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No.277 権現山1312m(中央沿線)
平成22年(2010年)7月20日 薄晴れ

権現山・略図
王勢籠(おせろう)神社奥社にて
山頂直下の権現社


ほとんど耐暑訓練…

JR中央本線・上野原駅-《バス35分》-初戸〜雨降山1177m〜和見王勢籠神社奥社〜権現山1312m〜(ゴウド山)〜高指山911m〜不老山839m〜山ノ神の祠〜西不老登山口〜不老下-《タクシー10分》-四方津駅… 【歩行時間: 5時間30分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


  「日本山名辞典(三省堂)」の「同名の山」の項によると権現山は日本に89座もある。 これは城山(298座)、丸山(187座)、愛宕山(121座)に続く大平山と同数の第4位だ。 だからなんなの、とまた云われそうだが、権現山という山がそれだけ庶民の生活に密着している、ということを云いたいのだ。 そのことは田中澄江さん(1908-2000)がその晩年の著書「花と歴史の50山」や「新・花の百名山」の“権現山”の項で詳しく述べられている。 ちなみに最も標高の高い権現山は長野県伊那市にある1750mで、大菩薩連嶺の前衛に位置する今回の権現山1312mは第2位ということになる。 それ以外のほとんどが600m以下の低山ということで、権現山の平均身長はかなり低いようだ。
  「日本の山1000(山と渓谷社)」の該当項には “(大菩薩連嶺の)権現山は不遇の山である” と書かれてある。 その理由として “堂々たる山容なのに、前景の山、百蔵山の陰になって、里から望むのが難しいこと” と “バスの便があまりにも悪いこと” をあげている。 今でもその傾向はあるとは思うが、「山梨百名山」はもとより「関東百山(実業之日本社)」にも選ばれたこともあり、近年はけっこう登山者で賑わっているという。 山域区分としては「大菩薩連嶺」とするガイドブックも多いが、本サイトでは「中央沿線の山」として標記した。 百蔵山(ももくらさん・1003m)扇山(おうぎやま・1138m)とともに北都留三山とか郡内三山と呼ばれることもあるそうだ。 戦前はこの山でひそかに賭場が開かれたらしい、ということや、山名の謂れにもなった山頂直下の権現社のあれやこれや(*)など、なんかミステリアスで面白い。
  しかし関東近県の低山はこの季節(盛夏)にはチトきつい。 猛烈な暑さをいかに凌ぐか、それがポイントの今回の山行だった。

  連動している電車の到着時間が遅れたことで、中央本線の上野原駅前から飯尾行きのバスが発車したのは8時28分の定時を10分ほど過ぎていた。 坪山登山の際にもお世話になった懐かしい路線だ。 通学の高校生たちで満員だったバスは途中の学校前のバス停を過ぎるとガラ〜ンとして、乗客は私たち山仲間山歩会の9名だけになった。 長寿村で名を馳せた棡原(ゆずりはら)地区を過ぎて間もなく、初戸(はど)バス停でぞろぞろと降車する。
  私をはじめメンバー全員が初めての山だったので、地形図で本日のコースをまず確認しあった。 このバス停の標高は約420m。 軽く準備体操をしてから、道標に従って歩き始めたのは午前9時30分頃だった。 庭仕事をしていた民家のおばちゃんが笑顔で私たちを見送ってくれた。
  少し下って、鶴川に架かる橋を渡ってから登山道へ入る。 玄房尾根の薄暗いヒノキの植林地帯をジグザグとひたすら登る。 所々コナラ、クリ、モミジ類、シデ類、ヤマザクラ、リョウブ、モミなどの天然林やアカマツの人工林も交じる。 林床のクロモジやサンショウの葉っぱをちょっと失敬して香りを楽しむ。 葉の形に特徴のあるダンコウバイが多いので、黄葉の季節はもっといいかもしれない。 この木はクロモジの仲間で矢張り材の香りがよいのだが、まさか枝を傷つけることはできない。
クマよけテープを巻かれたヒノキ林
ヒノキ林を登る
幹にクマ除けのテープ…

