No.416-1 奄美大島の山旅(前編) 令和3年(2021年)4月23日〜26日 |
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奄美の最高峰・湯湾岳694mに登る! 第2日目(4/24)=嘉鉄…高知山展望台…油井岳展望台…大和村コースで湯湾岳登山【歩行時間:40分】…マテリヤの滝…奄美野生生物保護センタ…名瀬・おがみ山公園散策 第3日目(4/25)=名瀬…金作原原生林…笠利町・土盛海岸 第4日目(4/26)=土盛…島内観光…奄美空港→成田空港 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(湯湾岳)へ 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、東京や大阪などを対象に、3回目となる緊急事態宣言が発令されそうだ。なので随分と迷ったのだが…もうずっと前から予約をとってあるし、自宅にじっとしているのにも飽きたし…誘惑には勝てず、何時ものメンバー(夫婦)で、奄美大島行きを断行した。東洋のガラパゴスと云われる南国の自然をたっぷりと堪能して、この閉塞感に一矢を報いたかったこともある。 ●第1日目(4/23・曇):マングローブ原生林とホノホシ海岸 成田空港から約2時間半、奄美空港に定時(13:05)を少し遅れて、ピーチMM541便が着陸する。強い台風2号は奄美諸島の東へ逸れているようだ。東京よりはかなりぬるめの風が、案外と気持ちよく頬を撫でる。空港出口から徒歩3分の「奄美レンタカー」で、予約の軽自動車(日産デイズ)をゲット。係員も手慣れたもので、手続きはスムーズだ。丸4日間のレンタル料9,300円は安いと思う。 奄美大島の北側に位置する空港から、トロピカルな景色を眺めながら、県道82号線→国道58号線と南進する。 途中、奄美市住用町のマングローブパークに立ち寄ってみた。このマングローブ原生林は“沖縄西表島に次ぐ国内2番目の広さ”とのことで、@500円を支払って入園して、展示物を見学したり、展望台から原生林を眺めたりして約30分を過ごす。ここが島内のあちこちにある山城跡のひとつでもある、ということも知って、やっぱり勉強になった。カヌー体験(+1,500円)は、時間が気がかりで…というかやっぱり怖いから…今回はパス。それでも、充分に南国っぽい植物たち(主にオヒルギとメヒルギ)に異国情緒を感じることができた。広場の足元には帰化植物のシロノセンダングサ(キク科の多年草)が咲いていたけれど、東京の高尾山周辺でも似たような花(コシロノセンダングサ?)を秋に見たことがある。こちらは春に咲いている。元々が熱帯〜暖帯の植物だから、春に咲くこちらのそれが本当なのだと思う。(高尾山のよりは)花びらが一回り大きい感じで、ずっと美しいと思った。 奄美大島で名瀬の次に大きな町・古仁屋で左折して、県道26号線を南東へ進む。もうここは奄美大島のほぼ南端だ。マネン崎展望台で嘉鉄湾や大島海峡を隔てた加計呂麻島を眺めたりしてから、きょうの宿「リゾネッチャヴィラ・イン・嘉鉄」にチェックインしたのは16時頃だった。 それから再び車を運転して、近くにある車エビの養殖場(一昨年に終了したらしいが…)を通過して、島の南西端に位置するホノホシ海岸を散歩する。外海(太平洋)に面していることや台風2号の影響もあるのか、凄まじいばかりの白波が押し寄せる“スピリチュアルなスポット”だ。持ち帰ると祟りがあるという海岸の名物「丸い石」は、一つ一つが案外と大きな石で、やっぱり持ち帰るのは止めにした。近くの草むらには小さくて可憐な花たち(黄色のミヤコグサや白色のハマボッスなど)がたくさん咲いている。テッポウユリやボタンボウフウも咲いている。イソノギクやヒメハマナデシコも少しだが咲き残っている。