VIFAM diary archive vol.8
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1999.8.16
「シャロン・パブリンはアニメ史上最も不幸な境遇の少女」説
既に何回も書いたこととダブっているが、昨日(1999.8.15)の「爆弾発言」を確かめた上で、総ざらいに話をまとめる。
まず、「バイファム」本編、および設定史料から分かる彼女のプロフィールは次のようになる:
- 父親はいない。
- 母親は踊り子。
- 伯母のもとにあずけられていた。
- ベルウィックじゅうを母につれられ転々とした。
僕はこれに、さらに次のような推定(妄想)をつけ加えた:
- 父親は、シャロンが生まれたがために逃げた。
- 母親はただの踊り子ではなく、踊りながら着ているものを脱ぐような踊り子である。
彼女の性格として、
の2つがある。僕が問題にしたいのは主に前者のほうだ。一般的には、本当の意味は分かっていないが、下ネタを使いたくなるような年頃、と解されていると思う*1。しかし、僕は彼女の設定および、僕の推測から、彼女は実は本当の意味を知っていて、あえて使っているのではないかと考えた。
かりに、彼女の母親がヌードダンサーだとしてである。シャロンがもしペンチやカチュアのような少女だったら、周りからどう見られるだろうか? 親はろくでもないくせに、娘はイヤにとりすまして、などと陰口をたたかれるだろうし、男子からはからかったり、いじめたりの格好の標的にされるだろう。
彼女だって、最初はごく普通の少女だったと思う。しかし、そういう扱いを受ければ、誰だって傷つく。そこで彼女は、自分の心を守るために、あえて今のような振舞をするに至ったのではないだろうか。「あえて」というよりは、経験的に身につけたと言うべきだろう。つまり、はじめっからはしたない言動をしていれば、ああやっぱりね、ですむし、男子からも軽口は叩かれても、からかわれたりはしない。もちろん、母親も母親なら娘も娘などと陰口は叩かれるだろう。つまりどっちにしろ近所の目は冷たいのだが、結局同じことなら、下ネタを連発する彼女は、「本当の自分」(自尊心みたいなもの)ではないから、うわべを傷つけられたところで、「本当の自分」は傷つかない。ただし、うわべと言うほど、本心からかけ離れたものではなく、それよりはむしろ、彼女の性格の一端であり、それを誇張しているにすぎないと見たほうが、無理がない。
一見ガサツなのも、どうせ今まで転校を重ねる生活を送ってきたのだから、離別で泣くより、深入りしない友だち関係のほうがつらくなくてすむし、別れ際もカラッと終わらせられる。ウェットな人間関係に入るより、ドライなそれのままでいたほうが気が楽ということだ。ここまでが、一昨日までの僕のシャロンの解釈だった。
ところが、である。(以下内容が気まずいのでしばらく破線。)
「彼氏のションベンなぜ白い」(第40話)、この発言はまずい。ペンチが聞いたら、……いやいや彼女がこれを聞いて顔を赤らめたら、それが何なのか知っているということだ。彼女が顔をしかめるのは「ションベン」までで、「白い」の持つ意味に気づくことはないだろう。むしろカチュアのほうが、実は耳年増で、意味をしっかり分かりつつもとりあえず黙っているんじゃないだろうか(失言)。ケンツが泡をくったのも「ションベン」のところでひっかかっただけで、「白い」の意味までは取れていなかったと思う*2。
余談はさておき、シャロンはしかし、ペンチは知らないと思える「白いションベン」を知っている。その表現自体を知っているのは確かなんだし、さらに、今まで述べたように意味まで知っててあえて言っているのだとしたら、それはとんでもないことだ。上で、男子にいじめられたと書いたが、もしかするといじめられたどころか、「いたずら」されたんじゃないだろうか? 「白いションベン」を無理矢理知らされてしまうようなのを*3。
いくら何でも考えすぎとも言える。しかし、この種の婉曲的表現を発するのと、単に「パンツはいてねーんだ」と公言するのとでは、大きな隔たりがある。少なくとも誰かからその表現を聞いていなくてはならない。思いつくはずがないから。かりにそれそのものを見ることはなかったにせよ、それを聞く状況もかなり、相当異常だ。また、「なぜ白い」ではなく「なぜカルピス*4」くらいまで遠回しになっていたら、意味をはっきり知らないで聞いただけの言い回しとして使うかも知れないが、「白い」という形容は婉曲としてはやや中途半端で、即物的なところがある(これはかなり主観的かも)。となると、高い確度で意味も知っている可能性ありと言えないだろうか(どのようにして知ったかはともかく)。
彼女がその言い回しを知っているのはとりあえず事実だ。さらにその意味も知っているのだとしたら、そんな身の上の少女はちょっと他にはいないだろう*5。
しかし、この妄想or邪推にブレーキをかけるエピソードが1つある。第39話で、女の裸を見たがる男の気持ちが分からないという趣旨の発言と、その後のペンチの、「好きな男には見せたくなる(らしい)」に驚く、というくだりだ。もし本当に彼女が、分かっていて下ネタを言っているのだとしたら、そういうことは言わないはずだ。男の気持ちは分かりすぎるほど分かっているはずだし、ペンチの発言は口の端で笑うだろうから。もっとも、自分がそこまで知っているのだと明かすのはそれはそれで問題だから(程度的に)、計算づくでペンチの前でそういうことを口にしたと考えられなくもない。が、もともと頭を働かしてというよりは、経験で身につけた処世術だから、そこまで気を回しているとは思えない(だいいち年齢的にそこまで考えつくはずがない)。
ということは、やっぱり一般的な解釈が正しい。めでたしめでたし。いや、それは悔しいな。どうせもともと邪推に邪推を重ねた妄想なんだから、まるで四方丸くおさまるはずがない。とりあえず、ペンチの好きな男には云々は、シャロンがそういう気持ちになったことがない&なれそうもない、とも解釈できる。あとは目をつぶって。
*1 少なくとも僕は最初そう思っていた。ただ、男子にはそういうことはあるけど、女子にもあるんだろうか??
