No.408 水生地下から八丁池 令和2年(2020年)12月17日(木) |
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珠玉の周回コース! → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(八丁池)へ 新東名高速道路の長泉沼津ICから、道標に従って伊豆縦貫道(*)へ進む。マイカーのカーナビは(もう10年近く前のもので)古いので、昨年の1月に開通したという天城北道路の存在などはインプットされておらず、はっきり言って、全然役に立たない。一応カーナビを作動させてはいるけれど、煩いくらいに道案内の変更を伝え、そのモニターは殆ど空中の何もない所を彷徨っている。 「東名から伊豆へ走るのは久しぶりだけれど、ここいら辺りは随分と変わってしまって、なんか、車がスムーズに進むねぇ」 「そういえば、昔の伊豆(の観光道路)は、いつも渋滞だったわね」 などと車内での夫婦の会話が弾む。 月ヶ瀬ICから国道414号線をさらに南進して、今夜の宿泊予定地の湯ヶ島温泉や観光名所の浄蓮の滝を過ぎて間もなく、天城峠の少し手前・水生地下の駐車場に車を停めたのは午前8時50分頃だった。寒気団がこの地まで押し寄せてきている寒い日で、何処も彼処もしーんとしている。 * 伊豆縦貫道(伊豆縦貫自動車道): 静岡県沼津市から修善寺〜天城峠を経て同県下田市を結ぶ、計画延長約60kmの一般国道自動車専用道路。つまり、そのかなりの部分が下田街道(≒川端康成著「伊豆の踊子」のトレイル)と重複しています。現在、伊豆中央道を介して月ヶ瀬ICまでの区間が開通しています。なお、天城北道路は新東名の長泉沼津ICから伊豆方面にアクセスできる伊豆縦貫道を構成する道路の一つです。(Wikipediaの該当項などを参考にして記述) 水生地下(すいしょうちした)の駐車場から舗装道(国道414号≒天城新道≒下田街道)を横切って、旧道(踊子歩道の一部)へ足を踏み入れる。「伊豆の踊子文学碑」を左に見て、暫く進むと水生地の分岐で、踊子歩道(旧天城トンネル方面)を右に分ける。そして車止めのゲートを抜けて、(復路に予定している)水生地歩道の入口も右へ見送って、下り御幸歩道へ入る。ここからが山道だ。霜柱がサクサクと気持ちのよい音を立てている。 傾斜が益々きつくなってくる。歩き始めの地点(水生地下)の標高が約600mで、目指す山上の八丁池が1200m近くあるので、けっこうな標高差だ。軽ハイキングなどと侮ってはいられない。しかも歩道や林道などの分岐が次々と出てくるので、油断は禁物だ。道標はしっかりしているものの、地図とコンパスは手離せない。 左手の下り八丁池歩道と右手の本谷歩道の交差点は直進して、当初の予定通り下り御幸歩道をひたすら登る。汗が流れ落ちる。上着や手袋を脱いでもまだ暑い。 標高約1000mを超えると、何時の間にか周囲はスギ・ヒノキの人工林からブナ、ヒメシャラ、シキミ、アセビなどの(待望の)自然林へ移り変わっている。ブナの明るい純林や鬱蒼としたアセビのトンネルなど、素晴らしい自然歩道だ。太平洋側のブナ(コバブナ)は純林を作りにくいというけれど、この天城連山は例外のようで、それがとても面白い。 突き当りを左折して八丁池畔に着いたのは11時40分頃、ぽかぽかとした陽だまりを見つけて大休止。カスタードクリーム入りのメロンパン(途中のSAで買ってきた高級メロンパンだ!)を食べたりサーモスの熱いコーヒーを飲んだり、氷の張った池面を眺めながらまったりと時を過ごす。背面はアセビ、ノイバラ、マユミ、ヒメシャラなどの、割と背の低い樹木に囲まれている小広い空間で、古くなった石造りの階段などに、かつてここにスケート場や八丁池荘(1962年〜1978年に解体)があったころの面影が残っている。今はモリアオガエルなどの保護のため池畔をぐるっと一周することはできないが、まぁそれは仕方がない。 * 八丁池は、標高約1170mに位置し、その神秘的な湖面の姿から「天城の瞳」と呼ばれているそうです。