三浦アルプス No.163 二子山と阿部倉山(森戸川北稜) 私達のとっておきの里山 |
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Part1 二子山から田浦梅林へ この山域の大先達のHさんの案内で、今回は三浦アルプスの北側の谷を流れる森戸川に沿って遡行しました。目指すは標高207.8mの二子山です。断っておきますが、標高2078mじゃありません。でも、それは私たちにとっては、矢張りアルプスなのです。本当は公表したくない、ほどの、素晴らしい山域なのです。 京急新逗子駅から山里の道をゆっくりと30分〜40分程も歩き、森戸川に架かる中村橋やこがね橋を渡るとアスファルトが消えます。ここ(林道入口)から先は、杉や檜も混じりますが、そのほとんどは広葉樹の原生林(ここ数十年、人の手が加わっていないという意味での原生林)です。コナラやヤマザクラやエノキ等の落葉樹も少し交じりますが、矢張り主体はシイ、カシ、タブ、アオキ等の照葉樹です。 森戸川奥の分岐(林道終点)までは平坦で小広い道が続きます。この道は森戸川林道とも、森戸川遊歩道とも、大山林道とも呼ばれています。主役の森戸川は、そのまま飲めるんじゃないかな、と思うほどの清流です。 林道終点の右側は三浦アルプス(森戸川南稜)の連絡尾根ノ頭へ至る登山道(急登です)が、私たちはここを左へ進み、森戸川の源流に沿った沢道へ入ります。渡渉を何回か繰り返し、美味しい水の流れる水場を過ぎ、沢が涸れてなお暫らく登ると二子山へ続く広い道(二子山林道)へぶつかります。ここを左へ登ると、間もなく山頂脇にある大きな電波搭が前方に見えてきますが、このKDDIのアンテナ、ちょっとかっこいいけど、矢張り目障りです。 二子山(上ノ山208m)の山頂は開けていて、小さな展望台や一等三角点の標石があります。下ノ山へ向かう方向(西の方向)だけは樹林で遮られていて、江ノ島や富士山は望めませんが、南側の正面には三浦アルプスやその奥の大楠山などの三浦の山並みが間近に見渡せます。その左奥の東京湾の彼方には富山(とみさん)や鋸山などの房総の山々、もっと左手には横浜や東京のビル群も見えています。反対側の相模湾の海面が太陽に反射して細長く輝いていました。風が出て少し寒い山頂でしたが、枯れ草の上に座って、長いこと景色を眺めていました。 二子山は、その名のとおり上ノ山と下ノ山からなる双耳峰です。もう少し先へ進むと下ノ山へ行けるのですが、それは次回の楽しみにして(下欄のPart2を参照してください)、もと来た道へ踵を返します。 復路の途中から田浦梅林を目指して外輪山コース(東尾根:勝手につけた呼び名です)へ入ります。ヤマザクラの密集するステキなプロムナードが印象的でした。馬頭観音の石塔を過ぎ、横須賀湾を左に眺めると間もなく三浦アルプス縦走コースと合流します。横浜横須賀道路を高架橋(田浦橋)で渡ると田浦梅林です。 このコースは、三浦アルプス縦走コースと比べてアップダウンの少ない、おだやかなコースです。展望についてなら、このコース(外輪山コース=椿尾根)のほうがステキだと思いました。 今年もこの山域から私達の山旅は始まりました。そして、正月ボケの胃と身体がスッキリとしました。 * この山域のコースについて: 展望の良い二子山近辺の山道は地元のハイキングマップなどにも紹介されている、それなりに有名なコースなのですが、実は、そのコースから外れたさまざまなコースが、なかなかなのです。地元の著名な登山家を師と仰ぐHさんにコースの詳細を教えてもらいました。かってにつけた呼び名だそうですが、森戸川源流域には今回私たちが歩いた「外輪山コース(椿尾根)」のほかにも「北沢コース」、「中ノ沢コース」、「中尾根コース」、「南沢コース」、などがあり、あの三浦アルプス(森戸川南稜)縦走コースに派生するコースには「湘南アルプスコース」や「三ツ峯コース」などもあるとのことでした。