*2 9歳なんだからねえ……。
*3 もっとも、そんな体験があるのに、それを口に出せるのか、という考え方もある。
*4 下品で申し訳ない。
*5 山岸凉子の「緘黙(しじま)の底」(『黒鳥(ブラック・スワン)』白泉社に所収)という作品があるが、その主人公の少女は、年齢、性格、身の上ともにシャロンにかなり似ている。いや、シャロンより悲しい。
1999.8.15
お買い物(@コミックマーケット56)
- 『バイファム・アンパーフェクトメモリー』
あ、1つだけか。MAGIさんに、初めてじかでお会いした。(挨拶はMAGIさんちのほうに書くので省略。)
第9話のシャロンのシャワーシーンのアングルが悪かったのは確かだけど、その後の服を着ながら走ってくるシーンで、乳首が描かれていたのはポイントだと思う*1。
第22話で女の子たちが顔を赤らめるシーンは、僕ならそういう表情をしなさそうなカチュアが赤くなったので彼女にポイント進呈*2。
第40話のシャロンの爆弾発言はまったく知らなかった。確認しなくては。
第46話は、シャロンの「オレ、泣けちゃう」が……、って偏ってるなあ。こういう偏向した頭はどうにかしないと、この先まともな文が書けなくなりそ。
あと、第7話のサブタイトルの直前に出てきた恐竜(トカゲ?)は、「ガンダム」のジャブローのシーンで、模様を残して逃げた蛇みたいに、突っ込んじゃいけないものだと思ってた。
*1 変態 >自分。
*2 お前だけだよ >自分。
「いえね、携帯が鳴っただけなんですよ」(byカマリア・レイ)
「ガンダム」で、アムロが母親に会いに行くエピソードがある(映画: I、TV: 「再会・母よ」)。彼女は診療所のようなところでボランティア活動をしているのだが、その付近はジオンの勢力圏内に入りかかっている。ということで、アムロが訪れたときに、ジオン兵が見回りに来て、アムロはかくまわれるのだが、ホワイトベースからの連絡が入ってしまう。腕時計形の通信機が鳴って、ジオン兵に見つかるのだが、これが現代なら、上のようなセリフですんでしまうのでは、という突っ込みがあった。
この後、アムロが左手で銃を構えるのも突っ込まれるのだが、それはいいとして、「バイファム」で13人が全員、携帯電話を持っていたら……イヤすぎる。第1話でロディたちが両親と連絡をとったり。
実際のところ、ベルウィックは中継施設が機能していないだろうし、ククトは言うに及ばずだけど、ジェイナスの艦内通話くらいなら(技術的に)できそうだ。通話内容が半分しか聞こえなかったりするともっとイヤ。イライラ。
とは言え、ペンチが長電話しまくる(無意味)とか、シャロンがいたずら電話をする(誰かがトイレに入っているときにわざと鳴らしたり)とか、スコットがエロ本を読んでいるときにいきなり鳴ったりとかは面白いかも。
それにしても、いま現在、アニメやドラマなどの劇中で、どれくらい取り入れられているんだろう? 効果的、あるいは違和感なく使われるまでにはまだ時間がかかるんじゃないかという気はする。
どうにか1MB(1024KB)。思うに、ネット上の「バイファム」関連の文章を全部かき集めたらフロッピー1枚に入りきらないね。ところで、次の報告は2MBのときになるのかな? そうするとちょっと不可能に限りなく近い。
1999.8.14
お買い物(@コミックマーケット56)
今回はいくらで買ったか分からなくなったので、いつものフォーマットは使わない。
- "SURVIVAL GAME"
- 『銀河漂流バイファムぬりえ本』
- 『まだまだバイファムさ! VIII』
- 『爆発航海日誌』
- 『ニセライチュウの冬休み』
- 『ククトの歩き方』
- 『シド君』
- 『シド王子の大冒険』
- "TEEN AGE PLANET SEXY WAR"
皆さんパロディがお好きなようで……。って突っ込まれるのがオチか、僕がそんなこと言っても。
それと、どの本も、戦闘が3コマくらいで終わる。「バイファム」で戦闘の劇中に占める重みってそんなもんなんだろうね。
1、2: デジャ・ヴュを感じる絵柄。シャワーなんかじゃ消せない愛があるって感じ(違う)。
1: 表紙と裏表紙を入れ換えるべき(ジョーク)。楳図かずお風だけじゃなくて、原哲夫風とかも見たい(これって「ファンロード」っぽい?)。小学生の時に読んだ「私は真悟」は恐かった。
3: ペンチがヤ○イ本を書いているのは常識みたい……。と言うか、「ドラいもん」、「ハッタリくん」みたいなものかな?
