とても静かな私達の山旅
第1日=JR青梅線奥多摩駅-《バス45分》-お祭〜三条の湯 第2日=三条の湯〜北天のタル〜飛竜山2077m〜飛竜権現〜北天のタル〜三条ダルミ〜雲取山2017m〜雲取山荘 第3日=雲取山荘〜雲取山〜七ツ石山1757m〜鷹ノ巣山1737m〜六ツ石山の肩〜羽黒三田神社〜もえぎの湯(入浴)〜奥多摩駅
【歩行時間: 第1日=3時間 第2日=7時間 第3日=7時間30分】
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ
7年前の初夏、三峯神社から雲取山へ登り鴨沢に下ったことがある。[→No.45雲取山] そのとき、稜線上から間近に見えていた容量の大きい立派な山(飛竜山・秩父側からは大洞山)をずっと眺めていて、何時か必ず登ってみたいと考えていた。そして、この近くの山域でどうしても登っておきたい山がもう一座あった。それが奥多摩の、何故か人気のある鷹ノ巣山だった。
先月末で定年退職した私は「毎日サンデー」になった。つまり、ウィークデーを使って好きな山へ行けるようになったのだ。そんな私がまず選んだのが今回のこのコース、奥秩父と奥多摩の境に位置する山域だった。深い自然林や稜線からの眺望など、実際に歩いてみて、矢張りこの山域は素晴らしい、と本当にそう思った。
第1日目(12/13・晴): まず三条ノ湯で一泊
三条沢のカツラ
三条の湯
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奥多摩駅前から9時40分発の、閑散とした丹波行き西東京バスに乗り、お祭で降りる。後山川の渓谷に沿った後山林道を歩き始めたのは10時半頃。快晴、それほど寒くはない。少し歩くと、植林の針葉樹林が切れて一面の落葉広葉樹だ。 「冬枯れの、いい感じだね」 と私。 「新緑や紅葉の頃はもっとよさそうね」 と妻の佐知子。進むにつれて谷は徐々に狭く深くなってくる。
渓谷美を楽しみながらの、歩行時間にして正味2時間強のプロローグ(林道歩き)が終わり、駐車スペースのある青岩谷出合から山道が始まった。三条沢と名を変えた後山川上流の左岸山腹をからむように登る。この辺り一帯は東京都の水源用地だ。所々の幹に樹木名のプレートがかかっていて、勉強になる。サワグルミ、シオジ、カツラ、トチノキなど、沢筋に生えるべき木々たちが、その通りしっかりと、しかし葉を落としてひっそりと立ち並んでいる。自然の摂理ってやっぱりスゴイものだ。その他、カエデ類やシデ類、ツガ、ミズメ(アズサ)、イヌブナ、ミズナラ、ヤマグルマ、トネリコ、ウラジロノキ、アオハダ、ナツツバキ、リョウブ、アワブキ、チドリノキ、…なども交ざり、ここは日本の温帯林の見本のような処だ。「山梨の森林百選」というのも頷ける。
三条ノ湯に着いたのは午後2時半頃。小屋のご主人が私達を温かく出迎えてくれた。
三条の湯: 標高1103mの三条谷中腹に建つ山のいで湯。ロケーションは悪いはずがない。温泉付きの山小屋としては、多分、極上の部類に入ると思う。この日の泊り客は私達夫婦だけだったが、その私達だけのために、一晩中、外のトイレや自炊もできる洗面所には明かりが点っていた。40歳前後と思われる三代目のご主人(木下浩一氏)はとても優しい方で、食堂の薪ストーブに薪をくべながら、登山コースのことなどについていろいろとアドバイスしてくれた。
離れて建つ浴室は上部が板壁で下部と浴槽が石貼り。必要かつ十分な広さで、夜8時30分まで入浴できる。昔、鹿が傷を癒したという源泉(200mほど上流に位置)は単純硫黄冷鉱泉、10℃、浴用加熱。無色透明で微かに硫黄臭がした。部屋に暖房設備がないのでちょっと寒かったが、寝る前にも風呂に浸かって、それで朝までポカポカだった。
「三条の湯」HP
第2日目(12/14・曇り): 三条ノ湯から飛竜山と雲取山へ
6時からの朝食を済ませ、まだ薄暗い小屋の裏手から歩き出したのは6時半頃だった。ジグザグの急登が続く。天気は予報を裏切ってあまり芳しくない。登るにしたがって徐々に明るくなってきて、冬枯れのブナやミズナラの林にコメツガが混じり始める。シラビソやダケカンバも少しずつ増えてきて、「いよいよ奥秩父らしくなってきたね」 と私達は嬉しさを隠しきれない。カンバ谷源流のガレ場やスズタケの生い茂る登山道脇などで休みながら、ゆっくりと登る。
主稜線上(山梨県と埼玉県の国境尾根)の北天ノタルに出たのは9時半頃。風が吹いて少し寒い。佐知子の例のバカチョン温度計によると摂氏マイナス約3度だった。