参道の石階段を上がる
権現社に到着

2等三角点の標石がある
権現山の山頂

展望のない地味な山頂です
高指山の山頂

東〜南側の展望が抜群!
(甲東)不老山の山頂
  幹に半透明のビニールテープをぐるぐる巻きにしたヒノキが目立ったが、これは“クマよけのテープ”ではないかと思われる。 いわゆる「クマハギ」を抑制する効果があるらしい。 若いスギやヒノキなどは特に6〜7月に盛んに水を吸い上げるが、クマはその微かな甘味を狙って皮を剥ぐという。 樹皮をぐるっと剥がされて形成層をやられたらその樹木はひとたまりもない…。 つ〜ことは、ここにはクマが出るのかな? ゾォ〜。 ^_^;
  30分〜40分歩いては中休止のペースを守りながら、何時ものとおり軽やかにのんびりと歩いていたのだが、分岐と鉄塔のある雨降山(あめふりやま・あぶりやま・1177m)あたりまで来るとバテ始めたメンバーもでてきた。 少しメタボのT君の顔や腕を見ると汗びっしょりで、山へ入ってからもうすでに1リットル以上の水を飲んでいるとのことだった。 林の中で日は陰っているが風はほとんど無いし、薄晴れの(うっとおしい)良い天気だし、今は真夏だし…、ゆっくり歩いてもバテて当然の状況だ。 水分と塩分をかなり多めに各自持参したが、それは大正解だった。
  雨降山の用竹方面との分岐を右折して少し進むと和見分岐へ出る。 ここを再び右折して権現山を往復する。 尾根道はなだらかになってきたし、標高の関係で大分涼しくなってきたので、バテ組も復活し始めた。 馬頭観音の石像を過ぎて間もなくの、ベンチのある空間で昼食の大休止。 いつの間にか周囲はミズナラ主体の明るい自然林になっている。 山の中腹では咲き始めていたタマアジサイがここではまだまぁるい蕾だ。 私が今も使っている古いガイドブックには “(雨降山から権現山へ至る)稜線からの展望がよい” と書かれてあったが、それほどでもない。 30〜40年前頃に皆伐した跡の樹木たちが育ってきているのだろう、と推測した。
  山頂直下の岩上には日本武尊を祭る社が建っている。 山名の由来にもなった権現様で、お犬様(オオカミ)に因む言い伝えもあるようだ。 石段をひと登りして参拝する。 「和見王勢籠神社奥社」と書かれてあったが、「王勢籠」は「おせろう」と発音するのが正しいらしい。 ガイドブックなどには「おおむれ」とルビがふってあるが、それは間違いとは云わないまでも正解ではないらしい。 この件については、下山後にEメールを通じて山梨県立博物館の学芸員の方からはっしとした回答を得たので、間違いはないと思う。 (詳細については本ページ下段の「コラム欄」を参照してください。)
  オセロウ神社奥社の左裏手から標高差にして約50mを急登すると、2等三角点のある権現山の小広い山頂へ着く。 北側が特に開けていて、笹尾根を従えた三頭山など、奥多摩の山々が見えている。 雲が多くなってきて遠景が霞んでしまっているのが残念だ。 山頂付近の樹木に目をやると、なんと殆どミズナラの純林だ。 それに少しのツガやアカマツやヤマハンノキやリョウブなどが交ざっている。 私たちの他には誰もいない山頂ということもあり、私にとっては好ましいロケーションだった。
  踵を返し和見分岐まで戻り、ここを右折して不老山方面へ向かう。 指導標の通り進んでいればまず問題はなさそうだ。 再びヒノキの植林地帯が続く。 明るい斜面ではオカトラノオの小群落が目立っていたが、その他の花は殆ど咲いていない。
  アスファルトの林道を横切って高指山(たかざすやま・911m)へ登り返す。 この高指山へ至る尾根上のアカマツ林がなかなか立派で、そこを通過しているときのメンバーの一部(往年の山ガールたち)はマツタケの話題で盛り上がっていた。
  しかしこの辺りからガクンとペースは落ちて、バテバテムードになってきた。 原因の最たるものは矢張り暑さだと思うので、日陰での休憩をたっぷりととりながらナメクジのように進んだ。 地味な山頂の高指山では中休止、3等三角点があり東南面の展望が良い不老山839m*)の山頂では大休止だ。 左手に見えている上野原の街並みの奥には石老山と思しき山容が見えている。 正面手前の中央高速道・談合坂SAや大野貯水池などは手に取るように見え、その上空のバックには丹沢や道志の山々などが薄ぼんやりと広がっている。 右端に見えるはずの富士山は今日は雲の中だ。 * 丹沢や奥多摩の不老山と区別するため、旧甲東村の名を冠して「甲東不老山」と一般には呼ばれているようです。
  し〜んとしていた森にヒグラシが鳴き出した。 とうとう山中では他のパーティーには出逢わなかった。
  山ノ神の祠を通過して、西不老登山口からヤマユリの咲く里道を歩き、不老下のバス停に到着したのはなんと18時15分だった。 17時31分発の上野原行きの最終バスには(予定通り?)全然間に合わなかった。 しかしスピードよりも安全を優先する私たちは慌てない。 四方津のタクシー会社に電話したら10分そこそこで来てくれた。
  今回も全員怪我もなく、山の楽しい一日を過ごすことができた。 憔悴している少しメタボのT君に聞いたら、持参した3リットルの水分をほとんど飲み尽くした、とのことだった。 往年の山ガールたちは、もうとっくに再復活して明るく元気に嬉々としていた。 さて、帰路のどこで冷えたビールを飲もうか、と考えただけで表情が緩む私だった。

