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No.270 高川山976m
平成22年(2010年)1月7日 快晴

高川山・略図
墓地の向こうに大きな滝子山がそびえる
振り返ると滝子山

説明文の書いてある看板(登山口手前にて)
解説板
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中腹から滝子山を望む
高川山の中腹にて

孤高のビッキーが景色を見ていました
高川山の山頂にて

高川山の山頂にて
山頂犬ビッキー

下山路の馬頭観音像
馬頭観音

田野倉駅前から高川山方面を振り返る
高川山を振り返る


高川山その1
山頂犬ビッキーとメロンパンを食べた

JR中央本線初狩駅〜登山口〜(女坂コース)〜高川山〜禾生・田野倉分岐〜大月・田野倉分岐〜馬頭観音〜弁慶岩〜松葉〜富士急行線田野倉駅 【歩行時間: 3時間10分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ

高川山その2: H23年2月、むすび山コースで下山!


 稀に見る名著だと思うが、今でもことあるごとに目を通すのが「展望の山旅(実業之日本社・藤本一美氏、田代博氏の共著・1987年2月1日初版)」だ。展望に優れた多くの山々が紹介されているが、その中でも特に気をひいた一座に高川山がある。位置は御坂山塊北東端のピーク、というよりは中央沿線の山といったほうが分かりやすいかもしれない。山頂からの展望がよくて交通の便もいいのだから“人気のある山”というのは頷ける。しかし何故か、今までの私には縁のなかった山でもあった。
 正月の酒にどっぷりと浸かった身体に活を入れるため、門松が取れる快晴の日に、いそいそと出掛けた。山の相棒でもある妻は何かと忙しく、この日も私の単独での山行だった。

 閑散とした初狩(はつかり)駅から歩き始めたのは午前10時半頃。道標に従って中央本線のガードをくぐり、自徳寺の広い墓地の脇をボチボチと登る。振り返ると北面の滝子山が大きく聳えている。
 道端には奇特な篤志家が作成したものと思われる大きな解説板のようなものが立て掛けてある。立ち止まってその手書きの文章を目で追ってみたのだが、何が書いてあるのかよく分からない。意地で読んでいるうちに、この文章が(何故か)左からの縦書き文章になっていることを“発見”して、それからはようやくその全文が理解できた。その内容は大いに共感できるもので、勉強にもなった。
 「神馬沢と文豪山本周五郎」と題するその長文を、僭越ながら、意訳して箇条書きにしてみた。

* この地(寒場沢)は明治40年(1907年)8月に大水害が発生して多くの犠牲者を出した。当地で生まれた山本周五郎(1903年〜1967年)の作品に、このときの惨状の経験が影響を与えていると思われる。
* 山本周五郎の「山彦乙女」(江戸時代の怪奇幻想・大ロマン小説)はこの地が舞台のひとつになっている。
* 寒場沢のことを昔は神馬沢といっていた。神馬沢の地名の由来について、古文書には、岩壁に無数の馬の蹄の跡と解される場所があった事からと記されている。
* 源頼朝が巻狩り(狩猟方法の一形態)をしたというこの初狩の里は、今ではその地下をリニアモーターカーが時速500Kmで走っている。古今に思いをめぐらして歩くのも、山歩きの楽しみ方のひとつではないだろうか。