10000分の1の地形図のコピーに、その詳細を書き込んだものをHさんからいただきました。そして、今はじめて、三浦アルプスとその近隣の山域の全貌が明らかになったのです。 都会に隣接するこの山域が自然をたっぷりと残しているのは、多分、そのほとんどが私有林で手入れがされてなく、地図上に「道」がないことからも“知る人ぞ知る”の状況下にある、ことなどに起因しているものと思われます。地図上にない道を紹介するのは如何なものかとも思いますが、「秘密」にしておくには余りにも勿体ないとも思うのです。ここは、今までも、これからも、私たちのとっておきの里山群です。
Part2 二子山から阿部倉山 今回は妻の佐知子と二人の、何時ものメンバーです。 二子山の東峰(上ノ山208m)までは前回と同じコース(上記Part1)を辿りました。上ノ山の山頂で展望を楽しみながらの大休止の後、西へ向かいます。急下降、急上昇の約15分で二子山のもう一つの山頂・下ノ山へ辿り着きました。上ノ山とほとんど同じ標高なのですが、エノキ、マユミ、ミズキ、イヌビワ、ヤブムラサキ、シロダモ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、アオキ、スギ、…などの樹林に囲まれていて展望はありません。狭くてひっそりとした山頂でした。 更に西へ向かいます。山道は益々狭くなってきますが、踏み跡はしっかりとしています。いくつか紛らわしい分岐もありますが、樹林の隙間から見え隠れしている右下の南郷上ノ山公園のグラウンドや左手の森戸川渓谷を隔てた三浦アルプス(南稜)の山容などを目印にすれば、めったに進むべき方向を間違えることはありません。 しかし、阿部倉山への登り返し辺りから、道筋はいよいよ頼りないものになってきました。山の形で、あっちが山頂じゃないかな、ということで、怪しげな分岐を左へ進みます。鬱蒼とした(ツタが絡んだ…手入れのされていない)スギ林の、なだらかで広い山頂部でした。篠竹のヤブをちょっと漕いだりして、幹に吊るされている朽ちかけた小さな山頂標識を発見したときは 「あった、あった、阿部倉山の山頂があった!」 と、子供のように二人で喜びました。 阿部倉山の標高について、10000分の1の地形図には156mと記されていましたが、山頂標識には擦れた字で161mと書かれてありました(*)。どちらが本当なのかは分かりませんが、低い山であるということには変わりはありません。下りはあれよあれよと云う間に長柄のアスファルトの里へ着いてしまいました。それから里道を100mほども進むと今朝歩いた道に合流して、森戸川の北側の山域(北尾根)を谷からぐるっと一周したことになりました。尚、地形図上の破線(登山道)は、阿部倉山に関しては全くあてになりません。 長柄交差点のバス停から、たまたま通りかかったバスに乗りました。逗子駅までは歩いてもたいした距離ではないのですが、少し疲れてもいましたし、成り行きでそうなりました。 帰路、佐知子の発案で鎌倉の鶴岡八幡宮に立ち寄り、ついでに初詣をしてきました。実は、元旦に自宅近くの氏神様にお参りしているので2度目の初詣です。何処からこんなに人が集まってきたのだろう、というほどの人出でした。其々晴れ着を着て、振袖のお嬢さんもいればアベックのミニスカートの娘さんもいます。リックザックと軽登山靴の私達は完全に浮いていました。人並みに揉まれながら、「今年は平穏無事な一年でありますように」 と、丁寧にお参りをしました。ふと、先ほどの阿部倉山山頂の静けさが頭をよぎります。 ところで、2度目でも初詣と云うんでしょうか…。 * 阿部倉山の標高について、その後25000分の1の地形図で調べましたら161mとなっていました。なので、本項では阿部倉山161mを採用しました。
