No.378 日光白根山から錫ヶ岳 敗退! 令和元年(2019年)6月13日(木)〜14日(金) |
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第2日目=五色沼避難小屋〜2385m峰〜白根隠山2410m〜白檜岳2394m〜2296m峰〜錫ヶ岳2388m手前の鞍部(往復)…五色沼避難小屋〜五色沼〜弥陀ヶ池〜七色平〜山頂駅-《日光白根山ロープウェイ》-山麓駅・シャレー丸沼(泊)…日光経由で帰路へ 【歩行時間: 第1日=4時間 第2日=7時間30分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(錫ヶ岳)へ 「関東百山」の最後の山となった奥日光の錫ヶ岳(すずがたけ)を、年々衰える体力と気力を横目で睨みながら、何としてでも登ってみたいとずっと思っていた。登山道が整備されていないので(昭文社の登山地図には破線も無いので)、ネット検索などで調べてみると、いくつかの超バリェーションルートがあるようだ。そのなかで比較的に安心・安全で展望も良さそうなのが白錫尾根ルートで、無理をしなければ登山可能だと結論した。とはいえ(私達夫婦にとっては)日帰りは絶対に無理なので、問題は登山の日程…2日間で行くか3日間を使うか…だった。 当初の計画では(6月13日から15日の)3日間をかける安心登山の予定だった。五色沼避難小屋をベースにして(2連泊して)、中の一日に白錫尾根を往復するのが非力な私達にとっては無理のない歩程に思えたのだ。しかし、数日前の週間天気予報によると登山予定の最終日(6月15日)は前線通過で、天候がかなり荒れるらしい。で、直前になって予定を変更して、避難小屋には1泊だけとして、錫ヶ岳を往復してから最短のコースを辿って日光白根山ロープウェイで下山しよう、ということになった。…結果論だが、ロープウェイを頼った時間管理がアダとなって、錫ヶ岳を眼の前にしてあきらめざるをえなかったのは、何と言っても痛恨の極みだった。 ●第1日目(6月13日・快晴) 行きがけの駄賃に白根山登山! 日光白根山ロープウェイの山頂駅は既に標高約2000mだという。ひんやりと涼しくて、前方にはピラミダルでかっこいい白根山2578mが仁王立ちしている。公園風な駅前広場にはもちろん売店やカフェもあるし、なんと無料の足湯(丸沼高原・天空の足湯)もある。広場(ロックガーデン)の花壇では10人近くの作業員がちょうど見ごろのシラネアオイを世話している。そんな風景を横目で見ながら、午前9時50分、私達夫婦はそそくさと歩きだし、平成15年に再建したという二荒山(ふたらさん)神社に参拝してから、鹿よけの鉄扉を開けて登山道に入る。 気持ちのよいシラビソ林が続く。林床に群生するカニコウモリがその新葉を光らせている。七色平分岐を過ぎると傾斜が益々きつくなってきて、南側から回り込むようにして高度を上げていく。樹高が低く疎になってきて、展望が開け出すと間もなく森林限界を超え、ガレとザレが入り交ざる火山特有の地形になってくる。もう心はわくわくなのだが、…う〜ん、何といってもザックが重い。今朝方自宅を出るときに体重計で測ったら18.5kgあって、その後自身の飲み水用に2Lを足したので、優に20kgは越えている筈だ。ふぅ〜。 その重たいザックを奥白根神社(奥の院)の小祠脇にデポして、岩ゴロの山頂部をウキウキと散策する。流石に以北・以東最高峰。特にピーク(一等三角点のある山頂)からは一点360度の大展望で、上州武尊山や尾瀬の山々や男体山などがぐるっと見渡せる。そして南面の直近には白根隠山〜白檜岳〜錫ヶ岳と続く、ものすごく気になる(明日の登山予定の)峰々の連なりがいやが上にも目に飛び込んでくる。人懐こいイワヒバリが私達のすぐ近くまで寄ってきたり、若いオスジカが近くの岩陰からにょきっと姿をあらわしたり…、何時の間にか人影の絶えた山頂部は私達の目と心を充分に楽しませてくれた。 この日光白根山は私達にとっては21年ぶりだったが、例によって佐知子も私もあんまり覚えていない。忘れるということがその都度新鮮な感動を呼び起こす、としたら、ボケにもそれなりの効用があるのかもしれない…。 避難小屋を目指して東側の急ガレを下っているとき、小休止しようとしてザックを背負ったまま小岩に腰掛けようとしたら、バランスを崩してよろめいて、その場に転んでしまった。幸いにも右手の脛などを擦り剥いた程度だったが、この20kgのザックは今の私には殆ど(コントロールできない)限界の重さなのだと改めて悟った。休憩時間でも気は抜けない。 擦り傷の手当には穴をあけておいたキャップが役に立った。水の入ったペットボトルにそのキャップをはめて、水圧をかけて傷口の砂などを洗い流すのだ。