 非舗装の道(林道高川山線)になってからも、暫くは寒場沢(笹子川の支流)の右岸を進む。登山口から山道へ入ると沢筋を外れ、山腹をトラバースして登るようになる。初狩からの高川山登山コースには寒場沢に沿った「沢コース」もあるようだが、初めての山ということもあり、今回はオーソドックスな尾根コースを進む。
 左手の「男坂」との分岐をウッカリと見過ごして、道なりに「女坂」をいつの間にか進んでいた。ガイドブックによると“時間的にも労力的にもたいした差はない”とのことで、まぁいいかと思った。薄暗い林床に育っているイヌガヤの幼木が印象的なスギ、ヒノキの人工林からコナラ、ハンノキ類、アカメガシワ、アカマツ、ツガなどの明るい雑木林に徐々に移り変わる。雑木林の林床は背の低いミヤコザサだ。ロープ場も出てきたりして気は抜けない。
 男坂と合わさってから暫くすると木々の隙間から三ツ峠山も近くに見え始め、その左側には白銀の富士山が光っている。羽子山・大岩へのコースを右に見送ると間もなく、三等三角点の標石と小祠のある、大展望の高川山山頂だった。
 快晴の冬の日だ。この360度の大パノラマは「素晴らしい!」の一語に尽きた。山岳展望の主役は南西方向に鎮座する富士山で、道志と御坂の山々の狭間に神々しく聳えている。鶴ヶ鳥屋山笹子雁ヶ腹摺山の間には、南アルプスの間ノ岳鳳凰三山も純白に顔を覗かせている。南大菩薩や奥多摩の山々など、自分なりにぐるっと指差し確認して、それから方位盤と首っ引きで再び山座同定。それはまったく楽しい時間だった。気がつくと、ずっとザックを背負ったままだった。
 あわててザックを下ろして大休止。 サーモスの熱いコーヒーを飲んで、コンビニで買ってきたメロンパンを食べようとしたら、今やこの山の名物でもあるらしい山頂犬のビッキーが目の前にいた。物欲しそうな風ではなく“誇り高い気風”といった感じで遠くを見つめてじっとしている。写真を撮っても動じない。いけないこととは思いながらも、食べかけのメロンパンを千切ってそっと差し出してみた。そしたら、おもむろに(上品に)それを食べてくれた。“孤高”なビッキーと仲良しになれたような気がして嬉しかった。
 そのうちに他のハイカーも続々と登ってきて、辺りは人だらけになった。賑やかな山頂を辞すときふと辺りを見回したら、いつの間にかビッキーはいなくなっていた。地元のハイカーの話によると、2001年頃から高川山に住み着いているらしく、もうかなりの老犬のようだ。そろそろ“介護”が必要なのかもしれない…。
 東へ向かって(田野倉方面へ)下山したのだが、その明るい尾根道(コナラ主体の雑木林)がとてもよかった。途中いくつかの分岐があり、ルートの選択肢は多い。禾生(かせい)方面の「古宿コース」や田野倉方面の「中谷コース」へ続く山道を右へ見送って真っ直ぐに進む。道標はしっかりしている。
 すると再び分岐が出てきて、むすび山経由で大月へ下るロングルートに食指が動いたのだが、私が持っているガイドブックには紹介されておらず、現場で初めて知ったコースだった。高川山の登山道については、持参した国土地理院の25000分の1地形図にはその殆どが載っていない。もちろん「むすび山コース」についても登山道を示す破線は書かれていない。で、冒険するのはあきらめて、右折して田野倉駅へ続く「松葉コース」を下った。トムソーヤに笑われそうだが、中高年のオジサンは“こうと決めた(安心な)道”を歩くのだ!
 馬頭観音像や弁慶岩(いし)の脇を通り、天然林の明るい尾根道を快調に下る。前方の木立の隙間からは里の家並みやその頭上に聳える九鬼山が立派に見えている。その九鬼山の山腹に突き刺さっているリニア実験線の線路の角度で、地形図と見比べて今いる自分の位置が正確に把握できる、のが面白い。
 アスファルトへ出てホッとしていたら、野良仕事が終わってトラクターに乗ろうとしていた老農夫に 「どっから歩いてきたの? 初狩からかな?」 と声を掛けられた。 「そうです!」 と答えたら 「そうすると10時過ぎに歩き始めて、お昼は高川山(山頂)…、だね」 と自分で大きく頷いていた。たわいもない会話だったのだが、私は妙にうれしくて、その老農夫に目いっぱいの愛想笑いを返してすれ違った。
 中央自動車道(富士吉田線)の下をくぐってから桂川を渡って、富士急行線の田野倉駅へぽつんと着いたのは午後2時半頃だった。まだ充分に日は高く、歩き足りないくらいに感じた。私の膝痛は快方に向かっているようだ。今度高川山へ来たときは「むすび山コース」を辿ってみよう、と思った。

* この9ヶ月後(平成22年10月5日〜6日頃)、高川山の人気者ビッキーは、山頂近くの岩上で静かに息をひきとったそうです。さようならビッキー。ステキな思い出をありがとう。[後日追記]



高川山山頂からの大絶景!

2枚の写真を合成してみました
南大菩薩方面(北西〜北)
左から⇒ お坊山東峰、滝子山、黒岳、雁ヶ腹摺山

リニア実験線が九鬼山に突き刺さっている
九鬼山方面(東)
左から⇒ 倉岳山、高畑山、秋山二十六夜山、九鬼山、朝日山、大室山

逆光です。写真撮影には朝方か夕方がいいかも
富士山方面(南西)
左手は鹿留山、杓子山、倉見山。 右手は三ツ峠山へ続く山稜


高川山の山頂にて
高川山の山頂

戦争遺跡が印象的・・・
むすび山の山頂


高川山その2
「むすび山コース」で大月駅へ下山
平成23年(2011年)2月26日 晴れ

初狩駅 〜(女坂)〜高川山976m〜天神峠〜峯山(嶺山)584m〜三角点513m〜むすび山463m〜大月駅 【歩行時間: 4時間20分】

 山の仲間たち山歩会をお誘いして高川山からの大展望を楽しんできました。
 山頂に置かれた木箱(祠?)の中には、その写真集など、昨年の10月に亡くなった山頂犬ビッキーにまつわる品々が仕舞われていました。もう二度と会えないと思うとやはり淋しくなります。持参したビッキーの写真を、そっと置いてきました。
 今回は待望の「むすび山コース」を辿って大月駅に下山しました。幾つかのピークをアップダウンしながらゆっくりと高度を下げる、明るい雑木林の尾根歩きコースです。田野倉などの富士急行線側へ下るのに比べて距離は長いですが、野趣あふれる(崩壊ぎみの)急勾配があったり、伐採跡など見晴らしのよい個所も随所にあるなど、変化があって飽きません。軟弱レベルの私たちにとってはちょうど良いボリュームだと感じました。お勧めの日帰り展望ハイキングです。

* むすび山山頂の大月防空監視哨跡(旧陸軍防空監視所跡): 戦争遺跡(石積みの聴音壕)が印象的でした。レーダーのなかった当時、“聴音”という手段で敵機の情報を得たといいます。