*** コラム ***
山小屋について一言
登山関係の雑誌やノウハウものの本などを読むと、「山小屋は一般の旅館とは違います…自分勝手は許されません」とか「山小屋のマナーを守りましょう」といったようなことが必ず書いてある。山小屋は本来登山者の安全を守る場所である。確かにその通りだと思う。私達自身、若い頃からどれだけ山小屋のお世話になり、感謝感激したことか。そのご恩は忘れていないし、これからも山小屋のお世話になる私達、その重要性と必要性は痛いほど感じている。近年では、自然環境の保全にも大きな役割を果たしている山小屋に対して、畏敬の念さえ抱いているのが本音である。ただ、しかし、どうしても一言云っておきたい。経営体質の観点から、ごく一部の山小屋に「傲慢」がのさばっているのも事実である。
山小屋をホテルのようにしろ、と云っているのでは、勿論、ない。むしろ、最近の山小屋は立派で便利になり過ぎている、とさえ思っている私達である。私達が一部の山小屋に言いたいのは、私営の山小屋ならば「傲慢な態度を改めもっと経営努力をしなさい」、経営(管理)の主体が公的な山小屋であるならば、そこで働く人たちに「もっと考えて工夫をしなさい」 ということなのだ。私達登山者はそこの山小屋しかないから、そこの山小屋に一泊を請うのだ。そんな弱みのある登山客の足許を見据えるような経営だけは、断じてやってほしくない。超満員になると分かっていたら、少なくても予約の段階で、断わる勇気をもってもらいたい。
山小屋の利用者のマナーの悪さがしばしば取り沙汰される。山だからなんでも許されるという考えはいけない、というのは私達利用者に向けられた言葉だが、それは山小屋の管理者(経営者)にも当てはまると思う。山小屋だから登山客に対するサービスや工夫や経営努力は必要ない、なんて、とんでもない思い上がりだと思う。実際、北アルプスや八ヶ岳の山小屋の一部や九重山の法華院温泉などのように、自然との調和を保ちながら、余分なお世辞はないが、いたって快適な一夜を過ごすことのできる山小屋は各地に沢山ある。それらの山小屋では限られた人材と食材で、精一杯工夫した美味しい料理と必要(最小限)な居住空間を提供してくれる。一部の山小屋に見習ってほしいものだ、と思う。
* 南アルプスにも「塩見小屋」や南部の「聖平小屋」・「茶臼小屋」などのような素晴らしい山小屋があることを、末文ながら、付け加えさせていただきます。[後日追記]
塩見岳の項 及び 聖岳から光岳の項 を参照してください。
* この3年後(平成12年)、老朽化した山頂直下の仙丈小屋が取り壊され、避難小屋から営業小屋に改装されたようです。風の便りによると、けっこう人気があるようです。[後日追記]
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