No.327 諏訪山1550m(西上州) 平成26年(2014年)10月25日 |
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三拍子揃ったいい山だ! → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 諏訪山は不思議な山である。西上州では標高も幾分高いほうだが、どこから見てもあまり目立たない。(東京からの)交通の便も悪く、しかもロングコースで…、にもかかわらず人気は実に高いのだ。といったような意味のことが「関東百山(実業之日本社)」の該当項(執筆担当:打田^一氏)に書いてある。今回この山を歩いてみて、その人気の理由が分かったような気がした。ミズナラやブナやカエデ類などの自然林が素晴らしく、ピークからの大展望があり、スリル満点のロープやハシゴの岩場もあり(変化に富んだコース)、と、三拍子揃ったいい山だったのだ。 諏訪山は神流(かんな)川の源流に近い、西上州でも最奥の山だ。帳付山や南天山、そしてあの日航機事故の御巣鷹山も至近距離に位置している。 カーナビの案内に従って、未明の首都高から東雲(しののめ)の関越道を進む。そして曙(あけぼの)の上信越道を快調に飛ばし、黎明の下仁田インターからは一般道を走る。本日は移動性の高気圧に覆われた行楽日和の一日となるでしょう、とカーラジオの天気予報が言っている。明るい朝靄が期待感を増幅させる。 湯ノ沢トンネルを通って上野村へ入り、国道299号線の楢原トンネルの少し手前を右折する。落石などで要注意の楢原林道を10分ほども上ると、行き止まりの小空間(3〜4台分の駐車スペース)になっていて、そこが橋ノ沢に沿った諏訪山の登山口(標高約850m)だった。先着の1台が停まっていて、単独行の中年男性がストレッチ体操をしている。私達夫婦も念入りに準備して、お堂(三笠山・普寛堂)の裏手から歩き始めたのは午前7時頃だった。と、そのお堂の裏手には立派な滝が流れていて、瀬音が私達を歓迎しているような、そんな仕合わせな気持ちになった。 しかし“いきなりの急登”だ。まだ寝ぼけている身体と心にムチを打つ(つまり気合を入れる)。質素な祠がひとつ、そして10分後にまたひとつ、と出てくる。急斜面を大きく電光型に登ると、足下の瀬音がだんだんと遠ざかる。辺りはトチノキ、ホオ、ヤマハンノキ、カエデ類、ミズナラ、サワシバ…、などの(色付き始めた)自然林で、気分はすこぶる良い。尾根に出て左へVターンすると道はなだらかになってきて、常緑低木のアセビが急に目立ってくる。 二等三角点のある小倉山1244mの頂上には登らずに、ホオノキの目立つ東斜面をトラバースする。少し進むとそこには倒壊した木祠があって、更に進むと今度は倒れかけた(質素な)木祠も出てくる。噂どおり祠(小堂)の多いコースね、と佐知子も少しあきれ返っている。実際、これから先の遠藤にも、次々といろいろな小祠や石碑などが出てくるのだ。山名(諏訪山とか三笠山)からして、そうだよね、この山は信仰の山、なんだよね。と納得し合う私達だった。(*) その進行方向(南側)の樹林の隙間から諏訪山と思しき山影が見えている。岩場も出てくるが、そこにはアルミ製の長いハシゴが架かっている。まだ先は長い。 浜平コースが右から合流してくる地点・湯ノ沢の頭で2回目の小休止。ここでチョコレートを齧りながら辺りの木々を観察したり、山稜の樹種を思い出したりしてメモをする。 『湯ノ沢の頭付近の木本→ブナ、ミズナラ、コハウチワカエデ、ホオ、(トウゴク?)ミツバツツジ、アセビ、道標の脇にナツツバキ。山稜のその他の木本(記憶で)→イヌブナ、クリ、ヤマザクラ、リョウブ、オオモミジ、ハウチワカエデ、イタヤカエデ、ウリハダカエデ、ミネカエデ、ハリギリ、コアジサイ、(ミヤマ?)コシアブラ、タカノツメ、ツツジ類…等々、素晴らしい林相だ。山稜の紅葉は今が盛り!』 避難しても雨風を避けられそうもない(つまり朽ちかけたトタン造りの)避難小屋(弘法小屋)の脇を通り過ぎると、益々岩っぽくなってくる。アズマシャクナゲが出てくる。高度が上がってきたので木々の背が低く疎になってきて、空が抜けてくる。そしてハクサンシャクナゲも出てくる。やがて眼前に三笠山(下ヤツウチグラ)の岩峰が見えてくる。ロープやハシゴや岩角や木の根っこなどを頼りに登り切ると、そこが三笠山の、360度展望のピークだった。当然ここにも木祠(三笠山刀利天王を祀る)がある。 その三笠山のガレた山頂は至極居心地が良くて、思わずここで大休止。おにぎりを食べたり山座同定を楽しんだりして、小1時間ほど滞在してしまった。周囲には背の低いアカマツやツツジ類などが疎に生えるだけで、赤久縄山、御荷鉾山、帳付山(超近い!)、両神山、御座山、蓼科山などの西上州から秩父〜信州にかけての山岳展望が素晴らしい。