佐知子の歌日記・第十六集
佐知子の歌日記・第二十三集
平成30年4月〜6月
お見舞いは一輪挿しのさくら草 病室に咲く夫のほほえみ
飛行場・工場・倉庫のあいだから太陽のぼる おもわず拝む
「晴れ」の日が好きなわたしであるけれど歌を詠むには「雨」がいいかも
母の日に黄色のTシャツを娘
(こ)にもらい山に行けよと後押しされぬ
山靴のゴム底剥がれつま先がパクリとカバの口を開けたり
観光の人混みのなか早口の世界の言葉を聞く京都の駅に
幾度も洗濯物を干し換えて梅雨の晴れ間のわたくしは忙
焼きたてのナンとカレーの店は混み ニッポン人の胃はインドなり
ラッキョウとウメ・ナス・タクアン漬ける吾は 東京生まれのカントリー嫗
咲き初めの都忘れを供えれば植えたる義母の笑顔がうかぶ (4.4)

毎日の洗濯物が多くって予報に見入る空を見渡す (4.4)

かけぬける春の嵐があらあらら自転車2台倒してゆけり (4.11)

プランターの都忘れに忍び寄る草草のいのち摘んでしまえり (4.13)

 黄班上膜の手術のため入院 (4.17〜20)
雨嵐のちの晴れ間の青い空 手術はきっと成功するね
10分間わが腕さする看護婦は点滴用の血管さがす
雑談にちらりと家族がみえてくる病院の夕べ4人部屋から
うす味の病院食は残しても娘持参のドーナツほおばる
一人出て午後には一人入り来る休む間もなし病院のベッド
病院の窓から外の空気推す今日は暑そう風は弱いな
自分の名生年月日もわからずに患者はか細い声のみ発す
お見舞いは一輪挿しのさくら草 病室に咲く夫のほほえみ
飛行場・工場・倉庫のあいだから太陽のぼるおもわず拝む

一日に四度の手間をかけて点す目薬四本わが日常となる (4.21)

全身のみにくきものが流れ出る術後七日の洗髪・洗顔 (4.24)

「晴れ」の日が好きなわたしであるけれど歌を詠むには「雨」がいいかも (4.25)

それぞれの個性感性ちりばめる新聞歌壇の四十首なり (4.30)

よく見えるテレビ画面の番組表 眼科手術の半月すぎて (5.3)

咲き誇る赤いミニ薔薇ゆれもせず風のつよきにも鉢にありたり (5.3)

財布から割引券を出し忘れ レジの手早いしぐさを見てる (5.4)

生きてたらどんな姿でいるだろう九十八の父の声などは (5.4)

耳垢を溶かす薬をいれるたびゴボゴボと鳴る右の耳なり (5.10)

 
奈良倉山ハイキング (5.12)
新緑の樹の間よりきく「ホーホケキョ」「ホッホッケキョ」あり「ホーホッケッキョ」あり
富士山を見ながら食べるおにぎりはご馳走と思う君と並びて
なめらかに肌にしみいる小菅の湯 色白美人になれるねきっと

母の日に黄色のTシャツを娘
(こ)にもらい山に行けよと後押しされぬ (5.13)

 武奈ヶ岳登山と京都見物 (5.16〜18)
比叡山の緑につつまれ延暦寺 シャトルバスにてお堂を巡る
雲多く琵琶湖は見えぬが新緑の武奈ヶ岳には小鳥の声多し
山靴のゴム底剥がれつま先がパクリとカバの口を開けたり
観光の人混みのなか早口の世界の言葉を聞く京都の駅に

自転車のパンク修理を夫にさせ お礼に缶を五十個つぶす (5.26)

「大粒を」と水をやりつつ頼みつつブルーベリーの濃紫を待つ (5.28)

山靴と紺のザックを買いそろえ登れる山をさがす地図帳 (5.31)

眼科・歯科・ゴミ当番を終えた 昼歌会モードへ自転車とばす (6.5)

幾度も洗濯物を干し換えて梅雨の晴れ間のわたくしは忙 (6.7)

 帝釈山から田代山 (6.14)
春蝉の哀しい声を聞きながら檜枝岐へと静かに進む
梅雨に咲く帝釈山のオサバ草 白い小花はうつむきながら
ワタスゲの白がふわふわリンドウの青すがやかな田代湿原
遠近のメガネをかけず運転の気がつくまでの夫の五分間

 
湯ノ倉山登山・高清水自然公園・霧降高原 (6.15〜16)
山肌は両面羊歯の海となり さみどりゆれる湯の倉山よ
目印の旗をたよりに進みゆくヒメサユリ咲く会津のこやま
黄色濃いニッコウキスゲは霧のなか霧降高原に咲き始める

三色の小さな容器の目薬は底から見れば飴玉のよう (6.21)

焼きたてのナンとカレーの店は混み ニッポン人の胃袋はインド (6.21)

一週間たつのにかゆい両の腕 七ヶ所にぬる虫刺され薬 (6.25)

ラッキョウとウメ・ナス・タクアン漬ける吾は 東京生まれのカントリー嫗 (6.28)

汗かきのわれをめがけて夏がくる六月末の梅雨明けなんて (6.29)

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