常念山脈北部縦走・5日間の山旅日記(後編) No.480-2 蝶ヶ岳~常念岳~燕岳 令和6年(2024年)7月29日~8月2日 |
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大展望のスカイライン! 【コースタイム: 第1日=2時間50分 第2日=6時間 第3日=8時間 第4日=約8時間30分 第5日=約4時間20分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(常念岳)へ *** 前項(前編)からの続きです *** 昨夜半には完全に雨が上がったようだ。ぐっすり眠って、午前4時前の未明には起き上がって、トイレへ行って顔を洗って、それから薄っすらと空が明るくなってきた4時半頃、其々がヘッデンを点けて、蝶ヶ岳ヒュッテを出発する。東の空も西の空もモルゲンロートに輝き始めている。…やがて、安曇野に覆いかぶさる雲海の彼方から…上信の峰々の頭上から…太陽が昇る。山の朝の、感動のドラマのクライマックスだ。 小1時間ほど歩いて、蝶ヶ岳の三等三角点と蝶槍の中間地点辺りで…茫洋とした穂高連峰を西に眺めながら…蝶ヶ岳ヒュッテで前夜のうちに確保しておいた朝食弁当(パン+ソーセージ)などを食べる。天気予報では、きょうから上天気が続くということで、みんなウキウキしている。…ハイマツの堅果を咥えたホシガラスが忙しそうに飛び回る。アマツバメもイワヒバリも飛び回っている。天気が良すぎて、ライチョウは姿を見せない。 アップダウンしながら…高山帯の植生や森林限界付近の植生を観察しながら…否、こんな晴れた日はやっぱり左右の山岳展望を堪能しながら…まったりと北へ進む。今歩いているこの尾根道は、かつて田淵行男氏が「アルパイン・バタフライ・コース」と名付けた処でもあるが…、ちょっと下った鞍部でマルバダケブキの花にキアゲハが止っているのを見たけれど…、う~ん、やっぱりキアゲハは、少なくも高山蝶じゃないよねぇ…、多分。 再び樹林帯の最低鞍部からガラガラした岩場を…ルートファインディングを楽しみながら…標高差約400mを登って、小祠のある常念岳の山頂に立つ。もちろん一点360度の大展望だが、岩ゴロの狭い山頂なので、4人全員で登頂の記念写真(つまり証拠写真)を撮るのは難しそうだ。なので、分散してお互いを交互に撮影した。驚いたことに、なんと、この岩場にもキアゲハが飛んでいる。 常念岳の山頂からは、同じくらいの(約400mの)高度差を下り、ヘロヘロになって常念小屋に辿り着いたのは14時50分頃だった。…まぁ、私たちからすれは上出来のこの日だった。 夕食前のひとときを小屋前の広場(常念乗越)で過ごしていたら、槍ヶ岳~穂高連峰の(西側の)空に太陽が燦々と照っていて、東側の下方(松本平方面)はガスっている。もしやと思ってガスを覗き込んでみたら、おっ、やっぱりブロッケン現象だ。慌てて小屋に戻ってメンバーたちに「ブロッケンが出ているよ!」と告げて、夕まづめまで消えては現れる、その不思議な現象に一喜一憂した。いつしかこの常念乗越の東側は、噂を聞きつけた小屋の宿泊客たちで大賑わいになっていた。 * 常念岳の山名由来: はじめは乗鞍岳(のりくらだけ)と呼ばれていたそうだが、坂上田村麻呂がこの地方の八面大王を征伐したとき、重臣の常念坊がこの山に逃げ込んだことから常念岳と呼ばれるようになった、ということらしい。初夏に常念坊の雪形ができることは有名だ。←「日本山名事典(三省堂)」の該当項を参照して記述。 