No.295 高麗山(大磯丘陵・湘南アルプス) 平成24年(2012年)1月7日 |
||||||||
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 殆ど関東平野とつながっている相模平野は、“地形学上は多摩丘陵によって分離された独立の堆積盆地[Wikipedia]”とのことだが、これがけっこう広い。その広大な相模平野の西の果てに高麗山(こまやま・168m)がある。フィリピン海プレートが本州側のプレートの下側に沈み込む、その地殻変動によって隆起した「地塁山地」であるらしい。歴史的にみて、朝鮮半島とのつながりの深い処だと聞いている。その高麗山から西へ続く低い山並みを淘綾(ゆるぎ)丘陵とか大磯丘陵、または相模丘陵などと呼んでいるけれど、古いガイドブック…例えば昭和52年発刊の「ブルーガイドブックス・ベストハイキング100コース(実業之日本社)」では「高麗丘陵」となっている。今ではその呼び名(高麗丘陵)は廃れてしまったようで、どのガイドブックにも地図にもその表示はない。その理由は…、もちろん私にはわからない。(*) 近年ではこの山域を「湘南アルプス」と呼ぶ向きもあるそうだが、その謂れについても私は知らない。 * 埼玉県南部の飯能市から日高市に延びる低山域を高麗丘陵と呼んでいるけれど、それとの混同を避けたのかもしれない…、と考えるのは穿ち過ぎだろうか。 東京都大田区の自宅でいつもの時間にいつものとおり、年老いた両親といっしょに朝食を摂って、それから支度して家を出る。妻の佐知子と二人の、何時ものメンバーだ。 東海道線だから10分に1〜2本程度は電車が走っていて、交通の便は非常に良い。車窓の右手に丹沢の山々が近くに見えてきて、平塚を過ぎて相模平野もつきる頃、右手前方に小高い山が見えてくる。多分あれがペテン山(=高麗山*)なのかなぁ〜と思っていたら、その南側の山裾を電車は走り抜けて、間もなく大磯駅に着いた。自宅からは1時間ちょっとで、とにかく近い。ホームに降り立つと…気のせいか…近くの相模湾から海の匂いがしている。ここは湘南の一角で、加山雄三やサザンの根拠地にも近いのだ。 * (高麗山のことを)平塚方面では「ペテン山」と呼ぶが…これはかつての平塚宿で…旅人に大磯宿はあの山の向こうだ、と騙したことに由来するそうだ。なんか、面白い話だと思う。→「日本の山1000(山渓)」の該当項より 大磯駅から歩き始めたのは8時50分頃。路線に沿ったアスファルトを東へ約30分、「化粧(けわい)坂の一里塚」に生えるエノキの大木の脇を通ってから国道1号線と合流して、道標に従って左折すると高来(たかく)神社の参道へ出る。道筋のそこかしこに神奈川県や大磯町の解説板が立っていて、この地の歴史や植生などについての勉強にはなるが、それを全部読むのは大変だ。 * 高来神社には誰が名付けたものか「シイニッケイ」と呼ばれる不思議な樹木がある。スタジイとヤブニッケイが一体化(合着)したもので、大磯町の文化財に指定されているそうだ。後日、観察する機会に恵まれたが、奥まっていてよく見えなかったこともあり、ちょっと見では、はっきりいって、よく分からなかった。[後日追記] 高来神社(=高麗神社)に参拝して、その右手を廻りこむと、そこから遊歩道(山道)が始まる。女坂と男坂に分かれているが、私達は右手の女坂(関東ふれあいの道になっている)を登る。と、いきなりの深い森。高麗山の自然林は県の天然記念物に指定されているそうだ。アラカシやタブノキやスダジイなどの照葉樹が主役の森で、コナラ、ムクノキ、ケヤキ、カゴノキ、イロハモミジなどの落葉樹は脇役に回っている。林床の低木はネズミモチ(モクレイシだったかも…)、オニシバリ、オオアリドウシ、赤い実をつけたアオキなど、常緑の緑葉が美しい。長い歴史をもつ神社の背後にあったおかげか、極相に近い自然林が比較的よい状態で保存されているようだ。足元にはヤブランが黒い実をつけている。ヒヨドリはぎゃーぎゃーと煩くてせわしないが、ヤマガラはび〜ぃび〜ぃとのんびり鳴いている。なんだか、とても楽しくて嬉しい。 照葉樹の森にうっとりして、“古代の湘南”に思いを馳せながら歩いていたら、小空間があって、そこにベンチがあった。相模湾方面の見晴らしがよい。ここで一休みしているとき、佐知子がぽつんと云った。 「大津波が来たら…、平塚や大磯などの住民はこの丘陵に逃げればいいのね。こんな近くにこんないい逃げ場があるなんて羨ましい…」 彼女は不安な未来に思いを馳せていたようだ。 しかし、あっという間に高麗山の山頂(大堂)に着いてしまった。平らで広い山頂で、手前には「上宮造営所」と書かれた立札があった。以前には“荒れた御堂”があったようだが、今では質素な石祠と礎石が残っているだけだ。環境省と神奈川県の立派な解説板には「高麗(こま)と若光(じゃくこう)」と題して、奈良時代のころの日本と朝鮮の文化交流のことなどが書かれてある。 