再生モデル事業の実施地域」に選んだだけのことはある。私は慶応や明治よりもずっとあとに生まれ育った世代なので(残念ながら)国木田独歩の世界は体験していないが、多分この弘法山公園の森は昔日の武蔵野を彷彿とさせる美しい里山ではないか、と思う。

 自然公園などの樹木の管理は大変だろうと推察する。 東京の私の家の近くにある小さな公園でさえ、落葉かきや雑草刈りや掃除や樹木の剪定など、しょっちゅう専門の業者がやっている。何が良くて何が悪いのかは私には勿論分からないが、お金(税金)や人手をかけて美しい雑木林(里山)にするのとほっぽっておいて鬱蒼とした(それなりに美しい)照葉樹の自然林にするのと、さてどっちがいいのか?

 どういう里山に誘導するかは、その地の利権者や住民や行政の、その「考え抜いた結論」の総和が決めることになるのだろう。何百年何千年という年月をかけて白神や屋久島のような原生林に導くのか、昔日の武蔵野やよく管理された公園森のような森に導くのか、あるいはその両方を部分的に取り入れる(ゾーニングする)のか、いろいろな考えの人がいるので、それはかなり難しい選択だろうと思う。考え抜いて出た結果がどう転ぼうと、無責任のようだが、私はどうでもいいと思う。ただ、どっちつかずの(中途半端な)結論で、ある時代はそのときの人間の気分で木を伐ったり植えたりして、ある時代はそのときの人間の考え方の結論でほっぽっておいたり、といったようなことはいろいろな意味で非常に非効率的だと思う。
 だから、どっちにするのか(里山の自然を保全するのか保存するのか)の議論はとことんやってほしいと思う。少なくともその地の住民(とその永代の子孫も含め)が、その裏山の自然(森)に対しての「はっきりとした意思」をもつことが必要で重要なことだと思う。

 神奈川県の秦野市は「はっきりとした意思」をもっていた。弘法山とその周辺の小さな山域は、「美しい里山=管理された二次林」の道を今まで歩んできた。そしてその結果、素晴らしい里山の景観(森)を得ることができた。それはとても立派でステキなことだと思う。でも、せっかくこうなったのだからこれからも未来永劫に変わらないであってほしいと念ずるのは、じつはそれは「よそ者」の軽率さかもしれない。なんとなれば、そのためにはこれからもこの地の森は、今まで通り、とことん管理されなければならないのだから。そしてその管理の殆どすべては「地元」でするのだから…。もっとも、管理されて(お金をかけて)美しくした森に人が集ってお金を落とし、それで地元が潤うのだとしたら、それはそれでひとつの地方の理想のカタチなのかもしれない…。

* それにしても、近年の里山の放棄(ほっぽっておく→人手が入らない→つまり自然)が生物の多様性を阻害している、というのが何とも皮肉な話ですね。


 ケース・バイ・ケースが「自然保護」の本流であることを踏まえたうえで、敢えて私は「保存的な自然保護」を提唱してきた。だから本項の流れに逆らってしまうようで恐縮するが…、私の個人的な経験論と嗜好から云えば、何百年何千年とほっぽっておいた森(原生林)は、よく管理された里山や庭園林などよりも蘊蓄に富み美しい、ということになる…。
 私の好きな言葉が三つある。「ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)」と「レット・イット・ビー(ほっぽっておけ)」と、そしてもうひとつは「あとは野となれ山(森)となれ」である。



吾妻山へ向かう尾根道にて
弘法山の雑木林にて
右側の管理された美しい雑木林よりも、左側の鬱蒼とした照葉樹の天然林に、思いを馳せてしまう・・・・


自然と自然保護について 当サイトのページです。参照してみてください。
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