帰宅してからのネット検索などで、それらの種名が分かったのだ。もうとにかく、この島へ来てからは知らない植物ばっかりで、私の頭はパニック状態になっている。 * リゾネッチャヴィラ・イン・嘉鉄: 瀬戸内町嘉鉄の海辺近くのリゾートヴィラ。キャンピングトレーラーを改良した部屋、という一風変わった趣向で、かなりワイルドだ。シュノーケリングなどのマリンレジャーを目的とした若者を対象としたヴィラだとは思うけれど、顧客本位の優しいご主人と奥さんのおかげで、私達のような老人夫婦も大過なく過ごすことができる。置かれているトレーラー(つまり部屋)は2台で、この日の客は私達だけのようだった。 夕餉には美味しくて真心のこもった料理をたくさん頂いた。奄美料理の定番とのことだが、初めて食べたトビンニャ(マガキガイ)の塩茹でなどは、もう絶品だった。数ある当地の焼酎(黒糖酒)もいろいろと頂いて、すっかり酩酊した夜だった。部屋にテレビも何にもない、のがすごく良いと思う。この日は風が強くて夜通し部屋全体が揺れて唸っていて、外ではカエルも鳴いていた。それも「自然」でとても良い。 1泊2食付きで一人12,980円。…若干だが、コスパに問題があるかもしれない。 「リゾネッチャヴィラ・イン・嘉鉄」のホームページ 佐知子の歌日記より コロナ禍に後ろめたさを持ちながら奄美へ向かうマスクをしつつ 持ち出すと祟りがあるとう白き石 ホノホシ浜にて撫でてきたり 今日の宿はトレーラーなり 最小の用は足りるが戸惑いており ●第2日目(4/24・雨曇):湯湾岳(ゆわんだけ)登山 もう十分に明るくなった6時前に目が覚めて、佐知子を誘って近くの嘉鉄ビーチを散歩する。マガキガイなどの(私達にとっては)珍しい貝殻を拾ったり、泳いで渡れそうなくらいに近い加計呂麻島を眺めたりして、小1時間を楽しんだ。そして、7時半からの宿の朝食(美味しいホットサンドだ!)を食べてから、日産デイズを発進させる。 この日は、まず古仁屋の街並みや大島海峡を一望できるスポット・高知山展望台と油井岳展望台へ立ち寄った。ところが、このころから雨が降り出して、絶景がどんどん靄ってくる。天気予報は大当たりで、まぁ、この程度の雨は想定内だ。 それからいよいよ、今回の「奄美大島の山旅」のメイン・湯湾岳(奄美岳)登山だ。奄美群島の最高峰で、この島では唯一登山道が整備されているという、私達ハイカーにとっても希少な山だ。南側(宇検村コース登山口・標高差約250m)と北側(大和村コース登山口・標高差約100m)の二つの一般登山道があるが、さて、どちらのコースにしようか随分と迷った。まぁしかし、佐知子と阿吽の呼吸で出た結論は…この雨だし…当初の予定を変更して楽な北側からの往復登山、ということになった。やっぱり。 木製の階段(ボードウォーク)を登り、鳥居を潜ると祠(神理教・天左諸神神霊)やお堂(高野山真言宗・奄美岳大師御堂)や石碑(二神降臨之霊地)などが点在する霊気の漂う広場(鳥居広場)へ出る。湯湾岳の山頂手前(山頂部)のこの広場一帯はターサと呼ばれているらしい。島の方言で高いところを意味するそうだ。開祖の霊志礼仁久(シレニク)と阿麻弥姑(アマミコ)が降り立ったと言われる、超神聖な場所なのだ。 その超神聖な広場から自然度の高い山道を奥へ5分ほども進むと、古びた標石のある(山頂と思しき)小空間へ出るが、その標石をよく見てみると、どうやらこれは林野庁などの境界標であるらしい。試しに、踏み跡を辿ってもう少し先へ進んでみると、一等三角点の標石(点名は湯湾岳・柱石は毀損状態)と黒い石柱のある本当の山頂へ着いた。ここも鬱蒼とした原生森に囲まれて展望はない。黒い石柱(山頂標石?)の天面には「奄美岳・日本国有地・694」と彫られてあって、暫く考えて奄美岳(アマンデー)が湯湾岳の別名であることや「694」が標高694mのことだと気がついた。