4-9: 絵が個性的、というかアクがあるとも言える。これまたデジャ・ヴュが……。「Gu-Guガンモ」にいたよね、そんな鳥(しつこい)。
4: ベレーさんは名無しです。あ、もう遅い?
5: 「ポケモン」知らないんだけど、最後のカードの特殊能力(?)は笑える。
6: 「サライダの秘密」ってのがよく分からなかったんだけど、前のほうの「ミューラァの秘密」参照ってことなのかな?
7: よほどミューラァに思い入れがあるとしか思えないけど、『シド王子の大冒険』ともどもこうゆう路線で行くのも思い入れなのかなあ、思い入れだなあ。表紙も裏表紙もアレだなあ。ミューラァのセリフが本編からの引用ばっかなのはすごい。
8: 「愛の妖精ペンチ・イライザ」、小道具はいいけど(役立たずなところも)、衣装もひとひねりほしかった。でも結構ブラックかも。細かいところで鋭い突っ込みが……。
9: 読みながら、そおゆうこと描いていいんですか!?という突っ込みを何度したことか…。それは言いっこなしでしょ的ギャグのオンパレード(誉め言葉)。
買い逃したのあるかな? 何せ、場所のアバウトなメモだけで、地図も、ましてカタログもなしに行ったんで……。
僕がデジャ・ヴュを感じると言うことは、逆も真の可能性があるわけで、かつ、万一ここを読むようなことがあって、かつ、突っ込みを不愉快に感じたらご容赦を。
1999.8.13
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): ロディ
1999.8.11
1999.2.15、1999.4.8、1999.5.5と報告してきた昔のロボットアニメの漫画版の復刻だが、「イデオン」、「ダグラム」まで復刻されていた(全て大都社)。しかしこれはどうもこれで打ち止めっぽい(まだ分からないけど)。
代わりと言ってはなんだが、かわはたさんの発見したアンソロジー本が今から待ち遠しい。これの中身が、「バイファム」のパロディと称して、「13」のストーリーを忠実になぞったものだったりしたら、相当ブラックなジョークになるな、なんて思ったりして。と、こんなことを考えるのが既にブラックかも。
京王百貨店(1999.8.6参照)と入れ替わりに、小田急百貨店新宿店で古書市が始まった(去年: 1998.8.13)。「バイファム」関連は当時のアニメ雑誌くらいしかなかったが、「ガンダム」の絵本(ひかりのくに)を見つけ、思わず買ってしまった。1000円もしたが、爆笑ものの内容。サイド7にホワイトベースが入港、シャアが攻めてきて、ガンダムが撃退、という筋*だけ*は本編と同じだが、実際のストーリーの換骨奪胎ぶりたるや……
「みろ、あれが われわれの きち サイドセブンだ」(声: 鈴置洋孝)
「モビル・スーツよ サイドセブンを たたきつぶせ!」(声: 池田秀一)
「うふふふ……これで おれの かちだ!」(声: 池田秀一)
「とどめだ、ビームサーベル!」(声: 古谷徹)
絵も崩れているし、シャアのヘルメットの角が赤かったり、ザクがミサイルぶっぱなしたり、「バイファム」の絵本はまだまともな作りであることが分かってしまった(もしかしたら出版社が違うからかも)。少なくとも絵に関しては「バイファム」のほうが明らかに上。恐るべきことに、この「ガンダム」の絵本は「1」。続きが気になる……。
1999.8.10
昨日(1999.8.9)僕が紀伊国屋に行った理由を書き忘れていた。先月のどれかのアニメ誌で、大河原邦男のイラスト集だかが、(また)出るという記事を読んだので、今度こそ「バイファム」が収録されるのではないかと期待して探してる。先月末の発売のはずだが、さっぱり見かけない。昨日も見つからなかった。ご存じのかたはご一報を。
14日(土)東地区コ22、23
のサークルは「バイファム」をやっていらっしゃるみたい。
HITS TV ANIMATION 1(WPC6-8214)というオムニバスのCDに"HELLO, VIFAM"が入っている。ワーナーのCDだが、ほかの曲が「ロミオの青い空」、「愛少女ポリアンナ物語」、「クレヨンしんちゃん」etcとよく分からない選曲基準。
1999.8.9
お買い物
題名/名前 | 定価 | 価格 | コメント |
『銀河漂流バイファム"ケイトの記憶"涙の奪回作戦』1、2 | 各750 | 1575 | フィルムブック。定価(新本)で売ってた!!(下記参照) |
『気軽にピアノ』1 | 1400 | 1400 | 1999.7.27参照 |
紀伊国屋書店新宿南店1階で、絶版本のフェアをやっている。と言っても、「ジ・アニメ」関連のものだけ。どこから見つけだしてきたのか知らないが、OVA#4のフィルムブックも置いてあった。当然、品数はもともと限られているし、ひょっとしたら、書棚に並んでいただけじゃないだろうか。1人1点限りとなっている。
某ボッタクリ書房で2冊3000円で売っていたのを見送ったかいがあったというもの(1998.12.24参照)。例のおまけフィルムも収録。
『気軽にピアノ』は「オメガの扉」のピアノソロが載っている。歌詞があるところしか採譜していないから(サビもはしょってる)、そんなに難しくないと思う。ただし、TVサイズ。だから余計に簡単。
1999.8.8
「バイファム」第11話感想
1999.8.7
で、また引っ張り出してくるシャロンの話*1。世渡りでシャロンがあそこまでガサツに振る舞えるか? という突っ込みがあった。制作側が意図しているんじゃないからそうそう都合よくいきはしない、は言いっこなし*2。でもお芝居なんだから性格がデフォルメされていても不思議ではない、あ、これもなし?
