No.358 十文字山から白泰山 平成29年(2017年)8月24日〜25日 |
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【歩行時間: 第1日=3時間40分 第2日=7時間】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(十文字山) 信州の梓山(長野県佐久郡川上村梓山)から十文字峠を越えて武州の栃本(埼玉県秩父市大滝村栃本)へ至るトレイルは、大正時代頃までは信州と武州を結ぶ生活道路だったという。いにしえの山の先達・あの田部重治さんや木暮理太郎さん、そして大島亮吉さんなども好んで歩いたという峠道だ。青春時代に読み漁った彼らの奥秩父に関する著作(山行記)には「栃本」という地名が随所に出てきて、何時しか私には愛執にも似た感情が刷り込まれていた。 12年ほど前に森林インストラクターの資格を得た私だが、その頃に勉強した国有林野独自の(たくさんの)保護林のなかに「十文字峠植物群落保護林」というのがあるのを知ったときからも、この地に寄せる好奇心が益々強くなっていた。行きたくて仕方がないのだけれど、そのときはもっと行きたい山があったり“しがらみ”があったりで…、その度に断念していた。一言でいえば、十文字峠越えは、私にとっては一種の「あこがれ」になっていたと思う。 今回ようやくその機会に恵まれた。山行のコース設定については、梓山から十文字峠への道は既に歩いたことがあるので(→No.53「甲武信岳」)、タクシー代を奮発して三国峠からの入山とした。つまり「関東百山・実業之日本社」の該当項(十文字山)に紹介されているルートを辿ることにしたのだ。…久しく意識はしていなかったけれど、「関東百山・関東百名山」も残すところ数座となっている…。 ●第1日目(8月24日・木) 新三国峠〜十文字山〜十文字小屋 新宿発8時の特急スーパーあずさ5号に乗って2時間弱、小淵沢駅で2両編成の小海線に乗り換える。一人だから座席で眠ってはいられない。情緒豊かな緑の谷間を5駅ほども進んだ信濃川上駅に降り立ったのは、私と同じような風貌(つまり中高年の男性ハイカー)との二人だけだった。言葉を軽く交わしたが、彼は路線バス利用で、梓山から歩いて毛木平経由で十文字小屋泊まりだと云う。私はタクシー利用での(三国峠からの)アプローチなので、じゃぁ〜小屋でお会いしましょう、ということで駅前から出たバス(電車との連絡が非常に良い!)を見送った。彼も私と同じコースならば、タクシー代が半額で済んだのに…、と心の中でぶつぶつ云いながら、バス停傍の貼紙を見てタクシー会社(川上観光タクシー)へ電話する。約15分後に、人の良さそうなオジサンが運転するタクシーが、閑散とした駅前広場のベンチに腰かけていた私の前に停まった。 レタス畑の広がる山間を縫うように、川上村道192号梓山線(旧梓山林道)を、タクシーは快調に走る。車窓から入り込む風が爽やかで心地よく、沿道にはコスモスが(もう)咲いている。 「今年の8月は天気がずっと悪くて、それで秋が早いのかなぁ…」 と話しかける私の質問には答えずに、人の良さそうなタクシーの運転手さんは、それからずっと、三国峠から数キロほど北側に位置する御巣鷹山の話(例のあの航空機事故についての裏話)をしてくれた。その話が一段落して、当地(川上村)出身の宇宙飛行士・油井亀美也(ゆい きみや)さんの話が始まったころ、標高1730mに位置する新三国峠に到着した。で、実際の乗車時間は40分間ほどだったのだが、あっという間に感じた。タクシー料金は8,320円。懐はとても痛い。 今回はカットするけれど、この峠の北側(歩程にして往復1時間弱)には信州と上州と武州の国境に位置する三国山1834mがある。