佐知子の歌日記より 「晴れたよ」と喜ぶ友の声弾み常念尾根を軽やかに行く 夕方の丸く大きなブロッケン友らの笑顔あふれる小屋前 ●8月1日・快晴(常念小屋~大天井岳~燕山荘) きょうも(私たちにとっては)長丁場なので、未明に小屋を発つ。横通岳(よこどおしだけ・2767m)の西側斜面をトラバースしたりして、なだらかにアップダウンを繰り返して、昨日に引き続き山岳展望と高山植物のスカイラインを北上する。…それにしても、縦走路が西側の山腹を通るので「横通岳」とは、よくぞ名付けたものだ。 東天井岳2814mも左(西側)の肩を巻いて進む。…花については、マルバダケブキ、ハクサンフウロ、モミジカラマツ、イブキトラノオ、ミヤマトリカブト…、などといった常連の高山植物は尾根の東側に多く、風が強く当たる西側は荒涼とした砂礫地が多い。そんな(西側の)普通の植物は棲息できないようなザレの急斜面に、コマクサが点々と咲いている。その小さくて可憐な容姿からは想像がつかないが、地下では1m以上に伸びていることもあるそうだ。その長い根で、崩壊ザレの急斜面からしっかりと身を守っている、ということか。流石に高山植物の女王と呼ばれるだけのことはある、といつも感心する。 大展望のプロムナード(尾根歩き)は、いつ果てるともなく続く。 * この縦走路には雪渓が一つもない、ということにも、歩いていてふと気がついた。以前は(といっても半世紀以上も昔のことだが)8月上旬のこの辺りにも、雪渓がいくつも残っていた。あの時代は、雪渓の表面の雪を削ってから中のきれいな雪をお椀に入れて「渡辺のジュースの素」を振りかけて食べたものだ。つまりかき氷で、もう最高の山のデザートだった。それから一握りの雪を登山帽の中に入れて、頭に被って歩いたものだ。すると融けた冷たい水が頭から首筋に伝わって、火照った身体を(ほんの少し)冷やしてくれた。それもこれも懐かしい思い出だけれど…。 大天井岳(おてんしょうだけ・2922m)のすぐ下に大天荘(だいてんそう)があり、その裏手にザックをデポして、三等三角点2767.11m(点名:天章山)と小祠のある大天井岳の山頂を往復する。こちらの山頂も一点360度の大展望で、常念山脈の最高峰なこともあり、常念岳の山頂に勝るとも劣らない。山頂部が小広くて足場がしっかりしているので、それも好都合だ。穂高~槍はもちろん、後立山や裏銀座の山々もよく見えている。立山連峰の右奥…高瀬ダムの青い湖面の頭上には…あの剣岳もすっくと聳えている。振り返れば遠く富士山の山影も見えている。 大天井岳の山頂に思わず長居をしてしまったので、時間が少し気になりだした。そんな焦りが事故の遠因になったのかもしれない…。 大天荘へ下って小屋前広場のベンチで昼食を摂ってから、再びザックを背負って縦走の続きをする。小林喜作氏のレリーフのある(クサリやハシゴもある)切通岩や為右衛門吊岩付近の難所などは無事に通過したのだが、その先の少し広くて平らになったザレ場で…ホッとした油断からか…メンバーの一人が小石につまずいて転倒してしまう。運悪く転んだ先に小岩があって、そこに頭をぶつけてしまった。頭部には特にたくさんの血管があるので、出血量が多い。まずは血止めだ。安静にして頭を高くして、応急処置…滅菌ガーゼを当てて包帯を強く巻く…をした。不幸中の幸いというか、本人の意識はしっかりしていて、気分も悪くないと云う。 充分に休憩してから、ゆっくりと歩き始める。「大下り」を登った処(大下りの頭)で携帯電話が通じたので、きょうの宿・燕山荘に電話して状況を伝えた。電話に出た燕山荘の担当者は、とても親切に応答してくれた。 燕山荘に着いたのは17時を回ってしまったが、小屋の従業員さんたちにもやさしく対応されて、胸をホッとなでおろす。