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No.52 赤岳から横岳硫黄岳
平成9年(1997年)11月1日〜3日 快晴


南八ヶ岳主稜線を縦走

第1日=JR中央本線茅野駅-《バス40分》-美濃戸口-《ヒッチ》-美濃戸〜(北沢)〜赤岳鉱泉 第2日=赤岳鉱泉〜行者小屋〜(文三郎道)〜赤岳2899m〜横岳2825m〜硫黄岳2760m〜夏沢峠〜本沢温泉 第3日=本沢温泉〜みどり湖・しらびそ小屋〜稲子湯-《バス45分》-JR小海線小海駅
 【歩行時間: 第1日=2時間10分 第2日=7時間10分 第3日=2時間40分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(赤岳)へ


北沢にてカモシカに遭遇
カモシカに遭遇
横岳の山頂から赤岳を望む
横岳から主峰赤岳を望む
 寒気団が来襲しており、寒かったがピーカンの3日間。薄っすらと雪化粧をした八ヶ岳主峰たちの迫力ある景観を楽しんだ。

 美濃戸まで車に乗せてくれた親切な老夫婦のこと。北沢で2頭のカモシカと至近距離で遭遇したこと。赤岳から横岳へ向かう稜線上で出遭った盲目の息子とザイルを繋ぎ合った母(*下欄のコラムを参照してください)…等、出逢いと思い出の多い山旅だった。
 帰路、小淵沢駅前の洋食屋で飲んだ甲州ワインが美味かった。

* 八ヶ岳の山名について: 広辞苑から「八」で始まる語句を拾い上げてみた。八重(やえ)、八十(やそ)、八百万(やおろず)の神、八百屋、八潮路(やしおじ)、八千代、八裂き、八瀬川(やせがわ)、八橋(やつはし)、八つ垣、八頭(やつがしら)、八目(やつめ)、八当(やつあたり)、八雲(やぐも)、・・・等々。「八」という数が古来から多数の意に使われていたのがよく分かる。八ヶ岳の「八」も、多分そんな意味(多くの峰をもつ山)だろう、という大方の意見を無視するわけじゃないけれど、夏沢峠以南の正統八ヶ岳(南八ツ)は、何処の麓から眺めても凡そ八つの峰に見えてしまうので、やっぱり「八ツの峰をもつ山」が本当なんじゃないかな、と私は思いたい。(八ヶ岳は、実際は大小約20の峰からなっています。)
 ちなみに、山の聖書「日本百名山(深田久弥)」によると、その八峰とは、編笠山2524m、西岳2398m、権現岳2715m、赤岳2899m、阿弥陀岳2805m、横岳2829m、硫黄岳2760m、峰ノ松目2567m、となっている。私が持っている古いガイドブック(「八ヶ岳」・山と渓谷社・昭和42年発行)には、峰ノ松目の換わりに北八ツ南部の天狗岳2646mがノミネートされている。実際、はっきりとはしていないようだ。
 尚、八ヶ岳の山名の由来については、最南部の権現岳に祀られている八雷神の「八」に由来する、という有力な説もあるようだ。

赤岳鉱泉: 歩かなければ行けない温泉付き山小屋。標高2240m、横岳中腹に位置する。この日は一畳に一人、混んでいたが、食事等山小屋としてはよく行き届いていた。風呂があるのが何より嬉しい。泉質は炭酸鉄泉。通年営業。風呂はこんな辺鄙な処の割にはよかったし、食事は真心のこもった美味しいものだった。この小屋の快適さは経営努力のたまものだと思う。高く評価したい。
 この日(11月1日)は岡田新監督率いる日本代表が、ワールドカップ最終予選の韓国戦で快勝をした日でもあった。(小屋のテレビで観戦!)
  「赤岳鉱泉・行者小屋」のHP

本沢温泉: はっきり云って、評判倒れ。セコさが鼻についた。喫煙場所が狭く薄暗い廊下の寒い場所にしかなく、愛煙家の私にとっては不満が残る。出てきた食事は全部冷めていた。従業員たちの言葉使い等、傲慢さが垣間見られた。泉質は石膏土類硫化水素泉、内湯は檜造り。湯温摂氏60度の筈だが、温湯好きの私にさえ温るすぎた。外湯など、温泉としての素材は上質だと思うのだが…(多分)湯温などの管理不十分で、非常に残念だ。たまたま(もしかして経営者=ご主人が不在で…)この日だけのことだったのかもしれないが…。
  「八ヶ岳、湯元 本沢温泉」のHP

*** コラム ***
岩尾根にて

 赤岳から横岳へ向かう岩場の続く稜線上で、前を歩く母子連れと思われる二人のパーテイーにただならぬ気配を感じた。関西訛りの母親が気合いの入った掛け声で息子を先導している。その母親は多分私達と同じくらいの年齢で、息子さんは二十歳前後だろうか。よく見ると、息子さんのほうは全盲のようだ。二人はザイルでしっかりと繋ぎ合っている。私でさえ恐怖を感じる難所の連続だ。
 母親が大きな声で間断なく息子に指示を出す。盲目の息子はその母親の指示に忠実に従いホールドとスタンスを選んでいる。まさしく命がけの登山だ。その危機迫る仕草に圧倒されながら、随分と長いことその二人の後ろを歩いた。私達夫婦は一言もしゃべることができなかった。
 様々な妄想が私達の脳裏をよぎる。一体、この母子にとって八ヶ岳とは、登山とは、何なのだろうか。ザイルで繋ぎ合っている、ということは、死ぬ時はいっしょ、という意味だろう。感動を通り越して、ピーンとはりつめた緊張感が私達を包む。そして、気が付いたら涙が止まらなくなっていた。
 この母子連れを、言葉も交わさないまま、地蔵ノ頭付近で追い越した。実際、声を掛けられるような状態ではなかったのだ。
 幾分歩きやすくなってきた尾根道を何時ものようにゆっくりと歩く。暫らく歩いてから、小岩に腰掛けて休憩していると、後ろからあの関西訛りの母親の大きな掛け声が近づいてきた。「けっこう早いね」 「追い抜かされたらハジかしら」 と、そのとき私達は久しぶりに会話をした。そして慌てて再び歩き出した。

*** その後の南八ヶ岳の山行記録です ***
西岳から編笠山と権現岳平成17年10月
編笠山から権現岳と赤岳平成19年10月
赤岳(県界尾根・真教寺尾根)平成25年9月



凄絶な硫黄岳山頂の火口壁
凄絶な硫黄岳山頂部の火口壁

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