側面の文字はかすれていて判然とはしないけれど、「昭和三十八年一月一日」とか「日の出の栄光を両手にうけて」などと読める。…何れにしてもこの山頂部、ふぅ〜、なんかちょっと神秘的で不気味で紛らわしい〜。何処も彼処も静かな“パワースポット”だ。 結果論だが、往復(正味)40分足らずのこの大和村コースは、少し楽をし過ぎたかもしれない。とはいえ、湯湾岳一帯の真骨頂…生態系保護地域に指定されているこの地の、照葉樹やシダ類などの原生の姿(暖帯から亜熱帯までの植生)…は、しっかりと目と心で捉えることはできた気がする。まるでジャングル(熱帯雨林)を歩いているような…インディジョーンズのような探検家になった気分を味わうことができて、この奄美大島が希少な動植物たちの“神域”であることを思い起こした。去年の2月に登った石垣島の於茂登岳を彷彿とさせる…否、それ以上の森の深さを感じた、と言い換えたら具体的だろうか。 湯湾岳の山中では、とうとう誰にも出会うことはなかった。 湯湾岳を下山してから北東へ向かってドライブして、マテリヤの滝を見物してから、北側の海沿い(東シナ海側)を快調に進む。それから奄美野生生物保護センター(見学無料)へ立ち寄って、奄美大島の自然について…アマミノクロウサギなどの希少種のことや、生物多様性を脅かすおそれのある外来種(侵略的外来種)のことについてなど…その蘊蓄を深めた。そして道路沿いの展望箇所などからも、東シナ海の海景色を堪能した。 名瀬港近くの「ホテルニュー奄美」にチェックインしたのは14時頃だった。湯湾岳を北側の短縮コースで登山したことで、静かな名瀬の街や「おがみ山公園」を散策する時間がたっぷりとできたことは、結果オーライだったかもしれない。 * おがみ山公園: 名瀬市街の南側に位置する憩いのスポット。「拝み」なのか「御神」なのか…、その謂れについては定説はないようだ。 昭和28年(1953年)に、この奄美大島が米国施政下より日本国に復帰した、ということを私は、恥ずかしながら今まで忘れていた。その「復帰記念碑」がおがみ山の山頂広場にすっくと建っている。案外と知られていない…敗戦からの8年間は(奄美は)アメリカだったという事実に、改めて狼狽した。 四等三角点の標石もあるこのおがみ山の山頂から北へ進むと展望広場で、さらに階段園路を下ると行幸広場に出る。昭和2年8月に両陛下が初めてこの島を訪れて、おがみ山に登ったことを記念して名付けられたという。其々の展望箇所からは、名瀬の街並みや東シナ海が一望できる。ガジュマル、ゴム、ハイビスカス、ソテツ、ヤシ、ヒカゲヘゴ、…などの当地の植物たちの特徴も少し学んで、それもこれもとても楽しかった。公園入口の辺りのアカギの並木道は、ある感慨をもって、美しく荘厳だった。あの、小笠原では問題の、侵略的外来種のアカギ(コミカンソウ科の常緑高木)である。 * 奄美市名瀬「ホテルニュー奄美」: 名瀬の繁華街「屋仁川通り」に面して建つ近代的なホテル。受付の感じはとても良くて、部屋の設備も必要かつ十分だ。おまけに窓からの(市街やその奥の山並みなどの)眺めも秀逸で、最上階(9F)には男女交代制の大浴場もある。ビュッフェ形式の朝食が付いた宿泊料(1泊1食付き)は税込みで@3,530円。この日の私達の夕食は、散歩のついでに街のレストランで@1,200円のステーキ定食だったが、それを加味してもこのホテルのコスパはすこぶる高い、と思った。 「ホテルニュー奄美」のホームページ 佐知子の歌日記より 明け方の嘉鉄の浜を散歩して夫と見せ合う白い貝殻 雨のなか近道をして湯湾岳へ物足りないねズルした分が 看板につられ食べればステーキは牛ではなくて豚なのだった
奄美大島の思い出
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