うまく説明するのが難しいけど、がさつな部分を「仮面」とよぶのはふさわしくなくて、あれも彼女の素顔だと思う。ただし、その部分を強調することでナイーブな部分を隠しているんじゃあないかと。「がさつ」=陽とすれば、「ナイーブ」=陰で、陽(光)を強くして陰を消すというか。意識的にではなく、体得的にそういう振舞かたが身についている。だから、彼女はとっても矛盾した2つの性格を抱え持っている子ということになる、が、本人はその矛盾を自覚していない。
……と僕は思っている。
*1 すごい楽。これじゃよくないぞ。
*2 でもうがちすぎた見方だ。
「バイファム」第10話感想
1999.8.6
今年も京王百貨店新宿店で大古書市が始まった(去年: 1998.7.31)。今年は去年ほど「バイファム」関連は見あたらず、アニメージュ文庫の『僕たち13人』(感想)だけだった(売価: 500円)。あとは「アニメック」くらい。僕が見つけた限りでは、だが。
1999.8.5
まだ引っ張る(1999.7.29から続く)。こういう話が反感をかうのは、「バイファム」の子どもたちが「汚された」ような気がするからだろう。自分のひいきの子どもだけじゃなくて、「バイファム」自体が、と言ってもいいかも。
僕がファンである別の作品についても、やはりファンの人に言われたことがあったけど、僕はファンにしては突き放しすぎた見方をすることがある。僕にしてみれば、そういう見方ができるのにもかかわらずファンをやっているくらいに、その作品には魅力があるということなのだが。
自戒しないとならないと思うのは、自分の嗜好を自分のページでしゃべくるのは自由だけど、どの人のページもそれをやっていたら虚しい、ということ。それだけじゃいかん。ただし、かといって、例えば「エヴァ」の最終回論争にしろ、あれが手抜きなのか狙った演出なのかは、ただTVを観ている限りでは主観による判断しかできないから、結局自分の嗜好をしゃべる以上にはならない。
ということはこういう話はしないほうがいい。でもしたい。……結論は?
この話はこれくらいにして、僕が小説を書いたのは、「仮面」、「地」なんてただ書いても、「なんのこっちゃ?」という反応がかえってくるだけだろうから、抽象的なことをただ書くよりは、具体的な事例で示したほうが分かると思ったので。
それと、僕が言う「狙っている」は、単に「意図した」という意味でなく、「意図して」、「萌え」を「狙った」ということ。例えば「13」のスコットが暴走しているのは明らかだが、あれは「意図」してはいても*、「萌え」を狙ったとは考えられない。
* いや、ひょっとして鳥海氏のナチュラルな……(以下省略)。
1999.8.4
この話(1999.7.29からの)でまだ引っ張る。だって「サザエさん」を考えてない(素直に休めば? >自分)。シャロンの、「仮面」と言うと言い過ぎかも知れない。「素顔」は全く別の性格だと言っているのでない。そうではないが、普段お調子者っぽく演じているほうが結局人との摩擦を避けられるというような意味で書いた(ああ、繰り返しは避けたいのだが…)。「地」は、僕が小説に書いている。「地」というか、「仮面」というか、普段のあれはウワベ・処世術で、実はとっても繊細な心の持ち主なのよ、彼女は、というのが主張。
最終話で、母親に、なんて挨拶するか迷うあたり、あそこで何も考えずに「オーッス!」(だっけ?)でいこうとしたら*、シャロンファンでなかった可能性大。そのずっと前のケンツがカチュアがククトニアンだとばらした後の「無理しちゃって」(だっけ?)とか、ケンツがガイたちに人質にされたときなんかも「地」が出ているところだと思う。特に後者はマジで怒ってたからね。すぐ(対人関係で)カリカリするスコットやらクレアやらと違って滅多にキレないからね、シャロンは。もとからそういう性格でもあるんだろうけど、ひとと深刻な関係にならないように努めているんだとも思う、僕は。だから「母のなりわい」では怒らせてみたし、"FOUR HANDS"では深刻な関係にしてみている(つつある)。だから心に惚れたということにはなる。
ちなみに、MAGIさんのところのゲストブックでは、僕はまだマキファンを自称している。それはまだシャロンの魅力に気づく前だったから。その時は「狙っている」と感じつつも魅力を認めざるをえなかったのだけど(認めざるをえないのは今も同じか)。
* ペンチの場合……(以下省略)。
1999.8.3
昨日(1999.8.2)書いたことは、あせって、と言うか即答で書いた文なので、ややアラが目立つかも。
これ以上書くと身の危険を感じるが、マキの目が普段見えないのってメガネッ娘(眼鏡とるとお目々ぱっちり)に通じるところがあるかも。にしてはやや見えることが多すぎるきらいがあるとはいえ。
でも人は何故メガネッ娘に萌えるのだろうか? 人と言ってもそんなに一般的な話ではないか。とにかく、誰がこれを発見したのか、「萌え」を起こす要素とは何なのかは多少気になる。
