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No.419 霊山(りょうぜん・825m)
令和3年(2021年)6月11日(金)曇り時々晴れ マイカー利用

麓から霊山を望む
霊山の略図
けっこう怖い・・・
日暮岩の梯子を上る

ここも大きな岩です
大山祗神社に参拝

左下に一般道があります
蟻の戸渡り

展望はあまりない
霊山の三角点

霊山の最高峰
東物見岩にて

足場はしっかりしている
クサリ場

ここも絶景!
岩を潜って護摩壇へ

小粒でもピリッと辛い!

常磐道・相馬IC→東北中央道・相馬玉野IC-《車10分》-霊山登山口・駐車場〜見下し岩〜日暮岩〜弁天岩〜大山祇神社跡〜蟻の戸渡り〜三角点805m〜東物見岩825m〜霊山城跡〜国司館跡〜護摩壇〜天狗の相撲場〜駐車場… 【歩行時間: 約3時間】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


●アクセス: 早朝の常磐自動車道を快調に北上する。茨城県から福島県へ入っても(福島県は広いので)なかなか目的地までの距離が縮まらない。広野ICを通り過ぎたころから、その地点の放射線量を表示する電光掲示板が目につき始める。広野IC〜常磐富岡IC〜浪江IC〜南相馬ICの各区間に其々3ヶ所ずつ(計9ヶ所)設置されているというモニタリングポストだ。何気に、放射線量を測定する走行サーベイ車が行ったり来たりしている。
 「ゴジラ映画の導入部を見ているようで、なんか、緊張するわね」 と助手席の佐知子が云っている。…確かに、私も緊張していた。あの日(2011年3月11日)から…、私達夫婦は初めてこの地を訪れた。立派に復興しているこの地の現状を目の当たりにして、来るのが遅すぎた…あまりにも無関心すぎた…と、改めて後悔して懺悔する。

* 常磐道の全面開通について: 環境省が2012年12月より実施した「常磐自動車道除染等工事」が翌年の6月に終了し、併せてNEXCO東日本による整備工事が行われました。2015年3月1日には(最後に残った区間の)常磐富岡IC〜浪江ICが開通して、常磐自動車道は全線開通することとなりました。
 なお、常磐自動車道放射線対策検討合同チームのメンバーは、復興庁・国土交通省・NEXCO東日本・内閣府支援チーム・環境省・厚生労働省、が主体になっているようです。
(→環境省のサイトなどを参考にして記述)

 相馬ICから東北中央自動車道を西へ進み、相馬玉野ICで降りる。それから一般道を10分足らずの運転で、こどもの村の奥(紅彩館の北側)に位置する無料大駐車場に車を停める。1台の先着車だけの、超閑散とした駐車場だ。霊山登山口はここにある。
 歩き始めたのは9時50分頃だった。

●霊山の周回コース: 登山道はよく整備されていて、明るい樹林帯と岩場が交互に続くエキセントリックなトレイルだ。樹林帯については、人工林(スギ林)は最初のほんのわずかな区間だけで、コースの殆どはミズナラ、ヤマボウシ(花)、ヤマザクラ、クマシデ、アカシデ、アオダモ、ハウチワカエデ、コハウチワカエデ、リョウブ、ヤマハゼ、ウスノキ、ネジキ、ツツジ類、アカマツ、などの天然林、というのが嬉しい。岩質は礫岩とか凝灰岩質のようにも見えるけれど、Wikipediaによると「霊山は玄武岩の溶岩台地」とのことだ。林床の主はスズタケ、かな。この時季、所々にニガナやヤブヘビイチゴがきれいに咲いている。何ヶ所かに、なんと、よい香りのイブキジャコウソウも咲いている。
 巨岩の壁沿いを歩いたり、岩のトンネルを抜けたり、長い金属梯子を上って岩上に立ったり…、多様な奇岩を巡って展望やスリルを楽しむ。スリルといっても安全は確保されていて、初心者でも十分に楽しめるレベルだ。霊山城跡の広場では10名くらいの中高年女性たちのパーティーが休憩していた。
 今回歩いたコース上の主な岩場は…鍛冶小屋岩、宝寿台、見下ろし岩、日暮岩、弁天岩、雲切岩、大山祗神社跡、弘法の突貫岩(つんぬきいわ)、五百羅漢岩、猿跳岩(さるっぱねいわ)、蟻の戸渡り、天の釣舟、学問岩、東物見岩(最高峰825m)、西物見岩、護摩壇、親不知・子不知、天狗の相撲場、甲岩…など多種多彩で、とにかく飽きない。其々の(殆どの)岩上などからは相馬方面や阿武隈山地の山々がよく見えている。この日は曇りがちだったので、安達太良、吾妻、飯豊などの遠景がモヤっていたのが残念といえば残念だった。
 ぐるっと反時計回りに周回コースを歩いて、霊山登山口の大駐車場に戻ったのは14時の少し前だった。ゆっくりと歩いたつもりだけれど、まだ日が十分に高かったので、この日は福島市茂庭の摺上川ダムなどをドライブ観光してから、同市の飯坂温泉に宿をとった。