* 田中澄江さんが「花と歴史の50山(東京新聞出版局)」の中で述べられている権現山の印象を要約すると “(不遇だから)静かでいい山…” ということになると思う。 それは指導標などが完備された今の権現山にもある程度は当てはまるかもしれない。 田中さんがこの権現山に登られたのは10月の上旬だが、そのときはシオガマギクやママコナなどの亜高山種をはじめたくさんの花が咲き乱れていたという。 今でも秋はそうなのか…、その(百花繚乱の)噂を私はあまり耳にしない。 ここ数十年の間に、例の悲しい出来事(盗掘)が続いたのではないか、と思ってしまう。 今回の権現山については、季節が悪かったのかルートが悪かったのか、花についての印象は非常に薄い。 田中さんが「奥多摩随一の花の山」と折り紙を付けたのに…、残念なことだと思う。

* 権現山の一般登山道について、凡そ次のルートがある。 上野原駅前からのバス利用の場合、今回私たちが上りに使った北側の初戸コースと下りに使った南側の不老下コース。 そして東側には用竹コース和見コースがある。 また、ゴウド山から不老山を経ずに南下する棚頭コースなどもある。 猿橋駅前からのバス利用で、南西側の浅川から浅川峠を経て直接権現山へ至る浅川コースも人気のようだ。 ボリューム的には何れも同じくらいで大差はないと思うが、タクシーを利用して和見登山口(和見コース)から歩き始めるのが一番楽かもしれない。 浅川峠を挟んで扇山と結ぶルートを歩く健脚なハイカーもいるらしい。 乗合バスについては本数が少ないので、時刻表と首っ引きでルート計画を練ることになる。
 乗合バスの時刻表と路線図→ 富士急山梨バスの該当ページ

*** コラム ***
オオムレ権現かオセロウ権現か

 権現山の山頂直下にある権現社「和見王勢籠神社奥社」について、その読み方に疑問をもった私は山梨県立博物館にEメールで質問してみました。そしたら学芸員の植月学氏から以下のような丁重な回答をいただきました。ご本人の了解を得て、殆どそのまま転記してみます。

 ・・・王勢籠権現の現在の読み方は「おせろう」です。これは所在地の上野原市和見地区の住人の方々の呼び方です。漢字の読みからすると「おうせいろう」ですが、実際には「おせろう」と縮めて呼んでいます。
 ただ、ご指摘のように、「おおむれ」と呼んでいたらしき証拠もあります。これは『甲斐国志』という江戸時代の山梨の地誌に書かれています。当社に関すると考えられる記事があり、そこには「大勢篭」と書いて「オホムレ」とルビがふってあります。
 また、権現山もかつて大勢籠山(おおむれさん)と呼ばれていたという説があります(谷有二『山名の不思議』平凡社、2003、103頁)。
 さらに、上野原市野田尻には王勢竜平という小字名があり、「オオムレダイラ」と読みます(『角川日本地名大辞典』19 山梨県、角川書店、1984、1138頁)。
 江戸時代の地誌にも書かれているところから見ると、かつては王勢籠(篭)は「おおむれ」、権現山は王勢篭山「おおむれさん」と読んでいたのが、いつの頃からか神社は「おせろう」と読むようになり、山の方は王勢籠権現があったことから「権現山」と呼ばれるようになったと推測されます。
[ 植月学 2009 「王勢籠権現の狼信仰」『山梨県立博物館研究紀要』第3集より ] ・・・
  山梨県立博物館の公式サイト


* 植月様、おかげさまで目からウロコです。リンクや引用の件もご快諾をいただき、重ね重ねありがとうございます。末文になり恐縮ですが、心からお礼申しあげます。[Tamu]
* この後、山と渓谷社の「山のデータブック」の権現山の項について、サイト担当者に問い合わせをしてみました。そしたら慎重に確認をとり、かつ迅速な対応で(オオムレからオセロウに)修正されました。その前向きな姿勢は、当然とはいえ、流石だと思いました。(H22年9月某日・追記)



権現山の山道にて
小さな花の一つ一つも端正できれい
オカトラノオの群落
赤ちゃんホタルブクロに花が咲いた?
なぜか一輪・ホタルブクロ
丹沢や道志の山々が正面に(左端に石老山)
不老山の山頂からの展望(東南面)

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