トイレの脇から始まるその三国山への登山口を確認したり、右手(北東方向)に見えているギザギザ頭の山が両神山であることを確認したり、暫くの間は峠のあちこちを散策してみる。秩父側の道(市道大滝幹線17号線・旧中津川林道)については、この先の区間は(昨年8月の台風9号の影響で)車両通行止めになっているようだ。…なにやかやで、道標に従って新三国峠から南へ(十文字峠へ)向かって歩き始めたのは12時近くになっていた。 小さなカラマツ林を抜けて少し進むとマルバダケブキがいっぱい咲いていて、アサギマダラが気持ちよさそうにひらひらと飛んでいる。タカネママコナやタカネナデシコも少し咲いている。ミズナラ、ナナカマド、ヤマハンノキ、アカマツ、リョウブ、ツツジ類、そしてダケカンバやコメツガやトウヒ…。奥秩父らしい植生になってきたなと思ったころ、歩き始めてから30分足らずで、三等三角点(点名:梓山)のあるこじんまりとした悪石(あくいし・1850m)のピークに着いた。ここで出会った男性ハイカーが、矢張り私と同じくらいの世代のKさんだった。梓山のバス停から林道を三国峠まで(足で)登って、そしてここまで来たそうだ。マイカーやタクシーの利用は彼の流儀に反するとのことで、公共交通機関のみを利用しての登山に徹しているという。私はそれを聞いて感銘を受けて、やっぱりすごい人がいるもんだと思った。Kさんは 「この先の梓白石(岩峰)に登ってみるつもりです。話の続きは同宿予定の十文字小屋で〜」 と云って、先へ進んでいった。一人残った私はここでメロンパンとグリコポッキーの昼食にする。 アズマシャクナゲの群生が目立ってきた県境尾根(三国尾根)を更に南下する。右側(西側)は信州の千曲川、左側(東側)は武州の荒川の領域だ。この山稜に沿って(瑞牆山的な)岩峰が随所に出てくるけれど、なだらかな山容が多い奥秩父の山域としては珍しい山岳風景だと思う。 随分と進んでから耳を澄ますと、左前方の岩壁の方から「チリーン」とクマよけの鈴の音が聞こえた。Kさんが梓白岩1853mのヤブと岩を攀じ登っているんだな、と思った。私は(もちろん)右側の巻道を進み、西上州の山々〜両神山〜十文字山・三宝山方面を眺めることのできる展望箇所でも中休止する。 常日頃の鍛錬不足の私にとっては、このアップダウンの連続がとてもきつく感ずる。弁慶岩1879mも西側を巻いて、この日最後の登り返しで十文字山2072mの山頂に立ったときはホッとした。樹林に囲まれた地味な山頂だけれど、ここから十文字小屋は目と鼻だ。三等三角点の標石の傍らでまったりと休憩していたら、Kさんがクマよけの鈴をリンリン鳴らしながら登ってきて、ここで再び合流した。 「梓白岩のピーク往復は案外と簡単で、正味15分ほどでした。360度の大展望でしたよ!」 と告げる彼の顔が輝いている。 Kさんといっしょにシラビソの多くなってきた山稜を下り、十文字峠の十文字小屋に着いたのは午後4時30分頃だった。小屋入口の引き戸を開けると、信濃川上駅でいっしょになった(梓山・毛木平経由で登ってきた)私と同じような風貌の男性ハイカーが、玄関広間のテーブルから私を見上げてニッコリとほほ笑んだ。結局この日の十文字小屋の宿泊客は(私を含めて)何れも単独行の、むさくるしい中高年男性が3人と、そしてもう一人の(青年と中年の中間くらいの)男性との計4名だった。 * 十文字小屋: 標高2035mの十文字峠に建つ、収容人数80名の営業小屋。1泊2食付きで8,100円。テント場も有る。優しくてしゃきしゃきした感じの女性小屋番さん(宗村みち子さん)が取り仕切っている。宗村さんご本人から聞いた話だが、ウン百名山(例えば四百名山とか五百名山とか…)を目指して、小屋の休みの日には(単独で)国内のあちこちの山へ登っているそうだ。公共交通機関利用に徹しているKさんといい、すごい人ってたくさんいるものだ。 