Part3 森戸川林道のその後 日本の山は台風などの被害で木が倒れたり崖が崩れたりします。そしてそこから、何十年何百年の歳月をかけて森が復活します。復活した森は本当の自然林です。その本当の自然林(特に関東以南の照葉樹の極相林)は、今の日本では貴重な存在です。 荒れた現在の森戸川林道は人は通れますが自動車は絶対に通れません。立入り禁止のバリケード(葉山町森林組合)もあったりするものですから、人影も少なく、とても静かです。この山域の、より自然に近い自然林再生のためにも、私の我が侭な発想ですが、関係当局に何も手を加えないことを切に願います。私の、本当にわがままな気持ちですが…。 この日、田浦梅林のスイセンがほぼ満開になっていたのにはびっくりしました。今年はとうとう最後まで、暖かい年になりそうです。 * 平成17年(2005年)2月27日: 山の仲間たち(山歩会)と同コース(森戸川林道〜二子山〜田浦梅林)を歩いてきました。森戸川林道の崩壊箇所は修復が進んでいて、歩くのには全く問題はありませんでした。私としては複雑な心境でしたが…。 林道入口の例の注意書き「(落石など)危険につき関係者以外は立入り禁止!」は相変わらずですが、まぁ、自己責任、ということだと思います。 田浦梅林の梅は三分咲きといったところで、1週間後頃が「見ごろ」のようでした。 じつはこの日、ちょっとした事故がありました。森戸川源流を詰めていたとき、メンバーの一人が沢底に5mほど滑落してしまったのです。幸い怪我もなく無事だったのですが、その一部始終を見ていた私は、多分、本人以上にヒャッとしました。靴の不備(靴底の剥離)が原因のようでした。どんな山でも、油断は禁物ですね。 * 平成25年(2013年)11月30日: 久しぶりに森戸川林道を歩きましたが、なんと、その後あまり手入れをしていないようで、林道は山道化していました。つまり鬱蒼として、とても“気分”なのです。私的には大変嬉しいことですが、この傾向がいつまで続くのか、今後も見守っていきたいと思いました。(→Part4)
Part4 再び二子山から阿部倉山へ 私達二人で(つまり夫婦で)、ほんとうに久しぶりに、三浦半島・森戸川の北稜を歩いてきました。黄葉の見ごろを迎えている気分上々のトレイルです。都心からほど近い距離とは思えないほどの自然林で、相変わらずのステキな山域でした。 新逗子駅前から約40分間のアスファルト歩き(健康の散歩道・葉山町の長柄コース)の後、森戸川林道へ入ってまず驚きました。少なくともここ3〜4年は殆ど手を入れていないのでしょうか、林道は山道化していました。つまり鬱蒼として、とても“気分”なのです。黄葉しているイヌビワにはイチジク状の果実(じつは花嚢)が可愛らしく付いていました。足元のアオキやリョウメンシダも美しい緑色で私達の目を楽しませてくれます。 もっと驚いたのは、二子山山頂(上ノ山208m)の草原の広場も、なんと、ススキなどが生い茂る(つまり森林の遷移が始まった)かなり自然っぽい状況になっている、ということでした。京急の宣伝(パンフレット)も効を奏しているのか、土曜日だったからか、山ガールなど(以前と比べたら)けっこう人影が多く、賑わっていました。近くて素敵な私達の里山が、なんか、随分と変わりつつあるようにも感じました。とはいえ、下ノ山から阿部倉山方面へ進むハイカーは未だかなりの少数派のようでした。 私は以前、今では案外と貴重なこの地域の極相林(照葉樹の自然林)を未来永劫に残してほしい、と、このホームページなどでも訴えてきましたが、それが期せずしてその方向に向かっているようです。それはものすごく嬉しいのですが…、あくまでも“期せず”であって、たまたまほっぽっておかれた結果なのかもしれません。最近、神奈川県の協働部署・自然環境保全課か主体となって「二子山山系自然保護協議会」が発足し、二子山山系の自然保護協働事業(対象年度:平成23年度〜25年度)が行われていると聞きます。あえて手を入れないのはその関係でしょうか…? もしもそうなら、その方向性は素晴らしい! と私は思うのですが…。 