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No.258 三ツドッケから酉谷山天祖山
平成21年(2009年)4月27日〜28日 晴れ時々曇ったり小雪が舞ったり・・・

酉谷山 略図
寂しいほど静かな長沢背稜

第1日=JR青梅線奥多摩駅-《バス25分》-東日原〜(滝入ノ峰1310m)〜一杯水避難小屋〜三ツドッケ1576m〜一杯水避難小屋 第2日=一杯水避難小屋〜ハナト岩〜(大栗山1591m)〜(七跳山1651m)〜(坊主山)〜酉谷山1718m〜(滝谷ノ峰1710m)〜(水松山1699m)〜梯子坂のクビレ〜天祖山1723m〜大日天神〜ハタゴヤ〜八丁橋〜日原鍾乳洞-《バス30分》-奥多摩駅 ※ 括弧書きは巻き道です。
 【歩行時間: 第1日=3時間40分 第2日=8時間30分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 東京都と埼玉県と神奈川県の三国境に鈍角三角形で聳えているのは雲取山2017mで、そこから東へ分岐する東京都と埼玉県の国境に沿う長大な山稜を長沢背稜(ながさわはいりょう)と呼んでいる。厳密には雲取山の北側に位置する芋ノ木ドッケ1946mから長沢山1738m、水松山(あららぎやま・1699m)、酉谷山(とりだにやま・1718m)を経て三ツドッケ1576m(天目山)までをさすらしい。
 その長沢背稜を2日間の山旅で、無理なくできるだけ長い距離を歩くことを念頭に、山の相棒(妻の佐知子のこと)と何回も話し合ってコースを検討した。その結論が、東日原(にっぱら)からヨコスズ尾根を登り一杯水避難小屋で一泊して、それから長沢背稜を西へ進み、三ツドッケ〜酉谷山〜水松山と縦走して、ついでに天祖山1723mも登ってしまおう、という贅沢な計画だった。これだと長沢背稜の3分の2くらいは歩くことになり、その真髄を垣間見ることができると思った。

 ●第1日目(4月27日・高曇り) 東日原バス停〜三ツドッケ〜一杯水避難小屋
ミズナラ・ブナの明るい樹林
ヨコスズ尾根にて

南東面が開けている
三ツドッケの山頂

別名:トリモチノキ
稜線のヤマグルマ

一杯水避難小屋前から石尾根方面を撮る
小屋前の夕焼け
 奥多摩駅前から閑散としたバスで約25分。東日原バス停から歩き出したのは午前10時50分頃だった。3年前の2月、単独でこの道を辿って三ツドッケから蕎麦粒山〜川苔山と東へ縦走した思い出が私にはある。⇒ 三ツドッケから蕎麦粒山と川苔山@・冬 そのときの稜線はとても寒くて、アイゼンを着けずに歩いたらアイスバーンで派手に滑って転んで、暫らく息ができなくて立ち上がれなかった経験談などを佐知子に話したりして、ゆっくりと登った。つ〜か、久しぶりの避難小屋泊でザックが重く、ゆっくりとしか歩けなかったのではあるが…。
 スギ・ヒノキの植林地帯を過ぎ、ヨコスズ尾根へ入り暫らく進むと、待望のブナ・ミズナラ自然林だ。麓は芽吹きの新緑だがこちらは未だ殆ど冬枯れで、ヤマザクラの花びらがひらひらと落ちてくる。足元のあちこちではスミレたち(タチツボスミレ、ナガバノスミレサイシン、エイザンスミレなど)が咲き乱れている。樹林の隙間からは左前方に長沢背稜の峰々がチラホラと見えてくる。
 途中で2回ほど大休止して、一杯水避難小屋へ着いたのは午後2時30分頃だった。なんとこの頃から小雪が舞い始めた。天気予報では、この日は寒気が関東の上空まで張り出すとのことだった。
 小屋にザックの中身の大半をデポして、小屋の右裏から往復約1時間の三ツドッケ山頂を目差す。登山道上では青黒い小鳥(オオルリかな?)が私達を先導する形で前へ前へと飛び跳ねていく。ツツジ類が目立つので、その花期(初夏)はさぞかしいいだろうと思う。⇒ 三ツドッケから蕎麦粒山と川苔山A・初夏
 迷いやすい枝道があるが、尾根を外さずに進めば心配はない。小さなコブを越えて登り返したピークが、私にとっては二度目の、三ツドッケ(天目山)の狭い山頂だ。前回はガスっていたし樹林に囲まれていたし…、何にも見えなかったが、今回はよく展望が開けている。どうやら最近、山頂周辺の樹木を勝手に伐ってしまった人がいるらしい…。おかげで奥武蔵や奥多摩の山々などがほぼ360度でくっきりと同定できる。う〜ん、喜ぶべきか悲しむべきか、これは案外と難しい問題だ。
 日原の谷を隔てた南面には石尾根が連なっていて、その右端の雲取山方面には黒くて厚い雲が出ていたが、小雪はそちらから西風に乗って降ってきているようだった。寒さが身体の芯まで入り込みそうになってきたので、早々に山頂を辞す。付近のアセビの木は(背が低いから)伐られておらず、壺状の小さな白花がぎっしりと咲いていた。
 避難小屋へ戻る稜線上で、ちょっと感動したことがある。登りでは気がつかなかったのだが、岩っぽい処に、なんと照葉樹(常緑広葉樹)のヤマグルマが、数は少ないが自生していたのだ。温暖な処に自生するタブノキやヤマモモなどに何となく似ていたので、変だな、と思ってよく観察してみて分かったのだ。私達には屋久島でさんざんこの木を観察した記憶がある。そのときは屋久杉と激しく競合していた1科1属1種の珍しいヤマグルマを、実際、かなりしぶとい木だと思ったものだ。今回も最初はそう思ったのだが、よく考えてみると、弱いので競争相手に追いやられてここ(痩せた山稜)まできてしまった、ということが云えるかもしれない。このヤマグルマの木は、じつはこの翌日の尾根歩きでも、酉谷山の西側の標高約1700mの岩場で観察できたのだが、そのときも気温マイナス3度くらいの未だ冬枯れの稜線で、私達は熱く感動したのだった。
 昨日の雨の影響もあったと思うが、避難小屋から東へ2〜3分の登山道脇にある水場からは滾々ときれいな水が流れていた。涸れることが多いので私達はあてにはしていなかったのだが、やっぱりホッとした。今夜は水をたっぷりと使って、ソーセージと野菜にうどんと餅を入れた鍋物だ。そして重さに耐えて運んできた缶ビールも楽しみだ。どうやら今夜の一杯水避難小屋は私達の貸し切り状態になりそうだ。