十文字峠はかつては中山道の裏街道として交通の要衝でもあったというが、現在でもシャクナゲの季節(5月下旬〜6月)には多くの登山客が訪れるという。そんな旬の季節にも是非訪れてみたいと、やっぱり思った。 17時30分からの夕食。ランプの赤い明りの下で缶ビールを飲みながら、ポトフー(もどき?)などの料理を食し、そして女性小屋番さんを交えての5人での山談議は楽しかった。名残は尽きないが、明日のために各自は寝床に潜り、結局、夜の7時頃にはもうみんなぐっすりだった。 ●第2日目(8月25日・金) 十文字小屋〜白泰山〜栃本 午前4時10分には完全に目が覚めて、懐中電灯を点けて表へ出て、小屋前広場の水場(流し)で冷たくて美味しい水をペットボトルに詰め込む。十文字小屋の周囲はシラビソ、コメツガ、アズマシャクナゲなどの樹林に囲まれていて殆ど展望は無いけれど、この流しの向こう側(東側)には木々が疎になっている箇所があって、空が茜色に染まり始めているのが見て取れる。他の宿泊客や女性小屋番さんも表へ出てきて、徐々に明るくなっていく鮮やかな朝焼けを写真に撮っている。朝からこんなに晴れたのは久しぶり、と小屋番さんは云っていた。朝食は5時30分からとのことだったが、実際は5時を少し回った頃から用意してくれた。 今日の歩程は下りとはいえコースタイム7時間25分(山と高原地図・昭文社)の長丁場だ。小屋番さんや同宿の面々に挨拶して、小屋の南側から気合を入れて歩き始めたのは6時少し前だった。少し進んで三宝山・甲武信ヶ岳方面へ続く県境の尾根道を右に分け、更に20分弱で股ノ沢分岐も左折して、それから25分ほどアップダウンして「四里観音避難小屋・水場2分→」と書かれた指導標の傍で第1回目の小休止。コメツガ、シラビソ、トウヒ、ダケカンバなどの亜高山性の苔生した天然林(ほとんど極相・原生状態)がずっと続いていて、奥秩父の常(真骨頂)とはいえ、やっぱり素晴らしいロケーションだ。 大山1860mはその南面を巻き、奥秩父林道への道(崩壊が進んでいて現在は閉鎖されている)を左に分けて、三里観音でもウン回目の小休止。この里程標の観音石像は思ったよりも小さくて、うっかりしていると見過ごしてしまいそうになる。地形図で四里観音〜三里観音〜二里観音〜一里観音のそれぞれの直線距離を測ってみたら、凡そ3Kmほどで、多分道程(道のり)としては(山道なので)正味1里くらい(約4Km)はあると思う。昔の人はどうやって測ったものか、それもスゴいと思った。 赤沢山1819mはその北面を巻く。標高が少し下がってきたからか、ブナ、ミズナラ、カエデ類(ミネカエデ、イタヤカエデ、ハウチワカエデなど)、リョウブ、(三葉や五葉などの)ツツジ類、そしてアセビが目立ち始め、亜寒帯性から冷温帯性の樹種に徐々に変化しているようだ。それらの樹林の隙間から、時おり近隣の山岳風景が見え隠れする。二里観音のある白泰山避難小屋の前にザックをデポして、すぐ近くの「のぞき岩」を覗いてみる。と、大きな谷を隔てて南西面の峰々(雁坂嶺〜破風山〜木賊山〜甲武信岳〜三宝山〜双耳峰のように見える近くの赤沢山〜など)が、凡そ150度の角度で大迫力! 展望箇所の少ない本コースにおいて、これは必見の展望台だ。たった数十メートルとはいえアルバイトには違いないのだが、行ってみてよかったと思った。 白泰山1794mは、巻道を進まずにちゃんと山頂を往復した。二等三角点のある小広い山頂はコメツガ、ダケカンバ、株立ち状の立派なアセビ(多い)、コシアブラ、などに囲まれて展望は無いが、落ち着ける空間だった。登りの斜面で「東京大学」と書かれたヘルメットを被った作業着の若い女性とすれ違ったが、そう云えばこの辺りは東大の秩父演習林の一角でもあったのだ。「見回りですか。ご苦労さまです」と話しかけたら少し頬を緩ませて二言三言、言葉を返してくれた。 