何れにしても、この三浦アルプスの山域を、私はこれからも(たまには)歩いて、その“自然”の成り行きを見守っていきたいと思います。 山稜から、ふと耳を澄ますと“廃品回収”のスピーカー音が聞こえてきたりして、まぁ、相変わらずダサい里山なのですけれど…、この辺りの(ちょっとほっぽいておいた)本物の自然って、やっぱりスゴイと思います。是非みなさまも行ってみてください、と言いたいのですが、大勢が歩いてしまうと賑やかになりすぎて、やっぱり…この山域の良さのひとつの“静かさ”がスポイルされてしまうような気がします。そっと秘密の山(私達だけの里山)にしておきたいのですが…、これも「山歩きのジレンマ(*)」のひとつかもしれません。 * 山歩きのジレンマについては拙コラム欄の該当項 をご覧ください。 佐知子の歌日記より 両面の羊歯のみどり葉華やかに 三浦アルプス常緑の森
平成26年(2014年)1月12日 山の仲間たち(山歩会)との楽しい新年鍋山行に、今年は本コース(二子山〜阿部倉山)を選びました。今回はイヌビワとイヌビワコバチの共生の話も出たりして、けっこうアカデミックにやりました。 とはいえ、新年山行だけは(多少は)アルコールはOKということで、キムチ鍋を囲んで盛り上がりました。参加者が多かった(20名)ので、大きな鍋を3つ用意しました。漬けものなどの様々な“つまみ”を持参された方も大勢いて、なんと、八丈島産(直送)の美味しいクサヤを5枚も持ってきた方もいました。もう一つのコンロでそれを焼いたり、酒を温めたり…、大休止の二子山山頂は約2時間の大宴会となりまして…、寒さもどこかへ吹き飛びました。他のハイカーの方たちに嫌われたかもしれませんが、(おすそわけの)キムチ鍋を食べてもらったりして、とりあえずは苦情は出なかったようです。よかった、よかった。 初めてこのコースを歩かれた方に感想を伺ったら 「スリルある沢登り(森戸川源流部)があったり、ヤブ漕ぎ(阿部倉山)があったり、ヤブツバキが咲いていたり…、自然がたっぷりの、変化に富んだコースですね」 と感心されていました。 それを聞いて思わずニンマリした私です。 大勢の仲間と歩く山も、それはそれでとてもいいものだと、今回も思いました。 (*^^)v
令和4年(2022年)2月22日 コース: 京急田浦駅〜田浦梅林〜乳頭山211m〜馬頭観音〜二子山208m〜阿部倉山161m〜長柄〜逗子・葉山駅 【歩行時間: 4時間20分】 東から西への三浦半島横断で、田浦梅林の梅の開花状況(一部咲き程度)を確認してから、まず乳頭山(矢落山)に登りました。それから三浦アルプスの東尾根を北上して馬頭観音に手を合わせ、北尾根(二子山〜阿部倉山)を縦走して長柄の里に下山しました。京急田浦駅から歩き始めたのは8時30分頃で、逗子・葉山駅に着いたのは14時頃でした。南尾根縦走コースと比べるとアップダウンが少なくて、幾分楽に感じました。植生の自然度(鬱蒼とした感じ)に関しては、南尾根に比べると東尾根〜北尾根は、やっぱりちょっと物足りないです。 阿部倉山の山頂部は整備されて、随分と変わっていました。スギとか下草が刈り払われてスッキリとして、落葉広葉樹(樹種は不明)の植樹もしてあったりとか…針広混交林に導いているのでしょう…丸太のベンチなどもある、モダンな空間になっていました。今昔の感しきりで、あの日の藪漕ぎが懐かしく脳裏をよぎりました。 この日の特筆すべきは、コース上のあちこちで(可愛らしく動き回る)タイワンリスを見かけた、ということです。この地のタイワンリスは(2005年に施行された外来生物法において)特定外来生物に指定され、その“捕獲・駆除”が行われてきた影響か、ここ最近はその姿をあまり見かけなくなっていました。…もしかしたら復活しているんじゃないか、と推察しました。それは何というか、半分がっかりしてもう半分を喜んでいる、といった微妙な感情です。人間の(私の)心って、このようにナイーブで、自身でもよく分からないものなのです。(^^;)