それからマキロンを吹きかけて、滅菌ガーゼを当ててサージカルテープで留めて、そして包帯を巻く…。手際良く治療をする佐知子の目が不安がっている…。 バイケイソウの輝く新葉が群生している箇所や、未だ芽吹き前のダケカンバの純林などを抜けて、なにやかやで、ミネザクラの咲く小平地にぽつんと建つ避難小屋に到着したのは15時40分頃だった。 * 五色沼避難小屋: 白根山の東の山腹(標高約2240m)の…五色沼の南岸から標高差にして70mほど上った谷間の小平地に位置する…こじんまりとした(20人ほど収容可能な)無人小屋。案外と使われていないようで、この日は貸し切り状態。入口のドアーが堅くてなかなか開けることができず、ちょっと難儀した。 到着してまず私がやったことは、小屋裏の残雪を利用して持参の缶ビールを冷やすことだった。水場(五色沼へ下ってから前白根方向へ少し登った処)が遠いので、私と佐知子がザックに入れてきた水分は計約10リットルだったが、これはやっぱり充分過ぎるというかやり過ぎというか心配し過ぎというか、で、疲労に拍車をかけた原因となったのだ。 夕餉にはまずよく冷えたビールで乾杯してから玉子スープを飲んで、そしてメインの(野菜や玉子や餅や厚切りのハムなどを入れた)ラーメンを食べて、仕上げはコーヒーの飲み放題…。コッフェルを洗うにもお湯や水をたっぷりと使って…、やっぱり山で水が豊富なのはリッチな気分になるものだ。…重かったけれど苦労が報われた…かも。 ローソクもたくさん用意したのだが、日の長い季節のこととてなかなか谷間に日が落ちない。イヤホーンでラジオの天気予報を聞いたりもしたけれど、まだ薄明るい夜の7時前には、私達はシュラフに潜りこんでもうぐっすりだった。…少し寒かったけれど、誰かが置いていった毛布などが大量にあったので、それを利用させてもらってホカホカだった。 ●第2日目(6月14日・晴) 残念!あとちょっとで錫ヶ岳… 疲れの残る身体にカツを入れて未明に起きる。お湯を沸かしてコーヒーとインスタントのボタージュスープを飲んで、クラッカーとチーズやハムなどでさっさと朝食を終えたころ、小鳥たちのさえずりが始まって、薄っすらと日が射してきた。シュラフやコンロや必要のない水分などをデポして、身軽になって避難小屋を出たのは4時20分頃だった。 前白根方向へ登り出すとすぐにヘッデンは必要なくなって、振り返ると木々の隙間からモルゲンロートに染まる白根山が神々しく屹立している。所々のミネザクラがここでも花の見ごろを迎えている。この花はソメイヨシノのようにゴージャスではないけれど、俯き加減の半開の花が新葉をお供につつましく咲く様に風情がある。…などと感傷的なことは云っていられない。(ネット情報で下調べをしておいた)錫ヶ岳への標識の無い分岐を右折して、いよいよ白錫尾根を目指す。 最初の小ピーク(小さな掘っ建て小屋がある)〜2番目のピーク(2385m峰・ケルンがある)〜3番目のピーク(白根隠山2410m)〜の辺りまではごく一般の登山道といった感じで、360度展望の素晴らしいスカイライン(尾根歩き)だ。この山稜は白根山展望の南側のネット裏といった好ロケーションで、その白根山と前白根山の間の五色沼の奥には双耳峰の燧ヶ岳がくっきりと見えている。霧のかかった中禅寺湖の左手には男体山も聳えているし、上越の山々もよく見えているし、ゆっくりと山座同定などもしてみたいのだが、今日の主題は(ロープウェイの最終稼働時間を見据えた)時間管理だ。明日の天気はかなり荒れるようで、何としてでも今日中に下山したいのだ。なので、出だしからもたもたとはしていられない。 白根隠山からの下りが急ザレで、登り返して白檜岳2394mへ向かう頃からササが益々煩くなってきて、踏み跡が頼りないものになってくる。仕舞には(ついに)ササとシャクナゲのラッセル状態で、道型を外してしまうことも度々になってくる。…しかし、そう、尾根筋を外さなければ大丈夫だ。幸いにも今日の天気は(午前中は)晴れの予報で、道迷いのリスクがかなり少ない。でも、もう…、朝露のついたササのおかげでズボンも靴もびっしょりだ。 白檜岳2394mからは(栃木県と群馬県の)県境の白錫尾根を進む。ササやシャクナゲの“海”から白骨化した枯れ木が疎に林立する箇所や、岩っぽい(露岩の)処を通過したり、けっこう変化に富んでいて面白い。この山稜のシャクナゲはその殆どがハクサンシャクナゲだけれど、(開花の早い)少数派のアズマシャクナゲが満開に咲いている箇所があり、思わずシャッターを切る。所々に残雪があるけれど、ツボ足で全く問題ない。…皇海山や袈裟丸山が見えている。赤城山や尾瀬の山々も、そして平ヶ岳などの越後の山々も…。 日光白根山ロープウェイの(下りの)最終は16時30分で、その時間を基準にして私達が試算した“引き返し地点”の時間は8時30分だった。