そしてまず、燕山荘に夏休みの間だけ併設されている「順天堂大学医学部夏山診療所」に案内してもらう。増設に次ぐ増設で迷路のようになった廊下と階段の奥に、その診療所があった。そこで一人の中年医師と4~5人の研修生たちから手厚い治療を受けたのは、言うまでもない。4針を縫ったそうだ。診療所様様だ。 佐知子の歌日記より 梅ジャムとクラッカーの昼 青空とおいしい空気と緑の山よ 大天井・槍・穂・剱や富士山と名だたる山のパレードである 長丁場の歩程に足がもつれたか 転び怪我した友痛々し 応急の手当てが良しと夏山の診療所では言われたらしい ●8月1日・快晴(燕山荘~合戦小屋~中房温泉) 燕山荘前の展望所からご来光を仰いで、それから小屋の朝食をゆっくりと摂る。この山旅ももう5日目なので、身体が「山」に大分順応してきているみたいで、体調はすこぶる良い。とはいえ昨日の転倒事故の余韻もあるので、この日に予定していた燕岳往復は割愛して、真っ直ぐに中房温泉へ下山することにした。 6時頃に下山開始して、小1時間ほども合戦尾根を下って、合戦小屋で小休止。途中で私たちを追い越していった燕山荘=合戦小屋の数名のスタッフたちが、7時丁度に小屋をオープンして名物のスイカを売り出したので、なにはともあれみんなで並んで買って食べた。1/8サイズの一切れ600円のスイカは、相変わらずめちゃくちゃ旨かった。北アルプス三大急登のこのコースを歩く理由の半分はこのスイカ、と思えるほどだ。 この日が金曜日だったこともあり、すれ違うハイカーの人数は半端なかった。人気の表銀座縦走コースの入山ルートであることや、私たちが歩いた常念山脈縦走の南行きのハイカーも少なからずいると思う。…前(=くどいようですが半世紀以上も昔のことです)は大滝山・蝶ヶ岳→燕岳の北行きが主流だったように記憶しているが、何時頃からのことなのか、現在では「燕→蝶」の南行きが主流のようだ。すれ違うハイカーが超多いのも、それに起因しているかもしれない。 ゆっくりと、ゆっくりと下って、中房温泉「湯原の湯」に下山したのは11時半頃だった。4日ぶりに風呂に入ってさっぱりして、食堂の生ビールで乾杯して、山菜蕎麦なども食して、すぐ近くのバス停から14時15分発の穂高駅(大糸線)行きのバスに乗る。 ヒヤリハットもあったりして、矢張りトシを感じた本山行だったが、ほぼ予定通り歩き通すことができた。まぁ、ゆとりのある登山計画でよかったと、帰路の車中でもつくづくと思った。メンバーのみなさんも概ね大満足だったのが何よりだ。…私的に一つ文句を言いたいのは、山小屋の夕食のメイン料理のことで、すべての小屋が(何故か)レトルトのハンバーグだった、ということだ。山小屋の定番・カレーライスは、もはや遠い昔の郷愁なのかもしれない…。 ともあれ、こんな素晴らしい登山の帰宅後は…私の常ではあるけれど…暫くはボ~として過ごすことになる。パリで開催されているオリンピックのことなども私の脳には殆ど伝わらない。つまりそれが「山ボケ」だ。 佐知子の歌日記より 朝七時合戦小屋の西瓜食べ皆に笑顔が戻ってきたね * 後日談: 下山後に、大天井~燕山荘の山稜で大怪我をしたメンバーから、その後の報告がありました。検査の結果、脳に異常はなくて、経過良好とのことでした。1週間後には抜糸となったようです。ほんとうに、よかった、よかった。 中房温泉「湯原の湯」: 詳細については拙山旅日記の「5月の燕岳」の項を参照してみてください。 常念山脈・5日間の山旅の写真集へ 最低鞍部手前のピークにて(バックは常念岳) 常念岳の山稜でキアゲハに遭遇!
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