そういうお前も結局シャロンに萌えてるんじゃないかと突っ込まれれば、そうだと答えざるを得ないだろう。
1999.8.2
1999.7.29に書いたことは、「自分の好きなキャラへの賛美」(一歩さん)。それ以上でもそれ以下でもない(クワトロ・バジーナ風に <こんなところで使うなって)。「全て僕個人のこと」って断ってあるじゃん*1。
一点反論するとすれば、(僕の観点では)シャロンのパンツの旗、ああいう行動はシャロンの「地」ではなく、あくまで仮面。シャロン自身がわざとああいう振る舞い方をしている、僕の中では。
マキについては、ばらしちゃうと、大昔、多分「ワタル」の頃くらいに、パソコンゲームで、女子高生が突然(救世主にされて?)、わけのわからないまま敵と戦わせられるような設定のアクション・ゲームがあった。当時のこと、パソコンゲームをやるのがどういう手合いなのかは言うまでもないだろう(と言うかその言葉を使いたくない)。で、そのゲームは(アニメ絵)、とりわけそういった人たち御用達みたいなソフトだったのだが、そのあるステージで、パジャマのままで戦わせられるという設定があった。それだけなんだけど*2、こういうシチュエーションに異常に萌える人がいるらしい、いや確実にいる。マキのあれが狙ったのかどうかは知らないけど、そういう余計な知識があるとそう見えてしまう(と言うか、僕はクラクラきた)。
それと、眠田直がムック本で、「で、マキは自分の事を『あたい』と呼ぶんだけど、これがもし『ボク』って言ってたら、オレはもっとクラクラきてたろーね」*3なんて言っている。まあ彼はその前に「差異をつけるために『少年っぽい女の子』にしたんだろう」と書いてあるし、それが事実なんだろう。が、僕自身も「クラクラ」きてしまっただけに、実は(主にキャラの造形が)計算づくなんじゃないだろうか、と勘ぐってしまうわけだ。
で、クレア熱出してましたっけ? それはスコットでは? それともあそこにおけるクレア? あとシャロンの「俺だけが悪者」はケンツでは? これもそこのシャロン? うん、あそこのシャロン、あれが彼女の「地」だと僕は思ってるけど。
さらに言うと、「媚び」というのは、いかにもオタク受けしそう(あっ、書いてしまった)という意味。僕には「いかにも」を客観的に定義できない故(同語反復的だが、多分に主観的なので*4)、合意に達することはできないだろうけど、カチュア、マキにはそういう雰囲気を感じてしまう。
2つの問題がごっちゃになっているが、
ということ。前者はペンチ、後者はカチュア、マキ(僕にとって)。じゃあクレアは何故ダメなのか。別にダメじゃないけどシャロンほど魅力がない(僕にとって)、それだけ。
なお、この話は野郎にのみ適用。さらについでに言うと、要は「僕はシャロンが一番好き!!」だけ言っておけばよかったという話もある。これは迷ったんだけど、「一番好き」であるからには他の女の子との比較もあることになる。いずれにせよ「僕は××のここがちょっと」という問題だから、やはり僕個人の話。
*1 いつもはそういうことはなるべく書かないようにしているんだけど、ここは僕のページなんだからいいじゃないかとたまには思う。
*2 ちなみにその主人公の女の子のイメージガールまでいた。が、人気はゲームの中の女の子にしか集まらなかったそうな。
*3 『SFアニメがおもしろい』アスペクト, 1997。1999.3.31参照。
*4 あえて言うなら、実際のところマキ、カチュアファンは多いが、シャロン、クレア、ペンチファンはそんなにいない。(これはずるい、かも。)
1999.8.1
「バイファム」第9話感想
1999.7.31
「バイファム」第8話感想
1999.7.30
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): ペンチ
1999.7.29
2人
この数字が何を意味するかは後で述べるとして、1999.7.25の「サザエさん」風次回予告がまずいと思ったのは、単にギャグのパターンが同じだからではない。このシリーズでギャグに走ろうと思えば、もっとやれないことはない。しかし僕はそれよりは「バイファム」本編の次回予告として使いうることを目指した(その範囲で笑いをとろうとするから色々制約が多い)。僕が問題にしているのは、だからギャグが二番煎じだったことではなく、ペンチをダシに使ったのが2回目だということだ。しかも、どちらも「怪しい文学少女」路線だ。
これをためらいなく(いや、多少ためらったけど)、「バイファム」本編の次回予告として用いることを想定したナレーションで2回もやってしまった。これは僕の個人的な問題だから、これを読んだ皆さんが、こんなの「バイファム」の予告にはふさわしくない、と思うかどうかは二の次だ。つまり、誤解を恐れずに言えば、僕はペンチに対して愛がない。おっとと、これだとやっぱり誤解されるだろうから言い換えると、ペンチのことをどうとも思っていない。
