No.386 尾瀬ヶ原と笠ヶ岳 令和元年(2019年)9月16日〜18日 |
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鳩待山荘に2連泊 第2日(9/17・火)=鳩待山荘〜オヤマ沢田代〜悪沢岳2043m〜小笠1950(巻道)〜笠ヶ岳2057m(往復)…鳩待山荘 【歩行時間: 7時間】 第3日(9/18・水)=鳩待山荘-《タクシー》-鎌田-《バス》-上毛高原-《上越新幹線》-東京 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(笠ヶ岳)へ ●第1日目(9月16日): はるかな尾瀬…野の小径 バスタ新宿から7時15分発の尾瀬号(関越交通の高速乗合バス)に乗る。3連休の最終日ということや天気予報がイマイチということもあってか、乗客は10人足らずで…、その乗客たちも途中駅で順次降りてしまい、定時の11時10分頃に尾瀬戸倉の閑散としたバスターミナルで降りたのは私達夫婦だけだった。空っぽの高速バスは終点の大清水に向かって静かに走り去っていった。気を取り直して「バス・タクシー共通乗車券(@980円)」を案内所の窓口で購入して、鳩待峠行きの小型バスに乗り込む。すると間もなくバスは発車した。このシャトルバス便は高速バスと連結しているようだ。 鳩待峠に建つ鳩待山荘で2日分の宿泊料(2泊4食付き2名で計44,000円)を支払ってチェックインを済ませ、一休みしてから尾瀬ヶ原へ向かって歩き出す。何処も彼処も…なんか、とても懐かしい感じがする。「何年ぶりの尾瀬ヶ原かしら…」「う〜ん…」 のやりとりから始まって…いつ来たのか・誰といっしょだったのか・どんなルートだったのか・前に来たときは確かクマ避けの鐘は設置されていなかった、とか…歩きながらの夫婦の会話が盛り上がったのだが、悲しいことに二人ともはっきりとは覚えていない。 コメツガ、ネズコ、ダケカンバ、ブナ、ミズナラ、トチノキ、ヤハズハンノキ、(ケ?)ヤマハンノキ、シナノキ、ハウチワカエデ、オオカメノキ(実)、ハクサンシャクナゲ…、そして林床のネマガリダケなど、この地における自然林の常連たちとの再会を楽しんでいたら、あっという間に(1時間ほどで)山ノ鼻のビジターセンター前に着いた。広場のベンチで昼食のアンパンとメロンパンを食べてから、いよいよ尾瀬ヶ原だ。 季節がら、数も種類もそう多くはないけれど、それでもエゾリンドウ、ウメバチソウ、ミヤマアキノキリンソウ、ゴマナ、ワレモコウ、オゼトリカブト、などの秋の花がしゃきっと咲いている。ジョウシュウオニアザミは既に花の盛期は過ぎているようだ。前方の燧ヶ岳方面も、振り返って眺めた至仏山方面も、薄霧に包まれて幻想的だ。 私達は長いこと牛首(上田代)の「逆さ燧の池塘」前のベンチに腰掛けていた。そして水面に咲くヒツジグサを見つめながら、(今は亡き)両親と歩いたこの道の思い出を語り合っていた。今はもう、そのときの情景がはっきりと私達の脳裏に蘇っていた。私の心は、もうほとんど泣いていた。そう…、ここは「霧のなかに浮かびくる・やさしい影・野の小径」…なのだ。[→「秋の尾瀬ヶ原」] そのうちにとうとう雨が降ってきた。…カッパを着て傘をさして…ゆっくりと踵を返して…、鳩待山荘に戻ったのは15時20分頃だった。 ●第2日目(9月17日): ぬかるみに苦戦した笠ヶ岳 鳩待山荘の5時半からの朝食後、朝靄に煙る小屋前の広場を横切って、まずはオヤマ沢田代を目指す。至仏山へ続くこのメジャーな登山道は、新しい木道や木製の階段などで益々歩きやすくなっていた。 草紅葉になりかけている小湿原を過ぎ、オヤマ沢田代の分岐(悪沢岳分岐)でメジャーな道を正面に見送って左折して、笠ヶ岳へ続く群馬と新潟の県境尾根へ入る。そしてここからは、明るい(ネマガリダケの)ササ道と(亜高山性の)樹林帯を交互に進むことになり、その樹林帯では倒木とぬかるみに悩まされることになる。…昨日から今朝方にかけて降っていた雨の影響もあって、ズボズボの道になっていたのだ。…(濡れない)ルートを探しながら歩くのもけっこう楽しい…、と思う。 悪沢岳を過ぎて暫く進むと一瞬霧が晴れて、前方に笠ヶ岳へ続く山稜が鮮やかに見えてきた。(→写真) この尾根のササ道は天空のプロムナードだ。足元ではゴゼンタチバナが艶っぽく赤い実をつけている。 可愛らしい出っ張りの小笠はその東側を巻いて進み、金字塔の笠ヶ岳は南側からぐるっと回って露岩とガレの急坂を登る。この笠ヶ岳のそのときの印象は、なんか、中央アルプスの空木岳の東側(を一回り小さくしたような姿)に似ていると思った。ハイマツなどの灌木やササなどの緑の斜面からベージュの(薄茶色の)岩がにょきにょきと生えているような、そんな感じなのだ。(湯の小屋温泉側の)南側の眼下には、ひっそりとした片藤沼の神秘的な水面が見えている。