本場はスイス

フランス、ドイツ、イタリアの三つの国に囲まれ、深い山々に覆われ、湖をいだく国、スイス。
山と緑の中で、盛んな牧畜、恵まれた気候、独立以来の自由を求める気運、そして几帳面で器用な国民性という条件が整って、他の国には見られない垢抜けたお菓子が作られてきました。
技術・センスともに最も洗練されているとも言われています。
スイスには、『スシャール』『トブラー』『リンツ』という世界のチョコレート業界の頂点に立っているメーカーがあります。


フランス文化の産物

お菓子の中心地は、なんと言ってもフランス!
お菓子と、ひと口に言っても、数千種類もあります。その中心に常にいるのが、パティスリー・フランセーズ(Pattisire Francaise)フランス菓子なのです。では、なぜフランス菓子がお菓子の中心になったのでしょうか?
お菓子は、文化の産物のひとつです。16世紀半ば以降、ブルボン家のルイ王朝によって、フランスは大いに力をつけました。イタリアやスペイン、オーストリアという周囲の国々から、ルイ王朝へのお輿入れが相次いだこととともに、さまざまな文化がフランスに流れ込んできました。
チョコレートがフランスに伝わったのは、1615年です。それは、スペインのアンヌ・ドートリッシュというお姫様がルイ13世に嫁ぐときに、一緒にピレネー山脈を越えてフランスに渡ったからです。フランスでは、それ以後、他のお料理やお菓子同様、いろいろ研究を重ねて発展していき、遂にはガストロノミー(美食学)という言葉まで生まれてしまいました。

アカデミックなドイツ人

ドイツの人々は、物事を科学的に分析することが得意で、お菓子の捉え方も、とてもアカデミックです。銘菓と呼ばれるバームクーヘンにも、ドイツ人らしい質実剛健さが伺えます。
お菓子をいかにデザイン化するか、ということに心配りをして、理論的にも考え抜かれているものが多いようです。フランス菓子のように、華やかな飾り付けをされたものはあまりありませんが、近代的な感覚があふれています。
このようなドイツ菓子には、素晴しい評価と多くの賞賛が寄せられています。


オーストリアは宮廷文化の繁栄に

オーストリアは、ドイツと同じゲルマン民族の国ですが、スラブ系の東ヨーロッパとも接しています。
フランスが一等国として栄えるまでには、このオーストリアのハプスブルグ家がヨーロッパを支配する立場にありました。
近世におけるウィーンを中心とした宮廷文化の繁栄は、お菓子界にも大きく貢献しています。
オーストリアには、ザッハトルテ(Sachertorte)というウィーン生まれのチョコレートケーキがあります。
これは、チョコレートいりのスポンジケーキに、アプリコットジャムを塗り、さらにチョコレートの糖衣(Shokoladen-Glasur)を上がけしたもの。
チョコレートケーキの最高峰と呼ばれています。


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