縦走路を左(西)へ進む。積雪は無かったが、ガレや岩場などの所々が凍っている。しかし歩行には全く問題なく、持参した軽アイゼンはザックの底溜まりになった。今年はとうとう冬も暖かいようだ。
三条ノ湯のご主人から教わった通り、頼りない道標に従い右に折れ、飛竜権現を経由しない近道(地図には載っていない)を行く。急登約15分で三等三角点のある飛竜山(ひりゅうさん・2077m)の山頂へ着いた。霧氷の付きはじめた黒木(トウヒかなオオシラビソかな)の自然林が美しい。薄霧が出ていたこともあり展望は無かったが、憧れの山頂を踏んだことで私達は大満足だった。
飛竜山頂部から飛竜権現へ至る約20分間の延々と続くシャクナゲのトンネルが見事だった。6月〜7月の開花時はさぞかしステキだと思う。小さな石祠のある飛竜権現の近くに禿岩という展望の良い処がある筈だけれど、ガスっていてどうせ何も見えないだろうと思い立ち寄らなかった。
飛竜山の山頂部を南に巻く縦走路を辿り北天ノタルに戻る。暫らく進んで、菓子パンとインスタントスープの昼食。このころから「時間」が気になりだして、あまりのんびりとはしていられない。何時もはたっぷりと1時間の大休止を40分に詰めて、先を急ぐ。
三ツ山1949mの山頂を右から巻き、ササ原の狼平を通り過ぎるまではゆるやかな尾根道を辿る。相変わらずの薄霧で眺望が利かないのが残念だけれど、空は明るい。吹雪かれるよりはずっとましだ。
この主稜線の途中、カラマツ林が続いている区間がけっこうあったが、これは矢張り人工林の成れの果てで、水源林として重要と考えた東京都が、大正末から昭和の初期にかけて植林したものであるらしい。当時は乱伐によって(雲取山周辺の山稜は)殆どハゲ山状態だったという。
三条ダルミから急登が始まった。雲取山荘へ通じている巻き道もあるのだけれど、ここは意地でも雲取山2017mの頂上を目差す。常日頃の鍛錬を怠っているせいか、もうバテバテになってきた。ハーハー云いながらナメクジのように登っていると、ひょっこりと細長く広々とした山頂部の南端に出た。しかし、やはり真っ白な空間が見えるだけで、景色は何にも見えない。懐かしい山頂をウロウロしながら、「明朝、捲土重来だね」 と諦めて、雲取山荘へ下る。
山荘に着いたのは午後4時丁度だった。
7年前に一度訪れたことのある雲取山荘は、その後改築されて一段と立派になっていた。この日は大人しい感じの青年(ご主人・新井信太郎氏の息子の晃一さん)が一人で小屋番をしていて、宿泊客は私達のほかにはもう一組の中年夫婦だけだった。大混雑の山荘を思い出しながら、「シーズンオフのウィークデーって、本当に全然違うのね。これが真の贅沢というものだわ」 と、佐知子がしきりに感心していた。
その佐知子は部屋に入るや否や、炬燵に身体を投げ入れて眠ってしまった。所在の無くなった私は夕食までの小1時間、売店前広間のストーブ前で缶ビールを飲みながら、若主人とずっと話をしていた。改築のときの苦労話や、皇太子様が3ヶ月前(9/16)に鷹ノ巣山に登られたときの話や、先月からこの一帯でも森林被害を防止するためにニホンジカの捕獲が始まったことなど、興味ある話をたくさん聞くことができた。 「登山道の真ん中の石や太い根っこの上に黒い小さな糞が落ちていたけれど、あれは何ですか?」 と、ついでに聞いてみた。そしたら若主人は即座に 「テンの糞だと思いますよ」 と答えてくれた。それから、「明日の予定コースの鷹ノ巣山近辺の地図を家に忘れてきてしまった」 と云ったら 「これでよければ…」 と、ボロボロだけれど未だ充分に使える登山地図を譲ってくれた。そしてコースタイムの計算やルートの説明などを、私達のために一生懸命してくれた。控えめで親切な若主人に感謝感激だ。
食堂のテレビ映りが鮮明だったので 「BSですか?」 と聞いたら、「普通の放送(アナログ)です」 と云っていた。何でも、東京タワーが見える位置にこの山荘があるとのことで、電波がストレートに届くらしい。面白い現象だな、と思った。
「雲取山荘」のHP
* この後(H23年11月)、雲取山荘さんのサイトとは相互リンクさせていただいています。[後日追記]
第3日目(12/15・晴れ): 長大な石尾根を辿る
雲取山の山頂
鷹ノ巣山の山頂
ただっ広い登山道
大きなブナの木の下で
羽黒三田神社
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似てる?