●第2日目(4月28日・晴れ) 一杯水避難小屋〜酉谷山〜天祖山〜日原鍾乳洞
一杯水避難小屋の前にて
出発だ!

ここも南東面が開けている
ハナト岩にて

ブナ、ミズナラ、ダケカンバ・・・の自然林
酉谷山は近い!

バック(右後方)に鷹ノ巣山
酉谷山の山頂にて

素晴らしい尾根歩きが続く
酉谷山をバックに

天祖山神社と三角点
天祖山の山頂にて

天祖尾根を下る
石灰岩の岩場
 昨日のみごとな夕焼けは期待に違わなかった。佐知子も私も寒くて夜中に何回も目が覚めてしまったが、上天気の今朝は気分爽快だ。コンロでスープやコーヒーを沸かしたりしてクラッカーとチーズの朝食を済ませ、張り切って歩き出したのは5時20分頃だった。
 三ツドッケの山頂は昨日既に極めていたので、長丁場の今日は避難小屋の左手からよく整備された巻き道を進む。この縦走路は東京都の水源管理のための道でもあるらしい。左方の樹林の隙間から鷹ノ巣山の三角形が見えているが、その左奥には昨日は春霞に隠れていた白銀の富士山が背後霊のように聳えている。カラマツやヒノキの人工的な樹木も時折現れるが、明るい稜線の主役はミズナラ・ブナ・ダケカンバなどの山でおなじみの高木で、名脇役はリョウブとアセビとツツジ類だ。それはまったく素晴らしい自然林だ。
 霜柱をサクサクと踏む足音とコガラなどの小鳥たちの歌声が耳に心地よい。暫らく進んだハナト岩の展望所からは小川谷を隔てて南面が大きく開け、鷹ノ巣山を中心にした石尾根が右へ行くほど高度を増している様子がよく分かる。その右端には雲取山が控え、その更に右に聳える芋ノ木ドッケもぎりぎりで見えている。
 大きくうねりながらいくつかの峰(大栗山、七跳山、坊主山など)を巻いて進む。いい道で危険箇所などは殆どないのだが、私達の足が遅いのかコースタイムがきつめなのか、思ったほどは距離は捗らない。佐知子のザックに括りつけたクマ避けの鈴の音が響き渡る。
 酉谷山東の肩で分岐(十字路)へ出る。小川谷へ下る道の直下に酉谷山避難小屋の小さな屋根が見えている。非常に評判のよい避難小屋で、小奇麗で水場もあって展望も良さそうだ。当初、私達はこの小屋を利用することも検討したのだが、奥多摩ビジターセンターの最新情報(台風により建物周辺の土砂が流失し、危険なため当分の間は使用不可)により、その利用を計画から外したのだった。
 真直ぐに進む縦走路を左へ分け、酉谷山の山頂を目差す。山頂近くになると亜高山帯に生える常緑針葉高木のコメツガがちらほらと現れて、益々深山らしくなってくる。ここいら辺りが東京都の最北地点じゃなかろうか、などと話した。
 二等三角点のあるこぢんまりとした酉谷山の山頂へ着いたのは午前8時30分頃だった。ここも南面がそこそこに開けていて、大岳山や石尾根などが案外よく見えている。今朝歩き始めたころは鷹ノ巣山の左肩に見えていた富士山が何時の間にかそのずっと右奥に見えている。富士山の位置関係で私達がけっこう距離を歩いていることがわかる。飴玉をなめたりサーモスの熱いコーヒーを飲んだりして、長沢背稜の盟主ともいえるこの酉谷山の山頂で、至福の時間を過ごす。
 酉谷山からは尾根沿いを更に西へ下る。踏み跡が薄くなってきてちょっと不安を感じたが、ここも尾根筋を外さなければ問題はない。大きなブナの木が目立ち、林相も素晴らしい。やがて縦走路(水源林管理作業道)と合流して道はなだらかになる。滝谷ノ峰は知らずのうちに南へ巻いて、歩みは快調だ。道筋の斜面には春植物のハシリドコロが釣鐘状の暗紫紅色の花を付けて群生している。アルカロイド類の毒成分が含まれる有毒植物、とのことだが花も葉っぱもけっこう美しい。日の当たる道端に座り込んで菓子パンの昼食休憩を摂る。