この先の話は全て僕個人のことなので、そのつもりで読んでもらいたい。ルチーナは除くにしても、僕は他の「バイファム」の女の子たちは、みんな好きだ。ただ、その中でマキとカチュアは、ある種の媚びというか、あざとさを感じて、逆にそれが僕にはひっかかる。
マキなら、普段は男の子みたいで、男子でも気軽に口をきけそうな子が、実は滅茶苦茶かわいいところ。男にとっては願ったり叶ったりだ(願うってことは、現実にはいないということでもある)。そしてもう一つは、パジャマで出撃だ(第26話)。「パジャマで出撃」というシチュエーションは妙に蠱惑的なのだが、その例として……ああ、これは第26話の感想にとっておこう(いつ書くんだ)。
カチュアについては言うまでもないだろう。彼女の体型が意図的に設定されたものであることは、キャラクター・デザインの芦田豊雄自身が言明している。とは言え、意図したのが、彼女が薄幸の少女であることを強く印象づけるためなのは明らかだが、いわゆる「萌え」を狙ったかどうかまでは定かではない。それはマキについても同じことだ。しかし、僕には、どうもそう思えてならない(くどいが、僕個人の問題)。
一方、クレア、シャロン、ペンチにはそういうところはない(と僕は思う)。クレアが正統派ヒロインの道を歩んだらそうでもなかったんだろうが、「太め」と書かれたのが幸いしたのか、微妙にずれた存在になった。ククトニアンに捕まって人質にされたりとか、なぜか1話だけタイツを履かないで登場するような、いわゆるお約束はなかったわけだ。そして彼女のエピソードはことごとく「萌え」とは無縁だろう(かろうじて第6話のスターダストくらいか)。
僕が一番好きなのはシャロンであることは、何回も繰り返している。僕の主観で言えば、彼女の普段の非常識な言動は、あれは芝居だ。わざとああいう行動をすることで、逆に周囲とのコミュニケーションを図っているのだと思う。母子家庭で、しかも母親は水商売をしている子どもが身につけざるをえなかった、生きる方便なのだ(すいません、主観と言うより偏見です)。そこが僕にとっては、カチュアなんかよりずっとけなげに映る。
で、ペンチなのだが……。彼女は非戦闘要員ということで、クレアにかなり似たところがある。そうではない、彼女の個性というと、文学少女、お嬢様っぽい融通のきかなさ、そして後半見られるちょっと突飛な行動だろう。この突飛な行動が、なぜか文学少女と絡んで、段々エスカレートしていくように見える。OVA#4なんかが最たるものだろうし、「13」だってそういうところはあった。ひょっとすると制作側が、彼女の個性を打ち出すために、わざとそうしたとも思えるが、どっちにしろ僕はそれをあまり好ましいとは思えない。そうした逸脱行動が「天然」だから。
それを苦々しく思っているにもかかわらず、その尻馬に乗るようなことを2回もできてしまったのが、「愛がない」と思う理由だ。よくないと思っているなら、それをしないか、できるならそれをうち消すようなことを書くべきだ。
これは僕がいけないのだろうか? ペンチファンは一体どれくらいいるのだろうか、と思って調べたのが上の数字。Vジェネのゲストブックでペンチファンの数を調べた。うーん、ペンチファンは少数派のようだ。ということでやや安心できた次第。(ペンチファンのお2人にはごめんなさい。)
1999.7.27
ちょっとだけ「バイファム」な書籍/雑誌(33)
『気軽にぴあの1』(ヤマハミュージックメディア)に「オメガの扉」が入っているみたい。ピアノソロ用アレンジ、初級、1400円。
さあて、うちにあるピアノ、誰も弾かなくなってから随分たつうちに(受験とかでやめざるをえない)、この前ちょっと触ったら白鍵が2つほど、押すと沈みっぱなしで上がらなくなっていた。当然、調律も長いことしていないし、復活させてやりたい……。
だけど「オメガの扉」ってあまりピアノソロには向いていない気がする……。"HELLO, VIFAM"のほうが、アレンジしやすいような。いや、イントロがピアノソロで伴奏もピアノ中心(1番の話)ってこともあるにせよ、例えば「つばさ」なんかもピアノソロにしやすいと思う。って、こういうのって原曲の伴奏に忠実である必要はないのかな……。いや、僕が見た「ダンバイン」のピアノソロの楽譜は出だしの「デデデデデ、デデッ、デデッ」を再現していたぞ(手首つらそ…)。
右手も白鍵1つずつ上がってくわけでなし(これは"HELLO, VIFAM"も)。と言ってもこれは大したことないか。1オクターブの中だから。
1999.7.26
「BEATマガジン」8月号の読者コーナーに「バイファム」(「13」?)のイラストが載っていた。またもやマキ。と言ってもこれで2回目だが(1回目: 1998.12.19)。ヘソ出し。ただ、イラストのシチュエーションがちょっと分からない。バックにいる少女はどなた?