ウメバチソウやオヤマリンドウやキンロバイがあちこちに咲いている。ヒメシャジンも少し咲いている。 三等三角点のある笠ヶ岳の山頂は思った通りの1点360度の大展望だ。ただ、この日は雲が多かったので、なかなかすっきりとは見えてこない。ここから望む至仏山と燧ヶ岳のツーショットは(その半分は雲に隠れていたけれど)、私達にとっては珍しいアングルだ。私達は心眼と心願も交えて、アンパンとメロンパンを食べながら、それら周囲の山々の山座同定を行った。それはとても長い時間だったけれど、あっという間のことでもあったような気がする。山で過ごす楽しい時間は、そう…、いつもあっという間なのだ。 下山は来た道を戻る。晴れ間も時々出ていたのでぬかるみの水分は減っていて、行きよりは(多少は)歩きやすくなっていた。景色や植物などを復習しながらゆっくりと下って、大満足で鳩待山荘に戻ったのは(この日も)15時20分頃だった。山荘のスタッフの方に 「笠ヶ岳はいい山ですねぇ〜」 と告げたら、嬉しそうな表情を返してくれた。 * 笠ヶ岳の山頂部で観察することのできた植物(木本): ハイマツ、灌木化したオオシラビソとネズコとネズ、マルバヘビノボラズ(赤い実)、(タカネ?)ナナカマド、ツツジ類(シャクナゲなど) * 鳩待山荘: 標高約1600mの鳩待峠に建つ収容人員66名の旅館風の山小屋、もしくは山小屋風の旅館。隣接する鳩待峠休憩所(軽食堂+土産店+モンベルショップもある)を併設する。…つまり、鳩待峠一帯も東電の息のかかった処(寡占状態)という訳だ。 環境保護のため石けんやシャンプーは使えないけれど、風呂に入れるだけで有り難い。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)の浴槽は2〜3人が楽に入浴できる大きさで、蛇口をひねるとお湯も水もじゃんじゃん出てくる。宿泊料の(2食付き・個室)の@11,000円は安いとも高いとも云える微妙な料金設定だ。 「安い」と云える理由はここを山小屋としてみた場合だ。山小屋で立派な風呂に入れて布団も立派でしかも個室で、食事もそこそこなのは矢張り得難い幸せだ。(相部屋ならば2食付きで8,500円だが、これだともっと割安感!) 一方、ここを旅館としてみた場合に「高い」と感ずる理由は、車が入ることのできる場所に位置しているのだから、この宿泊料金ならばもっと上質なサービスの提供が可能である筈だ、という理屈だ。せめて(宿泊客ごとの)布団のシーツくらいは提供してもらえないものかと思う。 ●第3日目(9月18日): アヤメ平を断念! 鳩待山荘の朝食後、悩みに悩んだ。未明からの本降りの雨が止みそうもない。先々週の針ノ木岳登山(北ア)のときも同じような選択を迫られる場面があったが、どうも最近の私達は天気の神様に見放されているようだ。…で、この日の朝も水は低い方へ流れて、(やっぱり結局)予定のアヤメ平ハイキングはあきらめて、真っ直ぐに帰路につくことになった。…ちょっと残念だったけれど。 * 私事で恐縮ですが、この笠ヶ岳登山で(旧)関東百名山の完登です。関東百山については今年6月の錫ヶ岳敗退(手前の鞍部からすごすごと引き返す)で、いわば99.5座完登ですが…。とはいえ、これで関東百名山+関東百山=137座 を取り敢えず“歩いた”ことになりました。平成6年12月の富山(房総)から約25年かけての“達成”ということになります。何れにしても、だからなんなの…の世界ではありますが…。 新らしい「関東百名山(山渓)」が今春に発行されましたが、笠ヶ岳は削除されてアヤメ平が新たに加わっています。今回、その比較(何故、笠ヶ岳がボツになってアヤメ平が台頭してきたのか)を実際歩いて感じてみたい、と思っていたのですが、それもちょっと残念でした。本文にも書きましたが、実際、笠ヶ岳はとてもいい山だと思ったのですが…。 「日本二百名山と関東百(名)山」のページへ 佐知子の歌日記より 竜胆は濃い紫に凛と立ち尾瀬の小道の木道にそう 幾たびもぬかるみに入る登山靴 赤から茶へと変身したり これはもう親子と言うしかないだろう笠ヶ岳の横 鎮座の小笠 九時間の山行中に出会ったはわずかに二人の笠ヶ岳なり 朝からの雨に予定の登山やめ帰ると決めた我ら自由人 尾瀬の思い出 燧ヶ岳: 2000年10月 初夏の尾瀬ヶ原: 2001年6月 秋の尾瀬ヶ原: 2001年9月 尾瀬ヶ原と至仏山: 2003年7月 奥鬼怒から物見山・大清水: 2004年7月 尾瀬沼と大江湿原: 2014年8月 尾瀬ヶ原と笠ヶ岳: 2019年9月(本項) 尾瀬ヶ原とアヤメ平: 2023年6月 ガスが引いたときに撮りました! 左から:上州武尊山、笠ヶ岳、小笠 (復路にて) オヤマ沢田代からの下山路で北東面を撮影 このページのトップへ↑ ホームへ |