 水松山も巻いてから、分岐で縦走路と分かれて天祖山への枝尾根を左(南)へ下る。すると急に登山道は狭く頼りないものになった。落葉の絨毯はムードはいいのだが、道がわかりづらい。
 天祖山の北東側の斜面だろうか、石灰岩採石によって大きくえぐられた階段状の山肌が進行方向の樹林の隙間から見え隠れする。
 「天祖山って神社のある神様の山よねぇ。そんな神聖な山を削っちゃっていいのかしら…」 と佐知子が呟いている。
 「地元の苦渋の決断だったんだよ、きっと…」 と私も呟いて答える。
 梯子坂のクビレ(鞍部)から、道しるべの赤テープに気をつけながら、気合を入れて天祖山へ登り返す。この急坂がかなりきつかった。バテバテになってきたころ、ひっそりと樹林に囲まれた天祖山の山頂へ着いた。
 天祖山の山頂はつまり天祖山神社だった。こんな山奥によくぞ建てたものだ、と思えるほどの立派な神社で、その南側(正面)の広場に三等三角点の標石がぴょこんと出っ張っている。
 天祖山からは南東方向に標高差約1100mの天祖尾根を、木造の立派な社務所のある処(籠堂)〜小祠のある処〜立派だが少し寂れた民家風の建物(大日天神)のある処〜、とひたすら下る。何処も彼処もミズナラ・ブナの明るい自然林で、右手は長沢谷を隔てて雲取山が近く、左手には孫惣谷を隔てたタワ尾根が平行する。つまり左も右も深い谷だ。途中、石灰岩がゴロゴロしている箇所を通過するが、この風景は矢張り石灰岩採掘の山・秩父の武甲山の登山道にも似ていると思った。
 ミツバツツジの咲く新緑の山腹を下って、アスファルトに下り立ったのは午後3時40分頃だった。ここからは八丁橋を渡って孫惣橋(日原鍾乳洞バス停)までの約30分間の車道歩きとなる。二日間の山旅を振り返りながら、整理体操を兼ねて歩くのにはちょうどいい距離だ。16:20発の最終バスにはどうやら間に合いそうだが、仮に間に合わなくとも更に20分ほど歩けば東日原バス停からの便がある。
 しかし…、とうとう今日も誰にも出会わない。今回の山旅は私達二人だけのものであった。バスのエンジン音が遠くから聞こえてきたとき、久しぶりに文明の音を聞いたような気がして、何故か懐かしい気持ちになった。

 酉谷山を盟主とする長沢背稜は、ブナ・ミズナラ・ダケカンバ・コメツガ・カラマツなどの樹木たちが疎に茂る、明るくて美しい稜線だった。都心から近い割にはボリュームのある、日帰りではあまりにも勿体ない、自然密度の濃い縦走コースでもある。寂しいほどの静けさを堪能できる素晴らしいプロムナード、という云い方もできると思う。


(山名について補足)
* 酉谷山1718m 酉谷山(とりだにやま)というのは日原側の呼称で、秩父側からは黒突剱(くろどっけ)、黒ドッケ、大黒(おおぐろ)などとも呼ばれているらしい。天目山という別称があるが、これは三ツドッケを天目山と呼ぶのが正しいとのことだ。
* 天祖山1723m 信仰の山・天祖山(てんそざん)には立岩山(たていわやま)、白石山(はくせきさん)という別名があるそうだ。立岩という岩峰(石灰岩)があるためらしい。
 以上は日本山名事典(三省堂)の該当項などを参考にして記述しました。

奥多摩温泉「もえぎの湯」: 帰路に立ち寄った日帰り温泉施設です。「もえぎの湯」についてはNo.136御前山を参照してみてください。

* 東日原バス停から三ツドッケや一杯水避難小屋までの詳細については、拙山行記録の 三ツドッケから蕎麦粒山と川苔山@(冬)及び三ツドッケから蕎麦粒山と川苔山A(初夏)なども参照してみてください。



自然林の静かな稜線を歩く!
登路の自然林1 登路の自然林2
ブナの巨木・ヨコスズ尾根にて
明るい下山路
前方に鷹ノ巣山・天祖尾根にて

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