「私達の山旅日記」ホームへ

No.156 尾瀬ヶ原至仏山2228m
平成15年(2003年)7月26日〜27日 曇時々小雨

至仏山の略図
バックは雲を被った至仏山
初日の尾瀬ヶ原

鳩待峠からの登山道
山頂近くの岩場

高嶺撫子:ナデシコ科の多年草(カワラナデシコの高山型の種)
タカネナデシコ

雨で濡れて一層危険です!
蛇紋岩はよく滑る


ゆとりをもって花と展望を楽しむ

第1日=上越新幹線・上毛高原駅-《バス》-鳩待峠〜山ノ鼻〜尾瀬ヶ原(上田代付近)散策〜鳩待峠-《タクシー30分》-尾瀬戸倉温泉 第2日=尾瀬戸倉温泉-《タクシー》-鳩待峠〜オヤマ沢田代〜小至仏山〜至仏山〜鳩待峠-《タクシー》-上毛高原駅
 【歩行時間: 第1日=約3時間 第2日=約5時間】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(至仏山)へ


 朝、東京を発つと、尾瀬に入るのはどうしても昼近くになってしまう。無理すれば、その日のうちに至仏山に登り、夜遅く帰宅するということも可能だけれど、そんなせわしない山歩きは私たちには向いていない。まして今回は中高年のビギナー中心の「山歩会」の定例山行だ。考えた挙句、至仏山の登山口(鳩待峠)に最も近い尾瀬戸倉温泉に一泊して、第1日目は足馴らしを兼ねて尾瀬ヶ原西端の上田代付近を散策し、第2日目に本命の至仏山登山、という計画を立てた。新幹線とバス・タクシーを利用してのアプローチということで、交通費が少々高くついてしまったが、安心登山のためにはやむを得ないとも思う。おかげでゆっくりと花の盛りの尾瀬を楽しむことができた。

 第1日目の尾瀬ヶ原散策ではニッコウキスゲやワタスゲなどの大群落をはじめ、数多くの花に出会えた。池塘では植物図鑑でしか見ることのなかったヒツジグサやオゼコウホネの花を見ることもできた。振り返ると頭に雲を被った至仏山が終始私達をやさしく見守っていた。

 第2日目の至仏山も、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウ、ミヤマキンポウゲ、ミツガシワ、キンコウカ、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、タカネバラ、ハクサンシャクナゲ、イワハゼ(アカモノ)、シナノキンバイ、コイワカガミ、ワタスゲ、チングルマ、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、タカネナデシコ、イブキジャコウソウ、ホソバヒナウスユキソウ、ミネウスユキソウ、ツメクサ、オゼソウ、アオノツガザクラ…など、人影も多いが花の数も種類も多かった。まさに高山植物のオンパレードだ。流石に「花の名山」だなぁ、と感心した。
 梅雨明けの遅れている今年の夏だが、登りの小至仏付近まではまずまずの空模様で、稜線からは近くの笠ヶ岳やその左奥の上州武尊山(ほたかやま)などもよく見えていた。反対の東側に目をやると尾瀬ヶ原から燧ヶ岳の裾野までくっきりと俯瞰できた。しかし、肝心な至仏山頂ではガスってしまった。日本海と太平洋の分水嶺でもある至仏山。その定評のある展望を得ることができなかったのがちょっと残念だ。
 至仏山へ登る主なコースは、平成9年8月から解禁となった山ノ鼻からのルートと、鳩待峠からオヤマ沢田代と小至仏を経るルートがある。当初、山ノ鼻から登り、小至仏を経て鳩待峠へ戻るというスタンダードな周回コースも考えたのだが、急坂で滑りやすい山ノ鼻ルートの登山道は私たちにはチト荷が重いと考えて、距離は長いが標高差の少ない鳩待峠からの往復登山を選んだ。それでも、小雨のぱらついたぬかるんだ下り、岩場に慣れていないメンバーもいて大苦戦を強いられたことを思うと、やさしい鳩待峠コースを選んだことが結果的には大正解だった。
 至仏山は北上高地にそびえる早池峰山などと同様、超塩基性岩(アルカリ性の強い土壌を作りやすい)という変わった性質をもつ変成岩(蛇紋岩・かんらん岩)からなっているという。この緑がかった岩は雨に濡れるととても滑りやすく歩きづらい。しかし、その変わった岩石が至仏山特有のめずらしい高山植物を育んでいることを思うと、痛し痒し、といったところかな。
 あっちこっちヤブ蚊(?)に刺されたり、すべって転んで膝を擦りむいた人もいたけれど、和気藹々と全員無事に鳩待峠へ下山した。タクシーの運転手さんの計らいで再び尾瀬戸倉温泉の「若松旅館」で風呂を使わせてもらい、さっぱりとした気分で帰路についた。
 「又ね!」 と云って次々とメンバーたちと別れ帰宅した後も、心地よい疲れのなかで、私達夫婦は尾瀬での楽しい場面を何回も繰り返して思い出していた。1〜2ヶ月に1回ていどの「山歩会」の定例山行だけれど、可能な限り今後も続けようね、としんみりと話し合った。