1999.7.25
↓本当は日曜シリーズにしようと思っていたんだが、どうもそういうわけにもいっていない。
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): クレア
1999.7.24
「アーティファム」のロゴを作ろうと思っていた。ORIGINAL FONTにあるフォントを使って。これだと「バイファム」を踏襲したデザインになる。僕としては「ブレンパワード」みたいな明朝体風のタイトルロゴをイメージしていたが、それを作るのはめんどい、というか手元には作成手段がないので断念。ところが、上記URLにあるフォントファイル、Mac用/Windows用と用意されているのだが、作者はMacの人らしく、後者がちゃんと使用できるのか確認していない。で、やっぱりというか、使えず。残念。うちにMacintosh IIciがあるけど、そんな骨董品じゃ無理だろうし。
1999.7.23
「異星漂流アーティファム」
クレアドの社会(2088年以前)を追加。いまだに設定をつけ加えているあたり、我ながら意外にこだわりがあるものだと感心する。
でも、こういうのって書いている当人はそれで満足だけど、はたから見るとどうなんだろう。「アーティファム」はこのページの中で、もっともオリジナリティの高い文章と言えるが、それに反比例して読者の関心は低いんじゃないだろうか。どうせ同じ手間かけて駄文を書くなら、パロディやるほうがウケはいいような。
だって、読者は「バイファム」のファンサイトを期待しているのであって、僕が自分で考えた世界を書いたって、つまんないか、理解不能かというのがおおかたの反応じゃないかと思うから。
大学の近くのレンタルビデオ屋で「バイファム」OVA発見。ただし、「集まった13人」、「消えた12人」のみ。中途半端すぎる。残りはテープが擦り切れたんだろうか。
1999.7.22
CD屋に行って「バイファム」を探すとき、いつも困ることがある。そりゃあ、もう買うもんがないんだろって、そうではなくて。僕が音楽集を買ったのは97年で、98年に再販される前のことだった。その時はカタログで確認して注文したのだが、OVAのCDもまだ一緒に掲載されていたから、手に入る可能性はなきにしもあらず。それにCD-BOXも万が一見つからないとも限らない。とくに中古屋なら。
いや、そうではなくて、どこを探すか、だ。そんなの、アニソンはアニメ・特撮のコーナーに決まってるって、そうなんだけど。たしかに堀江美都子だろうと串田アキラだろうと、あ、じゃなかった、山瀬まみだろうとさだまさしだろうと、アニソンならアニソンのコーナーにあるものだ。
僕が言いたいのは、アニソンコーナーのどこを探すか、だ。もっと具体的に言うと、「カ」か「ハ」か。「銀河漂流」だから「カ」か「バイファム」だから「ハ」か。結局どちらも探しているけれど、どっちかに統一してほしい。
その点「ダグラム」、「ガリアン」は迷わずにすむ。が、CDがなかったりする。「マクロス」は、初代は「超時空」がつくが「マクロス7」はつかない。となると、「タ」と「マ」に泣き別れということになってしまうかもしれない。「ダンバイン」は「聖戦士」をどう読ませるかで、「ア」、「サ」、「タ」、どこに行くのやら……。一番問題ないのはやはり「ガンダム」か。絶対「カ」のところにあるから。しかし「ガンダム」の場合、既に専用コーナーがある場合が多いような……。なら「ザブングル」。
ああ、なんか本当に雑談になってしまった。
1999.7.21
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): シャロン
MSジェニー(その2)<<おいおいおいおい。「異色」っつーか……。
1999.7.19
お買い物
題名/名前 | 定価 | 価格 | コメント |
コミックマーケット56 カタログ | 2100 | 2100 | バイファム度稀薄。 |
この本、奥付もないし定価の記載も見あたらないし……ってそういう本じゃないんだろうか? 高校の頃(93年か94年だと思う)、部活の戦利品で見た当時のより厚くなっているような気がする。どういう部活をしているのかかなり謎だが、とにかく僕は部室でそれを読んで、誰も引き取り手がいないから家に持って帰った(僕の母校に漫研のたぐいはない)。その後どうしたかは不明。あんなでかいもん、そう滅多に行方不明になるはずがないから、捨てたのか。
その時も赤面したが、今回も赤面。同人誌だから、自分の好きなことを描く/書くはずで、そういうのが好きな御仁は相変わらず多いようだ。ほかにもっと好きなことがないってのは悲しい、なんて書くと余計なお世話と言われるんだろうけど。でもそれを人に見てもらいたいと思うのは理解に苦しむ <やっぱり余計なお世話。それとも需要があるから供給があるだけのことなんだろうか。いや、それでも需要がそんなにあるというのは……ゴニョゴニョ。
ある意味、究極的に同人的なこのページの作者である僕は、あんまり同人誌には縁がない。僕の好きな作品がそもそも同人誌の対象になっていないからということもある。たかが1冊の本を買うためだけに、有象無象をかき分けるのも気が進まない話だが、さてさてどうしよう。ちなみに15日(日)東地区イ30。
