プラリネのベルギー
ベルギー人の年間チョコレート消費量は非常に高いと言われています。
ベルギーのチョコレートが有名になったのは、ヨーロッパの歴史の中ではわりと後のことです。
1912年に Jean Neuhaus がプラリネ(praline)を生み出してから、ベルギーチョコレートの特徴となり、その後世界のチョコレート好きを魅了しました。
お菓子を広めたイタリア
ローマ時代より栄え、中世から近世にかけて、メディチ家による統治で多いに勢力を持ったイタリア。現在のフランス料理やお菓子にも、その影響が見られています。アイスクリーム、フィンガービスケット、マカロンなど多くのお菓子を世に広めた功績が大きいものです。
ざっくばらんなアメリカ
アングロサクソンを中心にして、多くの人種を抱えているアメリカは、豊かな国土で、原材料の生産は、他国の比ではありません。ナッツやフルーツ、小麦などの種類や量はすごいものです。
この広大な国には、緻密かつ繊細なお菓子は似合いませんね。
だいたいは、ボリュームがあって、ざっくばらんなもので、味もおおざっぱなものが多いのではないでしょうか?もちろんデリケートなお菓子もありますが、やっぱりちょっとイメージが違うような気がします。
それと特徴的なのは、板チョコや、キャンディー、チューインガムなど、機械化できるお菓子はアメリカの独壇場です。
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漢字で書くと「猪口冷糖」の日本
チョコレートが日本にはいってきたのは、江戸時代といわれています。
長崎に、他の南蛮菓子と一緒に渡ってきました。やはり、最初は飲みもの『ココア』だったようです。
日本で最初にチョコレートを作ったのは、明治11年、東京両国の米津夙月堂でした。よほど珍しいものだったらしく、当時は、新聞に報じられたりしています。チョコレート製造には、巨額の機械設備投資と、高度な技術を要するため、なかなか工業化されずにいました。
大正7年になって、ようやく森永製菓が、アメリカから機械を輸入して、技術者を呼んで製造にこぎ着けました。それ以後は、明治製菓が大正15年に一貫生産するに至っています。
森永によって、初めてチョコレート製造が工業化されてから、昭和の初めにかけては、日本におけるチョコレートは揺籃期にあたります。その頃は、チョコレートはまだ知る人が少なかったため、普及にはかなり大変だったようです。
当時のチョコレートは、呼び方が「チョコレート」「チョコレット」など統一されていませんでした。それに、チョコレートには、しおりが添えられていたり、パッケージの裏にエピソードが書かれていたり、チョコレートを広めるために、いろいろな工夫がされていました。
国内では、大手の森永製菓や明治製菓を始め、ロータリー、新宿中村屋、日米堂芥河商店、モロゾフ製菓などが製造していますが海外からは、ネッスルカイラー(スイス)、ヴァンホーテン(オランダ)、ギラルデリー(アメリカ)、バークウラウン(ドイツ)などが主な輸入先でした。
チョコレートを漢字で書くと、「知古辣(平賀源内著)」「猪口冷糖」「貯古齢糖」などたくさんの当て字があったようです。
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