尾瀬戸倉温泉「若松旅館」 尾瀬戸倉温泉「若松旅館」: 利根郡片品村の一番奥、尾瀬の入り口に位置するのが比較的歴史の新しい戸倉の温泉宿群。30〜40軒ある温泉宿は何れも質素な宿で、尾瀬観光における地理的な有利さを考えると少し不思議な気もする。私たちの泊った若松旅館も、言ってみれば民宿に毛の生えた程度の、スキー部の学生合宿に適したような温泉宿だった。しかし、はっきり云って、学生たちに占領されるにはあまりにももったいないような宿(学生さんごめんなさい)だった。アルカリ性単純泉のお湯はなめらかで湯量も豊富。やや小さめなタイル貼りの浴槽だが、2〜3人で入るには十分な広さだ。食事もまあまあ。宿の応対も、余分なお世辞はないけれど、人情味があって心休まるものだった。とにかく、1泊2食付きで一人6,500円(この後、もっと安くなっているようだ・後日追記)というのがすごい。割安感からいったらピカイチだ。なお、入浴のみは一人300円。これもすごい安さだ。

 尾瀬の思い出
  燧ヶ岳 2000年10月
  初夏の尾瀬ヶ原 2001年6月
  秋の尾瀬ヶ原 2001年9月
  尾瀬ヶ原と至仏山 2003年7月(本項)
  奥鬼怒から物見山・大清水: 2004年7月
  尾瀬沼と大江湿原 2014年8月
  尾瀬ヶ原と笠ヶ岳 2019年9月
  尾瀬ヶ原とアヤメ平 2023年6月



尾瀬ヶ原の池塘にて:スイレン科
午後2時のヒツジグサ
オヤマ沢田代の付近にて:ツツジ科シラタマノキ属
アカモノ(イワハゼ)


*** コラム ***
グループ登山について・徒然なるままに…

* その功罪: 登山に夢中になっていた若い頃から私はどの山岳団体にも属したことがなく、そのほとんどが単独か小人数の気心の知れあった者同志で登山を楽しんできた。当時(私がチョー若かった40年近い昔のこと)、北アルプスなどで、大学や社会人の山岳部などの「イヤな部分」を垣間見て、それは表面的な部分しか見ていなかったのかもしれないけれど、できれば集団登山などの「団体行動」にはなるべく参加したくない、と思ってきたものだ。
 しかし時代は変わった。「水を飲んじゃいけない」と云われていたのが「水分は十分に摂りなさい」というふうに山での常識が変わってきたように、それからの長い月日は登山をする人たちをして登山そのものの考え方を大きく変化させてきたように思う。各地の登山道が整備されてきたことにも一因があると思うけれど、特に大衆登山の領域において、その変化が顕著であるようだ。そしてその変化の結果は、嬉しいかな、私が若い頃に意図していたものでもあった。
 近年の大衆登山の位置づけは、レクリエーションとして、子供から高齢者までの誰でもが、いつでも参加のできる、健康づくりに役立つ生涯スポーツ…、と云ったところだろうか。確かに、チャンピオンスポーツ(=競技スポーツ)にはない遊戯性や社交性を大衆登山はもっている。「登山」という単語から(死への)ロマンとかチャレンジ精神とか冒険心とか緊張感といったニュアンスがなくなってきてしまった、と云えばそれまでだけれど、その穏やかで安らぎのある風潮を私はとても良いことだと思う。登山は、本来苦しむものではなく楽しむものなのだから。
至仏山の山頂にて ここ数年、本項のような5〜15人程度のグループ登山をしばしば経験するようになり、単独行や夫婦登山では味わうことのできない「良さ」をしみじみと感ずるようになってきた。「団体」が悪いのではなく、登山に対する当時の一般的な考え方が私の意にそぐわなかっただけなのだ。まさに「目からウロコ」だった。都会ではときには鬱陶しいとさえ感ずる人間関係が、ここでは人間本性の温かい部分だけが凝縮されていて、とてもさわやかだ。
 尤も、山中の大アクシデントなどで体力気力の限界付近にお互いがなったら、また違った側面も見えてくるのかもしれない。感性はアスファルトジャングルに逆戻り、なんてことになるかもしれないし、人間性の温かみがより強調され「火事場の馬鹿力」を発揮するかもしれない。それらもまた一興かな…。
 その功罪についていろいろ云われているけれど、少なくも安心登山・安全登山の範疇で、他のハイカーに迷惑のかからない程度のメンバー構成ならば、グループ登山はおおいにけっこうだと思う。

