No.357 女峰山から大真名子山 平成29年(2017年)7月5日〜6日 |
|||
【歩行時間: 第1日=5時間30分 第2日=8時間50分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(女峰山) 栃木県日光市にある日光表連山の王(盟主=父親)が男体山2486mだとしたら、飛車と角行というかクイーンとルークというか三銃士というかファミリーというか、な感じなのが女峰山(にょほうさん・2483m)と大真名子山(おおまなごさん・2376m)と太郎山2367mだと思う。長男の太郎山には登ったことはあるけれど、私は未だ母親の女峰山と子供(愛児)の大真名子山の山頂を踏んでいない…。 ここ最近は父の症状が落ち着いているので、介護のことなどは妻の佐知子に任せて、梅雨の晴れ間というか台風一過というか、のワンチャンスに、ず〜っと狙っていたその日光山群の重鎮・女峰山と大真名子山へ、単独で出掛けた。少し気が引けたが、久しぶりの避難小屋(唐沢小屋)利用で、それも楽しみに感じた。 * 日光三山という云い方がありますが、この場合は男体山と女峰山と太郎山を指します。これには鎌倉時代から引き継がれてきた宗教的な背景もあるようで、それぞれに日光権現(新宮権現、滝尾権現、本宮権現の三社)が祭祀されているそうです。 ●第1日目(7月5日・晴): 唐沢小屋を独り占め! 現在の林道・裏男体線は、“落石発生等に伴い…起点(三本松)から2.0kmより先の区間”が通行止めとなっている。で、その“起点”から2.0kmの地点・つまり梵字飯場跡の駐車場に車を止めて、ゲートの脇をすり抜けて歩き出したのは午前8時半頃だった。振り返ると青色のマイカーが広い駐車場の隅っこでぽつんとしている。今日は未だ誰もここには来ていないようだ。 まずは林道歩き。人工林(カラマツ林)や自然林を交互に観察しながら、なだらかに上る。自然林の主はダケカンバやコメツガで、それにアサノハカエデやウリハダカエデなどのカエデ類やミズナラ、ヤマハンノキ、ナナカマド、ヒロハカツラ、モミ、アスナロ、なども交ざっている。林床は例の(当地でおなじみの)ミヤコザサで、あれもこれも気持ちのよい植生だ。ウグイスが、私が近づくと「ケキョ、ケキョケキョ」と谷渡り。その切羽詰まった鳴き方が「てぇへんだ・てぇへんだ〜変なのがきた・変なのが歩いてる〜てぇへんだ・てぇへんだ!」と私の耳には聞こえて、なんかとても可笑しかった。明るい道端にはシロバナノヘビイチゴやイワニガナ(ジシバリ)がきれいに咲いている。しかし…シュラフやコンロや2日分の食糧などでパンパンに膨れ上がった45リットルザックが、とても重い…。 湯殿沢橋の辺りで小休止したりして、正味1時間30分(距離にして5.1Km)ほどの舗装道歩きで志津峠(志津越え・志津乗越)の広い十字路に着いた。ここでも小休止しながら地形図を読むと、スタート地点の梵字の標高が1494mでこの志津峠が1785mだから、既に291mを上ったことになる。やれやれ、けっこうなアルバイトだ。男体山への道を右に分け、(下山路に予定している)大真名子山方面への道を左に分け、よろよろしながらザックを担ぎ直して直進する。ここからは非舗装の志津林道で、私にとっては初めての道になる。 志津峠から2kmほど(志津林道を)なだらかに下ると、右手の清滝(東照宮の西)方面から上ってきている野州原林道に吸収されて、再びなだらかに上り始める。前方には帝釈山から女峰山〜赤薙山へと続く端正な山並みが見えている。ザックが重くなければ、この林道歩きは(シラカバもあったりして)、高原のハイキングを満喫できる素晴らしいロケーションだと思う。 馬立分岐からようやく山道になる。少し下って岩ゴロの涸れ沢(馬立=荒沢出合)で昼食の大休止。そしてここからコメツガ、シラビソ、ダケカンバ、シャクナゲ(下部はアズマ…、上部はハクサン…)の生い茂る急勾配をゼーゼー云いながら登り、ガレた沢筋の水場でも大休止。3.0リットルと0.5リットルのペットボトルと1.2リットルの水筒にたっぷりと冷たくて美味しい水を詰める。この水場から唐沢小屋までは標高差にして100mほどなのだが、肩に食い込むザックの重さと常日頃の鍛錬不足がたたって、正味30分はかかってしまった。道端に(まだ咲いていてくれた)イワカガミの可憐な花が目立ち始めて間もなく、目の前に忽然と唐沢小屋の白い建物が現れたときはやっぱりホッとした。まだ午後の3時前だ。う〜ん、でも、肩が痛い。脚の筋肉も痛い。腰も痛いし痔も痛い。水虫が痒い。 * 唐沢小屋(唐沢避難小屋): 昭和55年(1980年)に建てられたという24人収容の避難小屋。女峰山頂の南側下部の馬立コースと黒岩コースの合流点(標高2240m)に位置している。室内などはきれいに管理されていて、至極快適。コメツガ、シラビソ、ウラジロモミ、ダケカンバといった中部日本の代表的な亜高山種に囲まれたロケーションは秀逸だと思う。 小屋前広場にはミネザクラと思われるものや、テツカエデかなオガラバナかな…といったカエデ類の樹木も少しあった。水場がちょっと遠いのは難点かもしれないが、私が選んだ今回のコース設定(馬立コース)ならば、行きがけの駄賃で冷たくてきれいな水を得ることができる。小屋内には銀マットとか毛布とかせんべい布団とか(数枚)あるけれど、私的には、あまりあてにしない方がいいと思う。 私一人の貸し切り状態の唐沢小屋で竹鶴(ウィスキー)をちびちび飲りながら、切り刻んで持参した野菜たっぷりの塩ラーメンで満腹になった夕べ。未だ明るい6時半頃には、シュラフに潜りこんでもうぐっすりだった。 夜中の12時頃にふと目が覚めた。暗闇の中で「カタッ…カタッ!…」と、なにやら物音がする。暫くじっとして聞いていたけれど、う〜ん、それは建物からしみだしてくる“音”で、なんの問題もないと判断する。…でもなかなか眠れなくなってしまったので、懐中電灯を点けて外に出てみた。そしたら、ドア前の(南の方向の)シラビソなどの樹木の上空に、十日夜(とうかんや)の月が皓々と照っていた。 ●第2日目(7月6日・曇): 女峰山と真名子山を独り占め! 午前4時20分頃だったろうか、窓が明るくなっているので慌てて起きてシュラフをたたむ。それから湯を沸かして(商品名は忘れたが)パスタなんとかという(ポタージュにマカロニを交ぜたような)インスタント食品とポテトチップを食する。くやしいけれど、これらがけっこう美味い。缶詰のリンゴジュースを飲んで、仕上げはもちろんホットコーヒー。室内の温度計によると摂氏11度…涼しくて清々しい朝だ。 小屋裏のシブい不動明王像と石祠にちょっと手を合わせてから、ガレとドロ壁の急勾配を登り始めたのは5時30分頃。高度が上がってくると樹高が低くなり、空が抜けて明るくなってきて、ハクサンシャクナゲの群生地を通過する。足元の所々にはイワカガミやツガザクラが咲いている。ハイマツも出てきて森林限界かなぁと思ったころ…唐沢小屋から1時間弱で…女峰山の山頂に着いた。日光開山の祖・あの勝道上人も登ったという女峰山だ。以北最高峰にして以東最高峰でもある女峰山だ。あの深田久弥が二度とも(悪天候のため?)辿り着けなかった女峰山だ。 砂礫と岩ゴロでこじんまりしている女峰山の山頂には、小さいけれど立派な木祠があって、ここには大国主命の妃の一人(田心姫命)や日光権現などが祀ってあるという。360度展望のステキな山頂だけれど、この日は霞んでいて遠望は利かず、男体山の方面には雲が出始めていた。それでも、これから向かう大小の真名子山や帝釈山はよく見えている。「しかし…う〜ん…先はまだ長いなぁ…」 と独り言。 女峰山2483mの山頂からは西へ踵を返し、日光三嶮(*)のひとつで「馬の背渡り」と呼ばれる痩せ尾根(剣ヶ峰)を進み、クサリ場を攀じ登って専女山の狭くて情緒のある山頂へ出る。このころからガスってきたこともあり、ここでは休まずに帝釈山2455mへ向かう。ハイマツ、ミヤマハンノキ、ハクサンシャクナゲなどの明るい稜線歩きだ。これから咲きそうなクロマメノキ(秋の紅葉はきれいだろうな)なども随所に観察できる。山稜に咲いている花はイワヒゲ、ツガザクラ、ミヤマダイコンソウ、ミツバオウレン、コケモモ、そしてイワカガミなど。どれもこれもとてもきれいだ。 ところで、帝釈山の肩コブみたいな専女山(センニョサン?)という山は、山頂標識を見て今回初めて知ったのだが、地形図(25000図)では山名注記のないピークだ。なこともあり、正確な標高(多分2430mくらい)も山名の謂れも全く分からないミステリアスな山だ。興味津々だが、三省堂の山名事典にも載っておらずネット検索でも引っかからず、分からないものは分からない…。 矢張りガスっていた帝釈山から富士見峠への下り(標高差で約420m)が、私の好きな鬱蒼としたシラビソの森なのだが、いわゆる悪路で長かった。若いころは“下り”が得意だったけれど、平衡感覚がおびただしく低下している老体になった昨今、この下りはちときつい。しかし…(公園のように整って明るい)鞍部の富士見峠まではなんとか順調だった。富士見峠から小真名子山への登り返しの、石ゴロの急斜面(薙ぎ=ガレ場)で事故が起こってしまう…。 