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No.150 北高尾山稜
平成15年(2003年)2月8日 晴れ

高尾周辺の略図

アップダウンがきつい
冬枯れの北高尾山稜
登山開始!
八王子城跡入口


アップダウンの連続でヘトヘト

京王線高尾駅-《タクシー10分》-八王子城跡入口広場〜八王子神社・城山445m〜富士見台〜杉ノ丸612m〜大嵐山〜三本松山611m〜関場峠〜堂所山731m〜底沢峠〜美女谷温泉(泊)…南高尾山稜縦走… 【歩行時間: 5時間40分】
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 高尾山から小仏峠への稜線は何回か歩いている[No.118高尾山]。小仏から影信山、陣馬山へと続く奥高尾山稜も歩いたことがある[No22影信山・陣馬山]。人並みの多さに驚かされながら、その度に気になっていたのが(この主脈山稜の北側の)小下沢(こげさわ)をはさんで並行に延びる低い山稜・北高尾山稜だった。…八王子城址(城山)から西へ延びる北高尾山稜は堂所山(どうどこやま)で主脈と交わるのだが、そこから南側(相模湖側)へ下山すると美女谷温泉が待っている、というのが、じつは、気になっていた理由の1つでもあった。

 JR中央線・京王線高尾駅北口で、古いガイドブックに従って八王子城址行きのバスを捜したが、なかなか見つからない。仕方なくタクシーに乗り込んだ。タクシーの運転手さんに尋ねたら、何と、この路線は東京造形大学の移転に伴って数年前に廃止されたとのこと。出鼻をくじかれたが、長丁場の今日のコース、少しでも時間を稼ぎたかったので、まぁいいか。(後で分かったことだが、バス利用の場合は霊園前バス停で下車して、歩いて約30分、とのことだった。)

 午前8時45分、八王子城址自然公園の入口広場でタイル造りの立派な解説板(小さい字でごちゃごちゃ書いてある)をざっと読んで、一応予習をしてから、おもむろに歩き始める。鳥居をくぐって暫らく登ると道は旧道と新道に二分する。私達は歴史の重みを感じられるという右手の旧道を進んだが、左の古戦場跡の梅林を通るという新道を行った方がよかったかしら。ここ2〜3日少し暖かくなってきているので、若しかして梅が咲いていたかもしれない。
 スギやカシの林の中を登る。林床のアオキの緑が光っている。新道と合流し、九合目を過ぎ、急に東面の開けている箇所(見晴台・松木曲跡)を通過。 八王子市街の奥にぼんやりと霞む関東平野の景色など、ゆっくりと展望を楽しみたかったのだけれど、とにかく先を急ぐ。
 歩き始めてから30分ほどで八王子神社・城山へ着く。神社の社に向かって柏手を打って、その裏手から本丸跡のあるピークを往復してみた。樹林に囲まれ眺望はないが、木祠と石碑がひっそりと佇んでいた。早春のこととて、ホトトギスがまだ未完成な声で鳴いている。

八王子神社* 八王子城跡: 八王子市街の西、城山445mのひっそりとした山頂部に位置し、史跡指定地は約154haにおよぶという。八王子城は1570年代に北条氏綱の弟・氏照(うじてる)が滝山城から移転しての築城とされる。1590年(天正18年)6月23日、豊臣秀吉の小田原攻めに際して、戦国時代最後の壮絶な攻防戦の行われた処。たった一日で落城したが、1000人とも2000人ともいわれる北条勢はその殆どが討ち死にや自害をして果てたと伝えられている。小田原城が落城したのはそれから2週間足らずのことだったという。
 この八王子城跡は、地元の人々の熱意と運動により、昭和26年、国指定の史跡として保存されることになったとのことだ。近年、心霊スポットとしても有名、なんだそうだ。

 ※八王子市の解説板などを参考にして記述しました。

 「井戸曲輪(いどかこい・坎井の井戸)」や「馬冷し」や「天守閣跡」などの史跡を見学しながら西へ進み、富士見台で小休止。西南西の方向、向かいの高尾山稜の上(小仏峠辺りだろうか)に白銀の富士山がぴょこんと、しかし遠くぼんやりと、見えていた。まだまだ先は長い。
 誰がイタズラしたものか、標石の文字は1等三角点と読めたが(実際は547.55mの3等三角点・点名は「材木沢」)、そのピークを通過したのは午前10時45分。何十もの小ピークを登り降りしながら、徐々に高度を上げていく。スギ・ヒノキの人工林にコナラなどの雑木林(天然林)が混じりはじめる。明るくて気持の良い樹林帯の稜線歩きだが、見た目以上にアップダウンがきつくて、アゴが出てきた。杉ノ丸612mを越え、最近開通したらしい北浅川の谷へ下る道(夕やけ小こやけふれあいの道)を右に分け、大嵐山(おおらんざん)の手前のベンチで大休止。
堂所山の登り
残雪の尾根道