その8時30分に、私達は赤テープなどの微かな道標を頼りに…ルートファインディングに四苦八苦しながら…2296m峰を下って錫ヶ岳2388mとの鞍部近くの森の中を歩いていた。暫くの沈黙の歩行時間が続き、とうとう私が 「ここで引き返そうか」 と云ったら、佐知子は 「私もさっきから、それを云おうと思っていた」 と返事した。錫ヶ岳の山頂を眼の前にしてちょっと残念だが、安全・安心登山のためにはやむを得ない。…そうと決まったら逆に心が軽くなって、足元のタテヤマリンドウやミツバオウレンやキジムシロなどを観察する余裕も出てきて、復路はルンルンだった。 避難小屋に戻ったのは12時20分頃だった。荷物の整理をしたりして大休止して、小屋を出たのはその30分後で、ザックは再び重くなったけれど、昨日に比べればずっと軽い。 残雪を下って絶景の五色沼畔を歩き、少し上ってひっそりとした弥陀ヶ池を右に見て、シラビソの純林が美しい七色平をなだらかに通過する。そして観光客やハイカーがチラホラの山頂駅に着いたのは15時30分頃で、ロープウェイの最終時間(16:30)には楽々と間に合った。もしかしたら(錫ヶ岳は)可能だったのかもしれないという思いが、チラッと脳裏をかすめたけれど、もうこの段階では私達には未練はなくなっていた。充分に白錫尾根のよさを堪能したし、だいいち既に疲れきっていて、身体中のあちこちがぎくしゃくしている。…佐知子にはまだ多少の余裕があったようだが…、私の体力・気力はこのときが限界だった。 もう若くはないのはもちろん承知していたが、やっぱり若くはないなぁ…と、くやしいけれど実感した今回の山旅でもあった。…そう、天空の山・錫ヶ岳は遠かった…。 * 錫ヶ岳について(補足): 「関東百山(実業之日本社・1985年6月初版)」の該当項(錫ヶ岳)を執筆したのは横山厚夫氏ですが、その紀行文から察するに、横山氏一行が辿った入山ルートは、中禅寺湖の西岸(千手ヶ浜)から柳沢川に沿って遡行(沢の上部でテント泊)して、錫ヶ岳の南側の稜線(県境尾根)へ出るというものでした。下山路は(私達と同じ)白錫尾根を辿り、避難小屋でもう一泊してから湯元へ下る、というものでした。この山行記録で面白いと思ったのは「錫ヶ岳から避難小屋まで(休憩時間を含めて)5時間をかけた」という件でした。…結果的に、プロの登山家と(多分)殆ど同じタイムで歩いていたなんて、もしかしてけっこう私達もやるもんだねぇ、と思いました。 座禅温泉「シャレー丸沼」: 日光白根山ロープウェイ山麓駅のすぐ近く、丸沼高原スキー場のゲレンデ下(標高1400m)に位置する高原リゾート風な温泉ホテル。布団の上げ下げは自分でやるなど、私に云わせれば「大きくて近代的な民宿」といったところだ。もちろん山旅の宿としては充分すぎるほど充分だ。ともあれ、1泊2食付きの宿泊料が@約10,000円とリーズナブルなのには納得する。内湯も露天もほどよい広さで、泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩温泉、無色透明無味無臭、加熱、加水、(多分)半循環。朝食が比較的に早い時間(7時から)というのがアウトドア派にとっては嬉しい。でもまぁ〜、翌日は帰宅するだけの今回の私達にとっては、朝食は超ゆっくりでも構わなかったのだけれど…。 シャレー丸沼のHP 私達の住む東京都大田区からこの地域(丸沼〜金精峠)までのルートをカーナビで調べると、関越自動車道を利用するか東北自動車道を利用するかの微妙な位置にあるようだ。行きは関越自動車道(群馬県の沼田経由)を利用したので、シャレー丸沼からの帰りは…本降りの雨の中を…(栃木県の日光経由の)東北自動車道を利用して、まったりとドライブを楽しんだ。 佐知子の歌日記より 二十キロのリュックを背負う夫の足 よろけて転び腕をすりむく 雪かぶる至仏や燧に見とれてる君と二人の白根山頂 人影の見えなくなった山頂の牡鹿一頭我らを見つむ かろうじてたどり着きたる避難小屋 重い板戸をこじ開け入る 夕食は餅入り即席ラーメンだキャベツや卵ハムもたっぷり 朝四時に錫ヶ岳へと出発す きのうの疲れ残る足あげ 朝焼けの日光白根を見上げつつ行く手の山をはるかにのぞむ 笹の露ズボンをぬらし重たくて ますます遅い足運びなり 鈍足の我らに遠い錫ヶ岳 体力尽きて引き返すなり 小屋周り高嶺桜は八分咲き五色沼へと雪道をゆく 切り株につまずき膝が少し腫れズボンが五センチ破れていたり ロープウェイの最終時刻に間に合ってゴンドラに入る脱力気味に 日光白根山から錫ヶ岳の写真集: 大きな写真でご覧ください。
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