3泊4日で日光の秋を歩く(後編) No.341 社山から黒檜岳1976m 平成27年(2015年)10月30日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(黒檜岳)へ *** 前項「細尾峠から夕日岳」からの続きです ***
数年前までは民宿があったという狸窪(むじなくぼ)を通過する頃から明るくなってきて、八丁出島の付け根を横切るころには陽が昇り始めた。太陽の明るさで元気になった私達は、湖岸の砂浜が良い感じの阿世潟(あせがた)の分岐では休まずに、南へ向かって山道を登った。 中禅寺湖の水面標高は1269mだから、標高差で140mほども上っただろうか。案外あっけなく阿世潟峠に着いて、ここで朝食にした。前夜のうちに宿で作ってくれたお弁当(大きなおにぎりが二つ)だ。この阿世潟峠から南へ下る道は足尾郷へ続いており、あの勝道上人が歩いた修験道の道でもあるという。この峠は“中禅寺湖南岸尾根が最も低く落ち込んでいる鞍部”で、東へ続く山道は半月山から茶ノ木平へ至り、私達の進むべき西の方向には社山〜黒檜岳が連なっている。 西へ向かってまず社山へ登る、と益々視界が広がる。右手を振り返るとダケカンバやミズナラの樹林の隙間から男体山が中禅寺湖に浮かんでいるように見えている。後ろ(東側)の、黄葉が辛うじて残っているカラマツ林の樹冠上の、半月山1753mが近くて大きい。そして、左手(南面)には植生が蘇りつつある足尾方面の山並みを見ることもできる。そう…、ここは日光と足尾の分水嶺(境界尾根)でもあるのだ。樹木が疎で若くて低いのは、昔日の鉱害の余韻なのか、それとも山火事の名残なのか…。明るくておおらかで伸びやかなこの山稜は(皮肉なことに)まったく素晴らしい展望だ。しかも本日の天気は上々だ。 葉が落ちたダケカンバや常緑針葉樹のコメツガが目立ち始めて間もなく、三等三角点のある社山1827mの山頂へ着いた。土と笹からゴロ岩の生えたような趣深い山頂で、展望もそこそこの、日本庭園のようないい感じの山頂だ。しかし今日の縦走は長丁場だ。のんびりとはしていられない。この社山から先(西)は、国土地理院の地形図には登山道の破線は書かれていない。…ミヤコザサの生茂る明るい尾根道を下ったり上ったり、いつ果てるともないアップダウンを繰り返すことになる。 所々にダケカンバの(若い)純林なども出てくるが、その殆どはあっけらかんとした笹道だ。背の低いササ原は歩きやすいが、成長がよくて少し背が高くなっている箇所はラッセルだ。しかも尾根は複雑に屈折している。西面から北面にかけて連なる皇海山・宿堂坊山・錫ヶ岳・奥白根山・三岳・山王帽子山・太郎山、そして男体山などの峰々がくっきりと見え隠れしているし、南面の足尾方面などの展望もいいのだが、道だか何だかわからない箇所もあったりで、尾根筋を外さないように慎重に前進する。何気に、シカの糞があちこちに落ちている。而して、この平坦な山稜はまったく素晴らしいロケーションだ。 不明瞭な笹道を、もうずいぶんと歩いた。前方にこんもりとしたコメツガとダケカンバの森があって、「社山⇔黒檜岳」という道標が立っている。あぁ、やっぱり正しい道を歩いてきたんだ、と安心したのも束の間。この少し先の(標識の無い)分岐で、私達は決定的なミス(道迷い)をしてしまう。あとで判明したことだが、そこが“大平山分岐”だったのだ。私達は前方に見えていたおっとりとした山容が黒檜岳だとばかり思っていたので、この分岐が黒檜山山頂への分岐だと確信していた。地図もコンパスも確認した、つもりだった。だからこの分岐を(自信をもって)左前方へ、道標の赤テープを頼りに、暗い森へと進んだのだ。しかしこの方向は、黒檜岳1976mの南西に位置する大平山(別名:松木山)1960mへ続く道なき道だったのだ。 進む方向や地形が(地形図とは)微妙に違うので、なんか変だな、とは思っていたけれど、自信をもっているということは処置の無いことだ。森の中をずんずん進んで、ぐるぐると旋回して、そして徘徊して、ついに佐知子が 「やっぱり変よ」 と云って、表情を硬くしてそこを動かなくなった。