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「バイファム」第24話感想

僕がアニメ作品における「総集編」なるものを生まれて初めて観たのがいつだったか忘れてしまったが、いったいどういう意図があるのか全く理解できなかったという覚えはある。次に観たときは、ああこれはネタに詰まったゆえの手抜きなのだなと。その次には、スケジュールが逼迫しているのだなと。似たものに、「合併号」がある。これも初めてそれを見たときに「2週分まとめて見られる」と期待して、完全に裏切られた。合併号は完全に向こうの都合だが、総集編は今から観ようとする人のため、あるいは今までのできごとをおさらいするための企画らしい。なかばたてまえだろうけど。この場合は放映時間帯変更にともなう移行時の措置という特別な事情もある。
ローデン大佐と別れ、13人だけとなったある日のこと。前日にケンツが「ひょんなことから」ケイトさんの記録を見つけだした。ひょんなことがどんなことなのか気にならないでもない。その記録をみんなで観るという形式をとっている。あくまで物語中の一節とするか、完全に特番風にするか、総集編のかたちはこの2つがほとんどだ。「バイファム」の場合は前者ということになる。
彼女の記録は、はじめのうちは公的に発表することを強く意識していたようだ。イプザーロンに人類が進出するきっかけを語っているから、とか、そのしゃべり口調とか。前者は、総集編なので視聴者に物語の背景を説明する意図があるにせよ。
ケイトのナレーションの出だしは、第1話冒頭のそれとほぼ同じだ。ただし「ゴーゴーギャラクシー」なんかは目新しい。「第1次移民時代」はひっかかる物言い。「第2次移民時代」はいまだ訪れていないのと思われるから、一つしかないものを「第1次」と言ったりはしないものだ。たまにファンタジーもので国王の名前を同時代の人間が「〜1世」と呼んだりするが、これも同じ理由で変だ(あえてそういう習慣があるという設定にしているなら別だけど)。
第1話の日付は、放映日にあわせてAD2058年10月21となっていた。しかし第12話のスコットのもそうだが、あまり重大に受けとるべきではない。色々とつじつまがあわなくなるから。
総集編は総花的にならざるをえない。しかし今回の場合、Aパートはクレークの死と彼の捜索まで(第6話)にあてられ、Bパートはかなりの部分がカチュアの素性が明らかになる過程、ことに第15話の食堂での場面に多くの時間をさいていた。これはスタッフがどのエピソードを重要ととらえている(た)か示唆しているかもしれない。
ケイトのナレーションは後ろになるにしたがって、個人的な感情が強く反映されるようになり、最後はタウト星へ向かうことへの不安で終わる。
今回新たに描いた部分は芦田豊雄作監によるものだろう(最初と最後)。
原画
スタジオ・ライブ、スタジオ・ムサシ、ディーン、アド・コスモ、大島城次、小野順之、横山健次、小林智子、星野絵美、今井正彦、佐々門信芳

Vd: 1999.10.24, Vd: 1998.3.13