Part7 阿部倉山から田浦梅林 コース: 逗子・葉山駅8:40〜長柄〜阿部倉山161m〜二子山208m〜馬頭観音〜乳頭山211m〜田浦梅林〜14:50京急田浦駅 【歩行時間: 4時間20分】 今回は夫婦で、前回とは逆方向(西から東)に歩いてみました。タチツボスミレやヤブツバキがあちこちに咲いています。田浦梅林の梅は盛りを少し過ぎていて、十一分咲き、といったところです。日曜日ということもありけっこうな人出でした。 長柄の里の阿部倉山登山口、及びその山頂部周辺など、指導標がないのでウロウロしているハイカーが多くて、何人かに道を尋ねられました。脇道や管理道などが多数分岐しているので、地図(地形)読みに慣れていないハイカーは要注意です。まぁ、無茶をしなければ、道迷いになっても何とかなる小さな山域ですが…。 それにしても、もう本当に、三浦アルプスは何処も彼処もメジャーです。 佐知子の歌日記より 折たたみストック出すが組み立て方忘れてしまう未使用みつき 令和4年(2022年)3月25日 コース: 逗子・葉山駅9:00〜長柄桜山古墳群を見物〜阿部倉山161m〜二子山208m〜馬頭観音〜港が丘〜14:50京急田浦駅 【歩行時間: 4時間45分・単独行】 今回の特筆は、ちょっと寄り道をして長柄桜山古墳群を見物してきた、ということです。正味40分〜50分のアルバイトですが、山道を歩くので気分がとても良くて、なかなかけっこうでした。歩き足りない方には特にお勧めです。 コース上にはタチツボスミレやキブシがきれいに咲いていました。
令和4年(2022年)4月6日 コース: 逗子・葉山駅9:00〜長柄桜山古墳群(第1号墳と第2号墳)を見物〜阿部倉山161m〜二子山208m〜馬頭観音〜港が丘〜14:50京急田浦駅 【歩行時間: 5時間】 山の仲間たち(総勢10名)と三浦アルプスの北稜を縦走してきました。富士山が江の島を引き連れて春霞に浮かび上がる、とても良い日でした。先日(3/25)の下見の甲斐もあって、長柄桜山古墳群の見学も大好評でした。 ヤマザクラの花が見ごろに入っていて、クサイチゴ、ヘビイチゴ、タチツボスミレ、ムラサキケマン、それに未だヤブツバキも、とてもきれいに咲いていました。ウラシマソウ(マムシグサの仲間)も、ちょっと不気味な仏炎苞を開いています。芽吹きの新緑が清々しい春爛漫の、いい時季に私たちは三浦アルプスを歩きました。 打ち上げの…もちろん希望者のみですが…マスクをちょっと外しての、京急田浦駅近くの居酒屋で飲んだビールが美味いのなんのって…。 安・近・短の静かなトレイルだから、このコロナ下では(私たちにとっては)もってこいの山域です。
Part10 二子山から阿部倉山 森戸川林道終点から二子山への沢コースは、一時、崩落のため閉鎖されていましたが、今はもう気分良く歩けます。 今回のコース: 京浜急行線・逗子葉山駅8:50〜森戸川林道(大山林道)入口〜林道終点〜二子山(上ノ山・下ノ山208m)〜阿部倉山161m〜長柄交差点〜逗子葉山駅 【歩行時間:3時間10分】 ヤブミョウガは実をつけていて、ツリフネソウはその花期を終えかけていましたが、野ギクの類(オオユウガギクなど)やオオダイコンソウはきれいに咲いていました。今回は特に、スズメウリのまあるい実が印象的でした。 阿部倉山の山頂部(さくらテラス)からは…ちょっと霞んでいましたが…富士山展望もできました。その相模湾越しの富士山は、芸術的とも云える淡い陰影で、もうウットリです。サーモスの熱いお茶を飲むのも忘れて、随分と長い間、その場に立ち尽くしました。 そんなこんなで、心と身体がリフレッシュされた一日(半日だったかな)でした。
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