かつては火口湖とされていましたが、最近の調査で湖と断層の切れ目に水がたまって出来た池(断層湖)であることがわかった、とのことです。池の名の由来については、周囲が八丁(870m)あるところから名付けられたそうです。実際には560m程度だそうですが…。(現地の案内板、及びWikipediaの該当項などを参考に記述) 「このまま北東へ天城縦走路を進むと、万三郎や万二郎(つまり天城山)へ行けるんだけどねぇ」 などと会話しながら、小1時間ほどを静かな八丁池畔で過ごす。そして徐に踵を返す。来た道(下り御幸歩道)を右手に分けて、池畔の高台を少し進むと立派なトイレの建物があり、その右手に見晴台への脇道がある。鉄階段を登ってみると、なるほど360度の大展望で、近隣の山並みや相模灘の彼方の伊豆大島などもよく見えている。北面を振り返ると、先ほどまでいた八丁池が神秘的に佇んでいて、その頭上には富士山がちょこんと、申し訳なさそうに白い頭を出している。そしてその左奥には、南アルプスの白峰たちがずらっと並んでいる。 見晴台の分岐へ戻って右折して、野鳥の森〜八丁池口方面への歩道を左に分け、上り御幸歩道から沢に沿った水生地歩道へ進む。こちらのブナ・ヒメシャラ林も、巨木が一層目立って、とても素敵だ。 水生地下の駐車場に戻ったのは15時頃だった。 今回の山中で出会ったのは下山路での男性2人組だけだ。静かな森や沢を歩き、神秘的な八丁池に遊ぶ、珠玉の周回コースだった。 * 八丁池ハイキングコースについて(補足): 今回私達が歩いたのは下り御幸歩道〜上り御幸歩道(一部)〜水生地歩道、などですが、この他にも下り八丁池歩道、本谷歩道、八丁池口方面のコマドリ歩道、オオルリ歩道、コルリ歩道、ウグイス歩道…など、じつに多彩な歩道が入り組んでいます。天城縦走路(天城峠〜八丁池〜天城山〜天城高原)や踊り子歩道(浄蓮の滝〜天城峠〜河津七滝・湯ヶ野)などとも微妙に錯綜しています。まぁ、それほど人気のエリアということだと思います。ぼんやり歩いていると、予定の歩道を外れてしまう恐れがありますので、その点は要注意です。 なお、「御幸歩道」の名については、昭和天皇が昭和5年(1930年)6月に八丁池まで往復したこと由来するそうです。(現地の案内板などを参考にして記述) 湯ヶ島温泉「湯本館」: 川端康成が「伊豆の踊子」を執筆した由緒ある宿、ということで有名で、その部屋(案外狭い四畳半)がそのまま残されている。私達が通された渋い部屋(8畳+α)は欄間の図柄が繊細で美しい「山桜」で、若山牧水も宿泊した部屋だそうだ。それらを、宿の主人は(くどいくらいに)よく説明してくれる。狩野川の川端に位置しているので、その景色が部屋からも露天風呂からも大浴場からもよく見える。泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉、弱アルカリ性(含芒硝石膏泉・重炭酸土類泉)。源泉掛け流し、加温、加水。殆ど無色透明無味無臭、口に含むと微妙な薄味、いい風呂だった。食事も洗練されていて美味しかった。何れにしてもこの宿、川端康成などのこの地を愛した古の文人の影に依存し過ぎているきらいがある。1泊2食付きで一人17,900円だけれど、GoToトラベルの割引や地域共通クーポン券(二人で5,000円分)の付与などで、実質はその半額くらいだった。 この湯本館に隣接する公衆浴場「河鹿の湯」が妙に気になった。今度いつかこの地を訪れたら、立ち寄ってみたいと思う。 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花(若山牧水) 「湯本館」のホームページ 佐知子の歌日記より 初めての第二東名走りけり ぐんぐん迫る大き富士山 二人して御幸路たどり山頂へ八丁池は静かに凍る この部屋で「伊豆の踊り子」は書かれたと宿の主人は力強く言う
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