自信を失いかけた私だが、それでも(佐知子に声の届く範囲で)一人であちこち歩き回った。通算で1時間近くは彷徨って、そしてとうとう自信を失って観念した。佐知子がじっと待っていた場所までは(辛うじて)赤テープがあるが、そこから先の赤テープがどうしても発見できないのだ。…発見できたとしたら、もしかして私達は大平山まで登ってしまったかもしれないが…。今いる私達の位置が分からなくなったのだ。つまり真正の道迷いだ。さぁ、どうする…。 やっぱり、とりあえず、赤テープを頼りにもと来た道を戻ろう、ということになった。長い復路になるけれど、社山経由の(来た道を)戻ることも内心では覚悟していた。しかし…、分岐(大平山分岐)に戻ってすべてが判明した。私達は自信をもって左側(直進方向)へ進んだのだが、細い道筋だと思っていた右側の道らしき先に例の道標(黄・赤の正方形のプレート)を発見したのだ。地形図とコンパスを何回も確認して、この時点で自分たちの勘違いをすべて理解した。ほっとして脱力して、そこに座り込んで中休止にした。そういえばかなり長いこと休憩をしていなかった。…もう分かった。もう間違えない。 大平山分岐を右に(正しい方向に)進んで暫くすると、今度はしっかりとした立派な道標が立っていた。ここが黒檜岳の分岐で、左折してすぐの処がその山頂だった。ダケカンバやコメツガ、それに(ウラジロ?)モミなどが林立する、ひっそりとした平らで地味な山頂だったが、私達はこの上もなく仕合わせな気持ちで長いこと佇んだ。 黒檜岳の分岐へ戻り左折して千手ヶ浜へ下る。アズマシャクナゲが所々に群生する、落ち葉の絨毯を敷きつめた、これもすてきな下山道だった。たくさん落ちていた赤くて小さな実はナナカマドだったかな、それともアズキナシだったかな…。 湖畔に降り立ってから木橋をいくつか渡り、誰もいない千手ヶ浜を30分ほど観光して、奥日光低公害バスの停留所に到着したのは15時20分頃だった。ちょうどバスが出たばかりだったので、中禅寺湖周回線歩道を歩いて菖蒲ヶ浜から竜頭ノ滝バス停まで歩くことも考えたのだが、やっぱり疲れていたので、次のバス便(15時55分発の赤沼車庫行き)に乗車することにした。千手ヶ原のミズナラやハルニレやドロノキの保護林を見学したりなどして、待ち時間の約30分間は飽きなかった。…低公害バスの乗客は、もちろん私達の二人だけだった。 赤沼で(日光駅行きの)東武バスに乗り換えるのだが、低公害バスのダイヤは乗客のことをあまり考えていないようで、すれ違いに出て行った東武バスを見送るはめになった。夕まぐれのとても寒い時間帯だ。バス停脇にある赤沼茶屋は(平日なので?)閉まっていたけれど、裏手に建つ赤沼自然情報センターが開いていたので、これ幸いと、そこで約40分間の待ち時間を過ごさせてもらった。情報センターの管理人さんはとても親切なかたで、私達のためにストーブに火を入れてくれた。 予定より大分遅れて中禅寺温泉「日光山水」に戻った私達を、宿の方たちは暖かく迎え入れてくれた。夕食時間までの慌ただしい時間だったが、入浴後の佐知子は、もちろん色っぽかった。 ●第4日目(10月31日): ゆっくりと朝風呂に浸かって、美味しい朝食もまったりと食べてからチェックアウトする。それから中禅寺湖の東岸を歩き、立木観音(中禅寺)を参拝してから、イタリア大使館別荘も観光して、その駐車場に昨日の未明から停めてあったマイカーに乗る。 そして、栃木市と小山市の中間にある(思川にほど近い)田舎に寄って、父を引き取ってから帰路につく。私達夫婦はとても満足な気持ちだったが、数日間をふるさとで過ごした父の表情はもっと幸せそうだった。 中禅寺温泉「日光山水」については「No.107男体山」を参照してください。 「日光山水」のホームページ 佐知子の歌日記より 秋深む広い笹原歩(ほ)をあわせ君と二人の展望の社山 一時間の道迷い経てたどりつく手ごわい森の黒檜岳なり
「社山から黒檜岳」・写真集: 大きな写真でご覧ください。
展望抜群! 明るく開けた中禅寺湖の南岸尾根
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