ほっと一息
堂所山山頂

谷間の一軒宿へ下山
美女谷温泉
 いつもは1時間の大休止を45分に詰めて、気合いを入れて再び歩き出す。モタモタしていると本当に“夕やけ小やけ”になってしまう。アカマツが目立ち始めると間もなく三本松山611m。緩やかに下って稜線鞍部の関場峠。冬になると葉の縁が白くなり、何とも云えず美しいミヤコザサの広がる原を通過、最後の登りにさしかかる。所々の残雪。後を歩いている佐知子の荒い息遣いが聞こえる。
 本日の最高峰・堂所山(どうどこやま・731m)の山道に沿った細長い山頂へ着いたのは午後2時30分だった。そしてそれは下山時刻の目安がついて安堵した瞬間でもあった。山頂へ着いてこんなにホッとしたのも久しぶりだ。西面の陣馬山や生藤山へ続く山並(醍醐丸か連行峰の辺りかな?)を眺めながら、何時もの通り、のんびりと中休止。サーモスの熱い紅茶が美味しい。
 堂所山をあとにして少し歩くと人影の多い奥高尾の縦走路と交わる。陣馬山方面へ右折し、底沢峠(美女谷温泉分岐)で国境(東京と神奈川)の主稜線を右に見送る。再び静けさの帰ってきた杉林の急坂を相模側へひたすら下る。里の方から中央自動車道を行き交う自動車のエンジン音が微かに聞こえてくる。下り切って着いた処が底沢の美女谷温泉だった。午後4時15分、まだ日は残っていた。

 北高尾山稜は玄人好みの「通の山域」と云われているようだ。実際、都会からこんなにも近いのに、静けさを充分に満喫できる有り難い存在であると思う。稜線を歩いている時 「展望がもう少し良いと、いいのにね」 と佐知子が言っていた。 「展望がもっと良かったら、人気の奥高尾山稜になってしまうよ」 と私はそのときそう返事した。

美女谷温泉: 美女谷川の流れにそった谷間の一軒宿、標高約250mに位置する。木造二階建ての地味な造り。部屋の窓から見える沢の流れや正面間近の山裾の景色など、なかなかだった。浴室は木壁で落ち着ける。浴槽は岩風呂風タイル貼りで男湯はひょうたん型、女湯は長四角型で、何れも2〜3人がゆっくりと浸かれる広さ。いまどき少し狭いかもしれないが私達には充分だ。重曹泉、加熱、循環。JR相模湖駅まで歩いて1時間弱。送迎車あり。暖かい食べ物を暖かくして食膳に運んでくれる心配りが嬉しい。1泊2食付き一人10,000円は安いと思った。案外空いていたが、小仏峠や大垂水峠にも近く、高尾周辺を歩くハイカーなどにもっと利用されてもいい宿だと思う。宿の美人女将は 「山菜料理と新緑の季節がここの旬ですよ」 と言っていた。
 尚、美女谷の地名は浄瑠璃や歌舞伎などでおなじみの「小栗判官・照手姫」の伝説に因むもので、ここは絶世の美女照手姫の出生地であるらしい。
 * 美女谷温泉はこの10年後(2013年現在)、廃業したようです。矢張り、とても残念です。[後日追記]

翌日は 次項 南高尾山稜


 * 当サイトの高尾山関係のページ
  高尾山・ハイキング: 高尾山ハイキングの記録です。
  高尾山・アラカルト: 高尾山のあれやこれやです。
  高尾山の四季 高尾山の1年をお伝えしています。
  北高尾山稜 通好みの山稜の山行記録。(本ページ)
  南高尾山稜 穏やかな山稜の山行記録です。
  南高尾(里山探検コース) とっておきの裏コースです。
  景信山と陣馬山 奥高尾山稜の山行記録です。
  小仏城山 日影沢林道を下りました。



とても静かな北高尾山稜
北高尾山稜 ミヤコザサの原

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