No.120-1 三浦アルプス Part1 平成13年(2001年)3月3日 |
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【歩行時間: 3時間50分】 三浦アルプスについての基礎知識 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(仙元山)へ 仕事仲間の有志と、三浦半島の付け根を、相模湾側から東京湾側へ向かって横断してみることになった。付き合いでイヤイヤ参加した若者たちを含め総勢12名。下り坂の曇天のなか、JR逗子駅の改札口に全員が集合したのは午前8時40分のことだった。 という訳で、妻の佐知子が参加していない今回の山行は「私達の山旅日記」の番外編だ。佐知子は、多分、標高117メートルとか211mをバカにしたのかもしれない。しかし行ってみて分かったのだけれど、このコース(森戸川南稜線)は静けさと自然のやすらぎを充分に味わえる、ハイキングの良さを凝縮した素晴らしいコースだったのだ。しかも、そのエピローグには満開の田浦梅林が待っている。案内役のHさんは、このコースを「三浦アルプス縦走コース」と言って自慢していた。 JR逗子駅から長井方面行きの京急バスに乗り約10分、風早橋バス停で下車。歩き始めたのは9時15分頃。信号を渡ってから歩道を少し歩いて、葉山教会への登り坂を左へVターン、「仙元山ハイキングコース入口」と書かれた標板の前へ出る。驚くべきことに、アスファルトとコンクリートの道はここまでで、これから先は、杉林も少し混じるけれど、殆どがシイやタブノキ等の照葉樹林(常緑広葉樹林)だったのだ(*)。東京都大田区の我家から僅か1時間足らずの至近距離。信じられないような素晴らしい自然のプロムナードが、これから約3時間、続くことになる。 約15分の僅かな登りで富士信仰の山でもある仙元(せんげん)山の山頂へ到着した。「不二仙元大菩薩」の石碑が立っている。立派なビャクシンやハコネウツギやサクラの木などが目立つ処だ。西の相模湾に浮かぶ江の島などはよく見渡せたが、生憎の曇り空で富士山は望むことはできない。天空ではトンビがピーヒョロと鳴いている。 この一帯(仙元山の森)は「かながわの美林50選」に選ばれているそうだ。私有地、だからなんだろうか、ここ(仙元山)から先にちゃんとした道標は殆どなかった。途中の数ヶ所に分かりにくい分岐もあり、2回ほど道に迷った。分岐へ戻って辺りをよく見てみると、誰が書いてくれたものか、木々の幹にマジックで記された(注意していないと見落としてしまいそうな頼りないものだったが)道案内があり、これで随分と救われた。 タブノキが印象的な観音塚のピーク…豪快で美しいマテバシイ林(マテバシイの並木道・高塚)…連絡尾根の頭…、とアップダウンを何回も繰り返しながら、鬱蒼とした尾根道を東へ進む。左手には森戸川渓谷を隔てて双耳峰の二子山208mが、木々の隙間から見え隠れしている。 森の中のあちこちで何匹かのタイワンリス(*)に出会った。飼いリスが野生化したものらしい。すばしっこくて、可愛らしいその仕草に思わず微笑んだ。 鉄塔下のピークで昼食。ここはシロダモ、マユミ、ハコネウツギ、マサキ、ニワトコなどの背の低い木々に囲まれている展望のよい処だ。周囲の高木は(電線保護のため?)定期的に伐っているという。酒(なんと一升瓶だ!)をザックに入れてきたメンバーがいて、ご相伴にあずかった。 照葉樹にヤマザクラやコナラなどの交ざる林を(いい気分で)更に東進する。葉山町と逗子市と横須賀市の境界に位置する乳頭山(矢落山)のピーク(北峰)で小休止。ここからの下りに数ヶ所の急勾配があり、ロープが張ってあって不安はないのだが緊張せざるを得ず、ほろ酔い気分はアッという間に消し飛んだ。 静かなコースだったが、横浜横須賀道路に架かる歩道橋(田浦橋)を渡り、田浦梅林の近くまで来ると流石に人影がチラホラ、里の匂いがしてきた。 満開のウメやスイセンの花などを観賞しながら、ゆっくりと下る。田浦梅林を抜け、20分ほどアスファルトの道を歩き、JR田浦駅に着いたのは午後3時頃だった。 今回の山行、思いがけず「近くの穴場」を見つけて満悦の一日だった。私も今後はこの森戸川の南稜を「三浦アルプス」と呼ぶことにしよう。そしてまた何時の日か、今度は妻の佐知子といっしょに来てみよう、と思った。 * この後、本コースには道標が(ほぼ)整備されています。(H26年2月現在) * 田浦梅林(田浦梅の里): 田浦観光協会が発行しているチラシによると、ここは三浦半島最大の梅林で、昭和9年に皇太子殿下(現在の天皇陛下・明仁天皇)の御誕生を記念して、地元の有志が700本を植えたのが始まりとのことだった。現在では白加賀の白梅、養老の紅梅など約2700本の梅が咲き誇る梅の名所となっている。梅林の中では沢山のメジロが、満開の白梅の枝から枝へと飛び交い、花の蜜を吸っていた。道端にはスイセンの花も美しく咲いている。人影は思いのほか疎らだった。
次項 三浦アルプスPart2(2001年〜2004年) へ続く
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