* その危険性: グループ登山(ここでは2人以上の複数名での登山をさす)の一員と思われるハイカーが、かなりの距離を置いて離れ離れに山道を歩いている場面に出くわすことがよくある。そんな光景を見ていると私は決まって恐怖を感ずる。
 複数登山でよくありがちで怖いのは、お互いが見えない距離まで離れてしまって、そのうちの一人かひとかたまりの数名が、たまたま道を外してしまったときだと思う。お互いの携帯電話が通じたりして連絡の取れるときはいいのだが、そうでない場合(ほとんどの場合だと思う)はお互いが捜しあって、無為に時が流れ疲労も蓄積される。つまり“遭難または遭難一歩手前”になってしまうのだ。誰にも告げず一人でキジウチやお花摘み(トイレ)へ行って、そのまま行方不明になってしまった、なんてことも集団登山ではよく聞く話だ。医薬品や食糧などの共同装備をザックに入れているメンバーが行方不明になったとしたら、残されたメンバーも相当にヤバい。
 複数登山の歩くペースは最も弱い人に合わせる、というのは山の鉄則だが、その理由のひとつは隊列をばらけさせないためだと思う。どうしても別々に一人で(勝手に=マイペースで)歩きたいのなら単独行をお勧めする。そうすれば最初っから気構えや気合が違うし、それに伴ってザックの中身(装備)も違ってくる。道迷いなどによる遭難の確立はずっと低くなるはずだ。
 山では絶対的な決定権を持ったリーダーは、それらを踏まえたうえで、色々な意味で常に神経を使わなくてはいけないのだけれど、メンバーの一人一人が常にリーダーと同じ立場で考えることのできるようなパーティーが理想的だと思う。地図もコンパスも持たずに、行き先の地名さえ分からないまま、ただリーダーのあとについていくメンバーだらけのパーティーは、はっきり云って「遭難予備軍」だ。リーダーだって間違うことはある。私などは自慢じゃないが、道などはしょっちゅう間違っている。しかし、その度にメンバーの誰かが、必ず声をかけて方向を修正してくれる。そう、私はメンバーに恵まれているのだ。

* 蛇足になるが、バスを連ねての何十人何百人の大パーティーというのは、是非ご勘弁願いたい。賑やかなのが嫌いということではない。狭い山頂などで景色を眺める隙間がなくなってしまう、ということでもない。(なんとなれば、マンウォッチングに専念する、という手がある。) 私が大パーティーを嫌う理由は一つ。細い山道で大パーティーに道を譲ったり譲られたりすることが、とても難儀だからだ。道を譲るときは長い時間が無為に過ぎ、道を譲られるときは気を遣って急ぎ足になり、どちらにしてもペースを大きく崩される。それが同方向へ進んでいるときで、しかもペースが同じくらいのとき、つまり抜いたり抜かれたりのときは、それはもう本当に大変なことなのだ。

Tamuです* 単独行、夫婦登山、アベック登山(ちょっと古いかなぁ)、気の合った者同士のワイワイ登山、そしてグループ(集団)登山、等々…。それぞれにそれなりの楽しみやノウハウがあるとは思いますが、せめて山へ入ったら、老若男女のすべてのハイカーは善男善女でいたいものです。山で出遭う人たちはみんないい人たちばかり。それが「山」の良さのひとつであった、と私は記憶しています。そしてこれからも、是非そうあってほしいと思います。

このページのトップへ↑
No.155-2「塩見岳(後編)」へNo.157「大雪山」へ



ホームへ
ホームへ
ゆっくりと歩きましょう!