木々の隙間から平塚の街や丹沢大山や富士山などを垣間見たり、堀切に架かる木の引橋を渡ったりして、大堂から200mほど進むと八俵山(はっぴょうやま)のこじんまりとした山頂で、こちらにもいろいろな解説板が立っている。八俵山の謂れが仏教用語の八俵(隅の意味)から転じたことや、城郭としての高麗山の歴史や、仇討で有名な「曽我物語」との関係や、かつてはここにマツタケの自生があったことなど、これでもかこれでもかというほど丁寧に記述してある。目をしょぼつかせながらざっと読んで、ため息をついて深呼吸して、早々にこの山頂を通り過ぎる。高麗山というのは、東天照と大堂とこの八俵山(西天照)の3つの山を総称したものであるらしい。 なだらかにアップダウンしながら森の尾根歩きを続ける。…タブノキ、マテバシイ、アラカシ、ヤブニッケイ、シロダモ、サンゴジュ、トベラ、アオキ、クロマツ、コナラ、クヌギ、イヌシデ、ヤマザクラ、イロハモミジ、ミズキ、クマノミズキ、ハリギリ、クサギ、エノキ、ムクノキ、ムラサキシキブ、カマツカ、ヤマグワ、イヌビワ、ノイバラ、…など、樹木には名札がつけられているので気は楽だ。所々のヤブツバキにはもう花が咲いている。誰が植えたものか、小群生のスイセンは満開だ。 たおやかで蘊蓄に富むこの尾根歩きは長くは続かない。石祠と一等三角点のある浅間山を過ぎると間もなく、ふと眼を上げると赤白の立派なテレビ塔が立っていて、そこがサッカー場のようにただっ広い湘南平(千畳敷)の東端だった。ここには展望台や高麗山公園レストハウスなどがあり、近くには駐車場もあるようだ。…そう、ここには車で来ることができるのだ。ちょっとがっかりだが、季節がら閑散としたロケーションに好感がもてて、大広場のあちこちで大休止した。桜がたくさん植えられてあるので、花見のころには賑わうはずだ。その広場の一隅に日本山岳会の先駆者・岡野金次郎の石碑と解説板があったが、これは私にとっては重くて清々しい“発見”だった。日本人登山家として、小島烏水とともに初めて槍ヶ岳への登頂を果たした、あの岡野金次郎だ。平塚市民、だったんだなぁ。…これは、ここでは、見逃してはいけないものだと思う。 湘南平にある展望台は、東端のテレビ塔と中央北側の専用展望台と西端のレストハウスの3か所だが、レストハウスの展望台が最も優れていた。そのレストハウスの食堂には客はいなくてしーんとしていたが、上の展望台には数組の家族連れなどがパラパラしていた。ここからの360度の大展望が圧巻だった。伊豆や箱根の山々の右側に富士山〜秦野などの街並みの奥に丹沢の山々〜平塚や大磯などの街並みと相模湾など…江の島や三浦半島や伊豆大島も…くっきりと見渡せる。備え付けの双眼鏡を覗いていた親子連れの一家が「スカイツリーが見える!」と云って興奮していたが、さもありなんと思う。私達は風の弱まっている陽だまりに腰掛けて、おにぎりとリンゴとサーモスのコーヒーで、早目の昼食を楽しんだ。 レストハウスの南側から道標に従って下山開始。と、あっけなく山道が終わって舗装道路へ出て、善兵衛池の脇を通り大磯の街を南進する。JR東海道線を可愛らしいトンネルで横切って、東海道(国道1号線)の松並木も見物する。そして、西湘バイパス(これも国道1号線だ)の下をくぐるとそこが「こゆるぎの浜」だった。物悲しい冬の渚だ。砂浜の向こうには地球の丸さを実感できる果てしのない太平洋が広がっている。我家の金魚(水槽)へのお土産にと、小石を一つ二つ拾った。 島崎藤村邸も見物したりして、大磯駅に戻りついたのは午後1時30分頃だった。ちょっと歩き足りない感じもしたけれど、帰路には北茅ヶ崎駅前の日帰り温泉施設に立ち寄ったりして、甘露甘露の大団円。とりあえず、なんとか今年の初登りができてホッとした。 帰宅したのは午後4時半頃。母がデイサービスから帰ってきたので、「こゆるぎの浜」で拾ってきた小さな石ころを見せたら、きれいね、といって喜んでくれた。これは「さざれ石」といって、由緒ある小石なんだよ、と説明してみたが、母はポカ〜ンとしていた。直径3センチメートルほどの、薄緑色をしたその丸く平べったい小石は、微かに潮の匂いがした。 湘南茅ヶ崎温泉「野天湯元・ちがさき・湯快爽快」: JR相模線の北茅ヶ崎駅前にある立派な日帰り温泉施設。チェーン店のひとつで、所謂なんでもありのスーパー銭湯。2004年にオープンとのこと。設備自体は文句のつけようがないほどで、湯温の管理もしっかりしていた。淡黄色のしょっぱい源泉は“地下1500bから湧き出た”とのことだが、露天風呂にのみ使用されているようだった。若干の塩素臭が気になった。ナトリウム・塩化物強塩温泉、33.0度、加温。割安な回数券あり。会員になると色々と特典もあるようだ。東海道線の茅ヶ崎駅前から30分間隔で無料送迎バスが出ているのが嬉しい。
平成25年(2013年)1月26日・晴れ |