* 霊山について(補足): 霊山(りょうぜん)は阿武隈高地の北部に位置する奇峰。奇岩を連ねる起伏に富んだ岩山で、昔は不忘山と呼ばれていたそうです。地籍は福島県の伊達市と相馬市に属し、北に宮城県との県境も近いです。859年(貞観元年)に慈覚大師円仁によって開山されたとされる由緒ある修験道の山でもあるようです。周囲を断崖絶壁に囲まれているため自然の城郭となり、南北朝時代に南朝の拠点として(太平記の悲劇のヒーロー・北畠顕家によって)霊山城が築かれましたが、その10年後(1347年)には落城し、以後、歴史の表舞台から消えたといいます。
 その岩質について、日本山名事典(三省堂)の該当項には「中腹まで花崗岩、山頂近くは霊山層といわれる火山角礫岩・片麻岩・安山岩・玄武岩などからなる」と書かれてあります。
(→日本山名事典、及び伊達市のサイトなどを参照して記述)
 なお、霊山というピークはなく、「霊山」はこの山体の総称です。標高の最高地点(最高峰)は東物見岩825mで、そこから約400m隔てた南東の稜線上に三等三角点(点名:猿跳・804.60m)の標石があります。
 この霊山は岩崎元郎さんの新日本百名山の一座でもあります。なるほど、小粒でもピリッと辛い山椒のような感じの、なかなかユニークで面白い山だと思いました。


温泉マーク 飯坂温泉「喜久屋旅館」: 交通の便のよい福島市の飯坂温泉は、歴史・規模ともに日本を代表する名泉の一つ。宮城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられているそうだ。訪れた著名人は、古くは日本武尊、そして松尾芭蕉、正岡子規、与謝野晶子、ヘレン・ケラーなど、枚挙にいとまがない。現在は飯坂町を流れる摺上川を挟んで60棟以上の旅館が立ち並んでいる、とのことだが、それでもバブル期などと比べると規模は半減しているらしい。
 私達が利用したのはネットで調べて(コスパを重視して)予約した「喜久屋旅館」。摺上川の右岸に位置する中堅どころの宿泊施設で…予想が的中して…とても感じのいい旅館だった。泉質は単純温泉、弱アルカリ性、源泉掛け流し。源泉温度が高いこともありやや熱めの湯だが、水を足すのは自由だ。内湯も外湯もいい風呂だった。今どき、部屋食が嬉しい。1泊2食付き一人9,900円(税込み)は、これも思った通り、割安に感じた。
 外部サイトへリンク 「喜久屋旅館」のホームページ

 この翌日(6月12日)は、懐かしの吾妻連峰・一切経山が眼前に聳える浄土平の木道を散歩したり、裏磐梯をぐるっと巡ったり、ドライブ観光をしながらゆっくりと東京への家路についた。2日間合計で約800kmの運転は…、とても疲れた。
 この翌々日、関東甲信はとうとう梅雨に入った。

  佐知子の歌日記より
 五キロごとモニタリングのポストあり 常磐道をフクシマへ入る
 それらしく名付けられたる霊山の奇岩おのおのらしく構える
 春蝉の愛しい声は胸に沁み 眼
(まなこ)を閉じて暫し歩を止む
 六月のスカイラインは緑なりピンクを添える谷空木の花




親不知・子不知を通過
巨岩の壁沿いを歩く

南面の大展望!
見下ろし岩にて

山法師:ミズキ科の落葉高木
ヤマボウシの花
伊吹麝香草:シソ科の常緑小低木
イブキジャコウソウ
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