No.355 深沢集落から 勝峰山(かっぽうやま・454m) 平成29年(2017年)4月2日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ 東京都の西(あきる野市に近い日の出町・・JR武蔵五日市駅の北側)に位置する勝峰山454mを、地元では“かっぽさん”と呼んでいる人が多いそうだ。しかしその地元の山の会とかNPOなどのホームページや日本山名事典(三省堂)では“かっぽうやま”と振り仮名がふってある。そして更にややこしいのは、国土地理院の25000図では“かつぼ”とルビがふってあるということだ。「…さん」なのか「…やま」なのか、はたまた「かっぽ」なのか「かっぽう」なのか「かつぼ」なのか…、まぁどうでもいいと云えばどうでもいいことだけれど、こんな都会的な(都会に隣接している)里山にも、その山名の呼び方において異同があるというのがチト面白い。とはいえ…文学の世界ではなくて地理の問題なのだから「みんなちがってみんないい(金子みすゞ)」とは云えないと思う、やっぱり。… 穏やかな春霞の日曜日、新宿駅から午前8時19分発のJR中央線・特別快速(ホリデー快速あきがわ5号)に乗って、その終点のJR五日市線・武蔵五日市駅に着いたのは9時21分。9時30分の集合時間にちょうど間に合って、出だしは好調だ。 今回の山行イベント「(マニアックなルートで歩く)勝峰山」を主催したのは同じ森林インストラクター東京会のKさん(案内役=隊長)とMさん(幹事役)で、集まったモノ好きなメンバーは私を含めて(なんと)28名。ホームのトンネルをくぐって駅の北口に出て、広場でK隊長から本日のルートなどを説明していただく。キーワードは「枝道が多く迷いやすくベテラン向き」「猟師以外に人と出会うことはまれ」「勝峰山からの眺望と平将門伝説」ということであるらしい。 まずはウメやロウバイの咲き残る静かな里歩き。清らかな三内川(秋川の支流)に沿って遡上する。ヤブツバキの落花が目立つ道端にはタネツケバナ、セントウソウ、ユリワサビ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、スミレ類などの小さな花たちが咲き競い、スプリングエフェメラルのカタクリやニリンソウも咲き始めている。木本ではフサザクラの紅い花やキブシのクリーム色の花穂が目立っていて、アブラチャンの黄花は未だ蕾のようだ。 南沢あじさい山を経て金毘羅山468mへ至る道を左に分けて、閑静な深沢の集落を通り抜けていく。途中、「山抱きの大樫」とか「千年の契り杉」などの見所が右に左に出てくるけれど、今回は後ろ髪を引かれながらパスする。道標も兼ねているらしい赤い帽子の(丸太造りの)オブジェが所々に立っていて、これが何ともいえず可愛くて、思わず頬がゆるんでしまう。帰宅してからネット検索してみて分かったのだけれど、近くにある「深沢小さな美術館」の造形作家・友永詔三氏の作によるもので、名前をzizi(じじ・森の妖精)というそうだ。いつか機会があったら、それらの寄り道も是非してみたいと思った。 深沢家屋敷跡を過ぎ、その先を右へ進んで、左に位置する民家の物置小屋の脇から、送電鉄塔を目指して、スギ・ヒノキの山道へ入っていく。ここが登山口なのだが、もちろん指導標は無い。(イノシシがつけた?)踏み跡は思ったよりもしっかりしているけれど、道上のあちこちにタヌキのため糞が落ちていて、注意が必要だ。 「ためふんでぇ〜す!」 と伝言ゲーム状態で後ろに伝える甲高い声が、静かな山林に響き渡る。「まだ蕾のシュンランを見つけた!」 という声や 「カンアオイが多いな!」 という声も聞こえる。山稜の近くになると西面の開けた箇所(伐採跡)を通過する。三内川源流の小さな谷を隔てて金毘羅尾根の峰々が近い。 二つ目の鉄塔下でロンデン尾根に出て、ここで大休止(早目の昼食)となる。