浅間山の左奥には雪化粧を始めた北アルプスの一角(白馬岳の辺りかも)も見えていたが、これには感動だった。 三笠山から岩場を急降下して登り返すと、三等三角点の標石と小さな石祠(諏訪神社)のある諏訪山の細長い山頂だった。樹林に囲まれていて展望は殆どないが、私達好みの心安らぐ空間だ。しかし時間が気になりだした。予想以上にこの諏訪山はヘビーだ。あまりのんびりとはしていられない。20分間ほどぐるっと山頂部を“探検”してから、いそいそと踵を返す。このときの私のメモ。 『諏訪山山頂部の木本→ヒノキ、モミ、ツガ、カラマツ、ミズナラ、コハウチワカエデ、ナナカマド、タカノツメ、アセビ、シデ類、ツツジ類、など。カラマツとヒノキは立ち枯れている個体もあり、ここは(自然の)遷移の途中にあるようだ。』 来た道をひたすら下って、楢原登山口に戻りついたのは午後4時近くになってしまった。日が大分短くなってきたので、復路の北斜面に落ちる陽は早く、渓谷の森は薄暗くなり始めている。早目にスタートしてよかったね、と充実した本日の登山を喜ぶ私達だったが、予定の下山時間を大きく過ぎてしまったので、帰路の立ち寄り湯(「浜平温泉・しおじの湯」を予定していた…)は断念せざるを得ない。家では老いた父が待っている。 佐知子に言わせると「手締めをしない宴会のような…」ということで、やはりちょっと残念だ。けっこう気合を入れて歩いたのだけれど…、体力不足=鍛錬不足かなぁ正直なところ。やっぱし。 * 御嶽信仰: 諏訪山にある祠や石碑などは御嶽信仰に関係するもので、御嶽五座神(御嶽三座神+2座神)が祀られているようです。ネット検索などで知ったことですが、御嶽三座神とは御嶽座王大権現、三笠山刀利天、八海山大頭羅神王のことで、五座神はそれに意波羅山大権現と武尊山大権現を加えたもの、とのことです。 御嶽信仰ということは、この山を開山したのも普寛行者(ふかんぎょうじゃ・江戸末期の大衆登山のカリスマ的指導者)ということだろうか。[普寛行者、及び普寛神社については本サイトのNo.195秩父御岳山のコラム欄も参照してみてください。] * 諏訪山の標高表示について: ガイドブックを読んでもインターネットのサイト閲覧をしても、諏訪山の標高についてはそのほとんどが“1549m”または“1549.2m”と表記されています。そして現地の(山頂標識の)表示は1549.4mとなっていました。しかし…、国土地理院の三角点情報によると、諏訪山の三等三角点の標高は1549.62mなのです。つまり、小数点以下を四捨五入すると1550mとなる筈なのです。何故“1549m”とか“1549.2m”の表記になっているのか、とても不思議なことです。きっとそれなりの理由があるのだとは思いますが、私にはわかりません。 というわけで、本項の諏訪山の標高については(国土地理院の三角点情報を尊重して)“1550m”と表記してありますので、ご承知おきください。まぁ、どうでもいいことと云ってしまえばそれまでのことですが…。 * 後日談: 本項をアップしてから1週間後くらいに、懇意にさせていただいている山のサイト「山どんの資料室」の世話役代表・内藤さんから、諏訪山の標高表示の蘊蓄についてEメールをいただきました。内藤さんの了解を得ましたので(該当部分について)以下に貼り付けます。 内藤さんからのメール文: 標高が変わったのは、たぶん2年ほど前。標高0mの基準を変更し、それに伴い地理院の地図、三角点情報なども整備しつつあるから、だと思います。 標高0mの基準は、それまで東京湾の平均海面を0mとしていました。しかし、 1.球形の地球を平面として、標高をとらえていた。(日本だけだったから良かった) 2.GPSの発達に伴い「地球的な標高0m」が必要になった。 などの理由により、学者の研究した地球の球形を元に「ジオイド面」と呼ばれる標高0mの「面」が世界的に支持されました。 国土地理院でも、たしか2年ほど前から、このジオイドを基準にした標高に書き換えていると思います(現在も続いているはず・・・)。たぶん、諏訪山は、それで(標高の表記が)書き変わったのだと思います。 う〜ん、なるほど、そうだったのか。と溜飲を下げた私です。「山どんの資料室」の内藤さん、どうもありがとうございました。 → この後、個人が運営・管理する名サイト「山どんの資料室」は閉鎖されました。とても残念です。(後日追記) 佐知子の歌日記より 暁の首都高とばし山へ行く 東京タワーが笑っているよ 体力の衰えを知る諏訪山に 登って下りて九時間かかる 持ち帰ることのできない紅葉と瀬音を胸にきざむ諏訪山 幾重にも連なる山並み見ておれば どうでもいいことしばし忘れる
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