大岳山(奥多摩)
高千穂峰(霧島山)
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雲取山荘の若主人(好青年だ!)に感謝の挨拶をしてから、筋肉痛の足にカツを入れて歩き出したのは、まだ薄暗い午前6時20分頃。今日の行程は昨日に勝るとも劣らないロングコース(長大な石尾根コース)だ。幸い好天のようで、まずはウキウキと雲取山の山頂へ再アタックする。
雲取山の山頂は絶景だった。大菩薩連嶺を従えた富士山、その右手前の大きな飛竜山、奥に横一線に並ぶ南アルプスの峰々、そして近くの奥秩父や奥多摩の山々、が、モルゲンロートに染まる景色を私達の二人占めにした。
あまり長い間はウットリとはしていられない。早々に雲取山を辞し、気持ちのいい石尾根を、景色に見惚れながら、南へなだらかに下る。誰も踏んでいない霜柱の土の上を歩くとサクサクと音がする。空気がツーンと澄んでいて、白い息をすると身体中から邪気が抜けていくようだ。
* ここで一句。 わざと踏む耳にさくさく霜柱(佐知子)
小雲取山1937m、ヨモギノ頭1813m、七ツ石山1757mと、徐々に高度を落としながらアップダウンを繰り返す。歩みは快調だ。東へ進路を変え、高丸山1733mと日陰名栗山1725mは南側の巻き道を進む。辺りは疎らで細めのブナ・ミズナラの林やカラマツの林だ。コガラが枯枝の間をしきりに飛び交っている。
巳ノ戸の大クビレを過ぎた台地には建て替えられて間もないピカピカの鷹ノ巣山避難小屋が建っていて、ここからが鷹ノ巣山への登りになるのだが、この先の暫らくの道は、何という広い道、だっただろうか。防火帯とのことで、初夏から秋にかけては花が美しく咲き乱れるらしいが、今はまるで雪のないゲレンデのようだ。所々グシャグシャにめくれあがっているけれど、もしかして、これって芝? なのかしら。 「なんか変ネ…」 と云いながら、とりあえずひたすら登る。
明るく開けた鷹ノ巣山1737mの山頂に着いたのは午前10時40分だった。左手を振り返ると雲取山や奥多摩の北部の山々が見えている。南側の富士山は殆ど雲の中に入ってしまっていたけれど、近くの奥多摩三山(三頭山・御前山・大岳山)は逆光の中で黒々と見えている。この山の人気の秘密の一つ(好展望)が分かったような気がする。かつて将軍家や御三家の鷹狩り用のタカのヒナを捕るために、タカの巣がある山へ入ることを禁じたというが、この鷹ノ巣山もそうした山(お留め山)の一つだったらしい。
この山頂の北側から日原谷へ下る稲村岩尾根コースを、興味本位で、ちょっと覗いてみた。何でも、奥多摩三大急登のひとつ、なんだそうだ。奈落の底に突き落とされそうな急勾配で、見下ろしているだけで目がクラクラしてきた。 「この道を下山道に選ばなくて良かったね」 と佐知子と言い合った。
水根山1620m、城山1523mと、なだらかに越えて、大きなブナの木の下でラーメンとソーセージの昼食。それにしても静かだ。鳥の鳴き声も聞こえない。まだ先は長いけれど、この分じゃ、とうとう最後まで、山道で誰にも出会わない山行になりそうだ。幾分軽くなったザックを担ぎ、更に東へ進む。葉を落としたカラマツ林が整然としていて美しい。
六ツ石山の肩を通り過ぎて暫らく進むと林相が変わり、平凡な二次林(コナラ・クリなどの雑木林)になってくる。前方の御前山と大岳山が益々大きい。その大岳山の山容は、横長の「山」という字の形に見えているけれど、なんか、霧島の韓国岳から眺めた高千穂峰(たかちほのみね)の山の形によく似ていると思った。
狩倉山1452m、三ノ木戸山1177mを何時の間にか巻き、最後の急降下が続く。所々ヒノキの植林地帯が現れ始める。左手(北側)の日原谷を隔てて川乗山や本仁田山が大きく見え出して、奥多摩町の中心地が近くなってきたことが分かる。右手の多摩川本流の谷底からは微かに自動車のエンジン音が聞こえている。人恋しさからだろうか、何時もは嫌っていた町の騒音を、この時はなつかしいと感じた。辺りは何時の間にかスギ林になっている。
小さな社の稲荷神社を通り過ぎ、ひょいとアスファルトの林道へ出たのは午後3時15分だった。ほっとしたのも束の間、ショートカットのため再び山道を下る。羽黒三田神社を経て氷川の商店街(青梅街道)へポンと出る。佐知子も私も両膝の痛みに足を引きずりだしている。
奥多摩駅傍の交差点を通過して「もえぎの湯」に辿り着いたのは4時を少し回っていた。 「陽のあるうちに下山できてよかったね」 と云ったら、満足そうな笑みを浮かべて佐知子がコックリと頷いた。
雲取山から妙法ヶ岳: この後(平成21年9月)の山行記録です。
奥多摩温泉「もえぎの湯」: 御前山の項を参照してください。
七ツ石山の山頂にて
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雲取山頂より
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