白泰山の登りでは東大生の女性に出遭ったのだが、下りでは(なんと)十文字小屋でいっしょだったKさんとすれ違った。話を聞くと、どうやら大山も赤沢山もその頂上を極めてきたらしい。やっぱり相当にすごい人だと思う。別れ際に「どうせ(栃本関所跡バス停からの)14時29分のバスには間に合いそうもないので、ここからはゆっくりと歩きます」と云う。「やっぱりそうですよね…、その次の16時23分ですかね。私も間に合いそうもないので、今まで通りゆっくりと下ります」と私は返事した。結局、今回山行の山中で出会ったのはヘルメットの東大女性と、クマよけの鈴をつけたこのKさんの二人きりだった。 道が歩きやすくなだらかになってきたけれど、森の木々がザワ〜っと音を立てて、雨が降ってきた。風が無くて小雨だったので、とりあえず傘を差しながら歩いた。まだまだこの先は長いので、退屈しのぎに歌でも歌ってやろうかと思ったけれど、その歌がなかなか出てこない。 というか憶えている筈の歌を思い出せない。そのうちに気がついたら「♪ドナドナドォナァドォナァ〜悲しみをたたえ〜」と歌っている。正確な題名(Donna.Donna)も歌詞もそのときは忘れていたので、同じフレーズを何回も繰り返した。そのうち「ドナドナ〜」にも飽きたので暫く静かにしていたら、今度は何故か「伊勢佐木町ブルース」が頭に浮かんで、「♪タラッタタラララッタタ〜〜ウッフ〜ン」 と口ずさむ。これはこれでけっこういいリズムだ。 などといい感じで歩いていたら、一里観音と思しき石像の脇を通過した。「えっ、もう一里観音?」と時計を見ると13時丁度。登山地図で確認するとここから栃本関所跡まではコースタイムにして1時間30分だ。もしかして14時29分のバスに間に合うかも…、と、ここから私の猛ダッシュが始まる。なだらかで安全な箇所では小走りで…、走っている自分を「スゲェ〜! 田中陽希さんみたい〜」と思ったりした。まぁ…動機は不純(下山後の大滝温泉「遊湯館」で湯上がりのビールを一時も早く飲みたい)だったのだけれど…。 何時しか雨は止んでいて、周囲はスギやヒノキの植林地帯になっている。伐採跡の(南面の展望が)開けた箇所なども通過するが、このときの私には山座同定をしている余裕はない。→見えていたのは多分…和名倉山(白石山)から唐松尾山〜雁坂嶺方面だと思うけど…。 栃本広場分岐〜十二天尾根休憩所〜両面神社〜と、林道をショートカットしたりして快調に飛ばす。やがて栃本の閑静な集落へ出てほっとして、なんとも美しい情景の…風景というよりは情景と云った方が相応しい…小道をなだらかに下る。結局、R140号線(秩父往還=秩父街道)とのT字路(栃本関所跡のバス停)に着いたのは14時10分で、大滝温泉遊湯館行きの村営バスには楽々間に合った。おかげで谷間にへばりついているような天空の村・栃本の情緒ある景色をゆっくりと堪能することができた。“埼玉のマチュピチュ”と形容する人もいるそうで、私は本物のマチュピチュへは行ったことはないけれど、さもありなんと思う。小型路線バスの乗客は…、矢張り私一人だけだった。 長丁場でアップダウンのある(あこがれの)十文字峠越えだったけれど、思ったよりも足が動いて、体力に自信を失いかけていた焦燥感にちょっぴり歯止めがかかったのが嬉しかった。めでたしめでたし〜。 栃本関所跡から秩父往還を300mほど東へ進んだ処に田部重治さんの歌碑がある。 …栂の峰いくつか越えて栃本の里へいそぎし旅を忘れじ… 大滝温泉「遊湯館」については拙山行記録の秩父御岳山の項を参照してみてください。
パノラマ合成しました! 三国尾根の展望箇所から東面を望む(第1日目) ↑ 双耳峰的な赤沢山が2枚とも(つまり両方向から)写っているのが面白いと思います。↓ 白泰山避難小屋近くの「のぞき岩」から南西面を望む(第2日目) このページのトップへ↑ ホームへ |