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No.33 北八ヶ岳縦走
平成8年(1996年)9月14日〜15日 第1日目 雨第2日目 曇り


メルヘンチックな池めぐり

第1日=JR中央本線茅野駅-《バス》-ピラタスロープウェイ山麓駅-《ロープウェイ》-山頂駅・坪庭〜(七ツ池)〜北横岳2480m〜亀甲池〜双子池ヒュッテ 第2日=双子池ヒュッテ〜雨池峠〜縞枯山2402m〜茶臼山2383m〜大石峠〜麦草峠〜白駒池〜高見石〜渋ノ湯(泊)-《バス》-茅野駅
 【歩行時間: 第1日=3時間20分 第2日=7時間30分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(北横岳)へ


ゲッ、前世紀の遺物ポンチョだ!
北横岳の山頂
↑ゲッ、前世紀の遺物ポンチョだ!

高見石から白駒池を見下ろす
高見石にて

冬の渋御殿湯(H16年1月撮影)
渋御殿湯(H16年の冬)
 天候がイマイチ。たおやかなコースだが、2日目が少々ハードだった。
 シラビソの縞枯れ現象を目の当たりに見た。コメツガとシラビソの違いがはっきりと分かった。それらの緑深い森林の様子が良かった。池めぐりや草原の稜線も良かったし、ゴツゴツした高見石から北八ヶ岳北部の全容を眺めることができたのも良かった。しかし、常日頃の運動不足がたたり、疲れた。
 下山後、渋の湯温泉に一泊してから帰路についた。
 八ヶ岳の真骨頂は矢張り南部か…?

* 三十数年前・・・、高校生の時、秋葉原のニッピンで購入した黒革の山靴。当時一万円した。小遣い貯めて、親にせがんで、とうとう買ってもらった山靴。足に馴染むまでに随分と苦労した。その山靴の擦り減ったビブラム底を張り替えて履いてみた。重たい、と、思った。ヘビーデュウティーで安心なんだからと心に言い聞かせても、若い頃はこの山靴で丹沢の沢や槍-穂高の縦走もやったんだ、と意気張ってみても、矢張り重たい。想い出と思い入れが、ここでも「技術の進歩」の前に敢え無く敗退してしまうのか。バテてしまった2日目、佐知子の勝ち誇ったような嘲笑を、無視するふりしかできない私だった。

渋ノ湯温泉「渋御殿湯」: 奥蓼科温泉郷の最奥、北八ヶ岳西側の中腹、標高約1800mに建つ民営国民宿舎。単純酸性硫黄泉で口に含むとすっぱい味。檜風呂、加熱。総木造りの浴室など、落ち着ける渋さだ。隣奥に渋ノ湯のもう一軒の宿「渋の湯ホテル」もある。

* この後、平成16年1月の天狗岳登山の折、再び同温泉に浸かる機会を得ました。玄関などは随分とリニューアルされたように見えましたが、風呂場については多分当時とほとんど変わっていないように感じられました。相変わらず情緒たっぷりの渋い浴室で、ゆっくりとくつろげます。頭を洗わないと風呂に入った気のしない私にとってちょっと不満だったのは、洗い場に頭を洗うシャンプーが置いてなかったことです。仕方がないのでボディシャンプーで頭を洗いました。実際どうってことはないのですが…。何時の間にか私も贅沢病になっていたようです。宿の対応が少し無愛想なのも相変わらずでした。[H16年1月追記]
さらにその後、平成18年9月に同地を訪れました[⇒八方台と天狗岳。渋御殿湯の日帰り入浴については午後3時まで、となっていました。下山後に入浴を予定されている方は要注意です。なお、となりの「渋の湯ホテル」では時間に関係なく入浴させてもらえる、とのことです。[H18年9月追記]

* 「ピラタス蓼科ロープウェイ」の名称は、H24年4月から「北八ヶ岳ロープウエイ」に変更されています。[後日追記]


* 同山域の山旅日記です。(後日追記)
  天狗岳西尾根:H7年11月
  北八ヶ岳縦走:H8年9月(本項)
  冬の北横岳 (平成11年1月と平成25年1月)
  冬の天狗岳:H16年1月,他
  八方台と天狗岳:H18年9月
  3月の縞枯山と茶臼山 (平成26年3月)
  蓼科山から北横岳 (平成28年7月)

*** コラム ***
縞枯れ現象について

縞枯山の縞枯れ現象
北八ツの縞枯現象
左下は妻の顔で
特別出演です。
 北八ヶ岳やその周辺の山々へ行ったときには、是非「縞枯れ現象」を観察していただきたいと思います。斜面上の白骨化した立ち枯れの樹木が横一線に並び、それが縞状に見えるというなんとも不思議な光景です。典型的に見られるのでその名がついたというのは縞枯山(しまがれやま)ですが、そのほかにも蓼科山、北横岳、茶臼山などでも顕著なものを見ることができます。私は南アルプスの聖岳登山の際にも(聖平の東側に位置する)山の南斜面が縞枯れているのを見たことがありますが、これら八ヶ岳の周辺や南アルプスの他にも八甲田山、志賀高原、霧ヶ峰、奥日光、関東山地、紀伊の大峰山などで報告されているとのことです。
 縞枯れ現象は、亜高山帯の南・西斜面に発生し、樹種がシラビソ・オオシラビソの純林に限られているようです。縞枯山における精細な調査によりますと、縞の数は8でその間隔は約130m、1年間にほぼ1.7mの速度で立ち枯れの帯が山頂に向かって進んでいるとのことです。原因については未だに謎の部分も多いらしいですが、風による土壌の乾燥化を主因とする説が有力なようです。縞枯れた部分には天然更新した若木が育っていて、一種の森の更新(世代交代)とも云われています。土壌に乏しい岩塊地にのみ発生していることや、案外と短いシラビソの寿命(約100年)などとも深い関係がありそうです。
 山を歩いていると、本当に、不思議なことがいっぱいありますね。

* 以上は「林野庁森歩き研究会」、大場秀章氏(植物分類学・生物地理学者)、小泉武栄氏(地生態学者)、などの著書を参考にして記述しました。

ついに縞枯れ現象についての原因解明!: 後日(H29年3月)、小泉武栄先生の「山の自然学講座」を受講したときに、目からウロコのお話を聞くことができました。小泉先生によると、縞枯れ現象の原因についてはその土地条件が関係しているとのことでした。岩塊斜面の岩を抱くように根を張ったシラビソは、数十年に1回程度の猛烈な台風などの強風が吹くと幹が揺れて根が切れてしまうそうです。1〜2年後には枝葉が落ちて白骨化し、そこに風が吹き込み、日光も当たるため林床は乾燥して、縞枯れの帯は次第に上昇。その後には我慢していた低木が育ち始め、もとの森に戻っていく…、というサイクルだそうです。(岩塊斜面の)シラビソの根が強風によって切れてしまう、というのがスゴイですよね。
 なお、コメツガについては、根が頑強なので強風による根切れは起こさずに残る、とのことでした。

 多分こうだろうといった仮説的なものに終始していた縞枯れ現象の原因について、小泉先生がはっきりと断定されたのです。それはまったく、私的には、目からウロコの“快挙”でした。


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