雲が多かったけれど、開けている北面の一部からは奥多摩の東側の低い山並みが見えている。それが高水三山の右裾辺りだとしたら、その右奥に薄っすらとみえている山影は奥武蔵の山々だろうか、などとコンビニおにぎりを食べながら考えていたら、スマホの画面を見ていた二人の女性隊員が 「あっちが官ノ倉山でこっちが筑波山だって」 とか云っている。聞いてみると、GPSの位置情報機能を使った山座同定のアプリで、スマホのカメラを向けると写っている画面上に山名が表示される、というものであるらしい。すごいなぁ、と思ったけれど…、実際に見えている山がそうなのか、ということは分からないらしい。奥武蔵の官ノ倉山は確かにその方向だけれど山の向こうの小川町の方だよ。いくらなんでもここから見えるはずがない。だいいち、筑波山方向(北東方面)はヒノキ林だぜ。 鉄塔下でたっぷりと休んでから、東の方向へロンデン尾根を進む。歩きやすい尾根道の両脇には幹の太いヒノキがずっと続いている。K隊長の忖度(そんたく)によると、この道は日の出山から御岳山へ続く“参道”だったのかもしれない、ということだった。 石灰岩の露岩が目立ち始める。地元の「NPO触れ合う会」による赤く塗った指導標が分かりやすい。ヒノキ・スギ林の縁ではヒサカキの壺状の小花がガス漏れ臭を漂わせている。アセビ、アオキ、アラカシやヤマグルマの幼木、なども目立ち、落葉樹のリョウブやヤマザクラやシデ類はここでは少数派だ。所々に生えている足元のヒメカンスゲ(カヤツリグサ科の多年草)のブラシ状の白花が案外ときれいで、思わずシャッターを押す。 開けた箇所からは近隣の低い山並みが見えている。分岐(深沢山北峰)を通り過ぎ、振り返って樹林の隙間から眺めた大岳山の山容が印象的だ。 三等三角点(点名:勝保山)の標石と小祠のある勝峰山454mの山頂に着いたのは午後1時頃だった。近くの広場にはベンチや「21世紀の桜の森・勝峰山・歴史と伝説の森」と題した将門伝説などの解説板も立っている。樹林に囲まれていて展望は殆ど無いけれど、思っていたよりもずっと垢抜けした山頂だ。 勝峰山の山頂から広くて歩きやすい道を少し下ると東面の開けた立派な展望所があり、眼下の太平洋セメント工場や日の出町の里の風景などが一望できる。すっきりと晴れていれば都心のビル群はもちろんのこと、東京タワーやスカイツリーも見えるらしい。 林道とショートカットの山道を交互に下り、ちょっとマニアックな裏道も通ったりして、非舗装道(林道勝峰山線の入口近く)にドスンと着地。降り立った場所はかつてセメント工場まで走っていた鉄道の廃線跡とのことだった。「痕跡」として土止めにレールや枕木が使われているのが面白い。近くに幸神神社のシダレアカシデ(国の天然記念物)があるのだが、今回はこれもカット。静かでしっとりとした里歩きを楽しんで、午後2時40分頃、武蔵五日市駅へ戻り着いた。 今回のコースについて、ボリューム的には軽ハイキングといえるかもしれないが、道迷いのリスクがあり、K隊長のような道を熟知したスペシャリストがいないとレベルは少し上がるかもしれない。久しぶりにお会いできた森林インストラクター仲間の方も何人かいらして、そういう意味でも(私にとっては)意義のある楽しい山行だった。案内していただいたK隊長とMさんに感謝感激だ。 * 勝峰山について補足: 山頂下の展望所に「21世紀の桜の森・勝峰山・歴史と伝説の森」と題したもうひとつの(日の出町の)解説板がありましたが、その内容の一部を要約して箇条書きにしてみました。 ・ 勝峰山は勝雄山ともいう。 ・ かつて、平将門がこの山上に城塞を構えたという伝説がある。 ・ 全山が石灰岩からなり、細尾・岩井・幸神(さちかみ)の集落へのしかかるように屹立している。 ・ この山の石灰岩に着目してセメント工場が建設された。朝・昼・夜の三交替制で従業員が1000人以上という大工場になり、第二次世界大戦後の復興に貢献した。 |