浮き石とは気付かずにホールドにした直径50〜60cmほどの大石がぐらっと揺れて、私の(幸いなことに)右側を転がり落ちた。「うゎ〜!」 と叫んで、バランスを崩した私はその場に転倒した。(両手両肘両脛の)あっちこっちが痛くてしばらく動けなかったけれど、これも幸いなことに大事には至らなくて、もう少し登った安全な場所で大休止。ファーストエイドキットの滅菌ガーゼ、包帯、バンドエードがここで(これも久しぶりに)大活躍。振り返ると、富士見峠を挟んでピラミダルな山容の帝釈山が大きい。…ふと思う。もしも複数登山で私が先頭だったら…大惨事になっていたかも…。 遠くからもよく目立っていた“馬鹿でかい電波反射板”と小さな石祠と三等三角点の標石がある小真名子山の山頂で、アンパンとメロンパンの早目の昼食にする。(電波反射板以外は)こじんまりとしていて好ましい山頂だったが、樹林に囲まれてガスっていたこともあり展望は殆ど無い。大休止の後おもむろに歩き始めるが、ここからは、ビビってしまっていたこともあり、疲れていたこともあり、安全を(何回も何回も何回も何回も…)確認しながらの超スローペースになる。 小真名子山2323mから(何回も休みながら)標高差で210mほど下って、シラビソ・コメツガに囲まれたシックな鞍部・鷹ノ巣でも一本立てて、再びシラビソやハクサンシャクナゲやウラジロナナカマドの明るい森を登り返す。小鳥たちのさえずりが私への応援歌に聞こえる。 赤ザレの崩壊地(地滑り跡?)を左手に見下ろして間もなく、矢張りシックで落ち着いた感じの大真名子山2376mの山頂に立ったのが午後2時頃。ここには木祠(御嶽神社)があり、傍らの岩上には蔵王権現の青銅像などもある。この青銅像は文久年間に作られたものであると聞くが、風雪の厳しい山頂に150年以上も立ち続けている割には、確かに、傷んだ跡が無いように見え、つやつやとしたそのお顔は可愛らしくもある。…矢張り、手を合わせる。 大真名子山から志津峠への下りがこれまた長くてきつかった。山頂直下の…これも日光三嶮のひとつ…「千鳥返し」と名づけられたクサリ場を特に緊張して下り、ベニサラサドウダンが近くに咲く三笠山神の青銅像の下でも一休みする。それからも気の抜けない急勾配(悪路・つまり山道としては面白い路)が続くので、一歩一歩が大変だ。もう身体中の筋肉や関節がボロボロで、心もヘロヘロになっている。植生の観察をしている場合ではない。ひたすら前方と足元を見てナメクジのように下る。…辺りが薄暗くなってきているので、ちょっと不安がよぎる…。 しかしそのうち傾斜が緩くなってきて、これも青銅製の八海山神像を過ぎて、ミヤコザサの生い茂るカラマツ林を抜けると明るい別天地・志津峠へ何とか辿り着いた。腕時計を見ると午後4時30分。出だしの梵字飯場跡の駐車場まではここからゆっくりと林道を下っても(というか、ゆっくりとしか歩けないのだが…)日没までには充分に間に合いそうだ。…安心したら急に力が抜けて、へなへなと近くの石のベンチに腰掛けた。すると、小真名子山の北斜面で起きた落石事故を思い出して、今までは(アドレナリンがどどっと出ていたのかな)感じなかった脛や腕の怪我の痛みが、じんじんと心にまで伝わってきた。 身体中が包帯やバンドエイドだらけになってしまったことや、予定より遅くなってしまったこともあり、今回は下山後の立ち寄り入浴はあきらめて、一路東京の自宅へ、もちろん途中のSAなどで充分に休みをとりながら、帰ることにしよう。年老いた父のことも気になるし…。 …2日間とも(とうとう)誰にも出会うことのなかった、思い出に残る、とても静かな山行だった。 * 日光三嶮(日光三険)とは、日光登山路の3つの難所のことで、今回はそのうちの2ヶ所、女峰山と帝釈山の間にある痩せ尾根「馬の背渡り」と大真名子山と志津峠の間にある「千鳥返し」を歩いたことになる。昔日の修験者たちの修行の場でもあったと推測するけれど、私的な感想としては、(登山道が整備されていることもあり)慎重に歩けば問題ない程度、だと思った。なお、もうひとつの日光三険は太郎山の南斜面のガレ場「新薙」を指すという。 [Wikipediaの該当項などを参考にして記述。] 女峰山から大真名子山・花の写真集: 大きな写真でご覧ください。 野州原林道から帝釈山〜女峰山〜赤薙山方面を望む 唐沢小屋の少し手前(女峰山の中腹)から南西方向…男体山と大真名子山を望む 佐知子の歌日記より 手・足・背にあまたのすり傷こしらえて夫が帰宅す女峰山より このページのトップへ↑ ホームへ |