気のせいか
最近、ここ以外の「バイファム」ページでも「サザエさん」のネタが多かないだろうか? ひょっとして僕が元凶/根元? 個人的にはカチュアがワカメのコスプレをすればそれで満足だ(上と言っていることが違うような)。後頭部の髪型まで似てしまうと困るが。ところで、ウキエは露出○的服装はしていないが、ワカメ->ウキエへ移行する年齢は一体何歳なんだろう? (そんなこと気にするなよ……)
『空想歴史読本』。SF作品の年表/年号を一つにまとめてしまおうと考えたことのある人は多いだろう。そういう本。最後は「猿の惑星」で終わっていた(はず)。
途中で、「バルディオス」、「モスピーダ」、「オーガス」、「レイズナー」などが出てくるが、「バイファム」の記述はなし。というか、2083年が舞台の「モスピーダ」を出してしまうと「バイファム」が出しにくい。そして、どうせなら地球が異星人に占領される話を取りあげたほうが面白い。この辺、作為を感じる。ところで、前に「バイファム」は昭和58年放映だから2058年と述べたが(1999.3.2)、一方「モスピーダ」は1983年だから2083年のようだ。
1999.7.17
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): ケンツ
1999.7.15
こりずに昨日(1999.7.14)の続き。今日はもっと即物的というか具体的な話をする。
「ダグラム」と違って、「アーティファム」は泥臭くない。まず女の子が多い。女:男=6:5だ。0歳児を含むとは言え、女子のほうが数を多くしている。しかも男の子のうち、ミリーは女装が似合いそうな繊細な子だ。パムが男の子っぽいと言っても、男まさりとか、女丈夫という感じではない。これだと逆に大変になるとも言えるが、とにかく華やかなのは間違いない。
だからといって、シビアな話がなくなりはしない。例えば、
一行は地球からやって来た傭兵団に出会う。
「俺たちゃ、地球の会社に雇われたんだけどよ、来てみたらお前さんたちの仲間が潰してたってわけよ」
「これからどうするんですか?」
「さあな。まずはどっちが勝ちそうか見とかないとな。どうせなら勝つ側で戦いたい」
「どっちが勝ってもかまわないんですか!?」
「そういうこった。なあ、戦争は正義が勝つんじゃない、勝つほうが正義なんだ」
「そんなこと……!!」
「まあ、どう信じようと勝手だ。とにかく、俺たちは食うために戦ってんだ。割にあわないのはご免だ」
「自分が生きてくために、ひとを殺すなんてあんまりじゃないですか!」
「この戦争がおっ始まったのは俺たちとは関係ない。どのみち戦争やるんなら、俺たちみたいのに任せたほうが丸くおさまるってわけよ」
「必要悪、ですか」
「生意気なガキだな」
といった具合に。何度も言うようにあくまで11人が見たこと、聞いたことが中心になるわけだ。
あとは11人の内部関係も当然ながら重要だ。これについて一つ考えているのは、主役交代だ。主役メカではなく主役。一行のリーダーはディーヴで、彼はアーティファムのパイロットでもある。いわばサッカーのキャプテンか、野球の主将みたいなやつだ。この兼任は、子どもたちのポストの配分としてはもったいないし、また途中で人間関係をいじってみたいということもある。
それで、ディーヴには途中でリーダー役専任になってもらうことにした。代わりにミリーがパイロットになる。具体的には、ディーヴは途中で怪我を負う。命にかかわらないが、相当重傷だ。一時的に統率者と、エースパイロットと同時に失うという重大な危機におちいることになる。「乗らなきゃならない」状況と、「乗りたくない」気持ち、それをミリーがどう乗り越えるかも問題だが、とにかくミリーは以後、アーティファムのパイロットとなる。ついでに言うと、この時サラがディーヴの代わりを務めて、さらに彼の看護をすることから2人の仲が急速に親密になったりする。
1999.7.14
「異星漂流アーティファム」
年表改稿。2069年と、2076年。この程度だと告知しないのがいつもの方針だけど、ネタにつまっているからいいや、ということにしておこう(いい加減)。
追加した事項の意味は、書いても多分面白くないのでやめておく。ということはしない。今日は前提というか、改稿するきっかけになった話を。
かわはたさんが書いた「ダグラム」の話を読んでいて、「アーティファム」が、やはりというか似ているところがあるように思えてきた。
だけどそれは設定/状況であって、雰囲気や方向性は「バイファム」を踏襲する。「アーティファム」が設定ばかりで、しかも設定の中身がああなので誤解されそうだが、「アーティファム」では政治的な駆け引きとかは登場しない、少なくとも子どもたちと関わらない限りは。それは「バイファム」と同じだ。子どもたちが戦うのも、両親と再会するためという、ごく私的な目的のためだ(その善し悪しは別として)。これも「バイファム」と同様だ。だから逆に、同盟軍(味方)の打倒共和国に燃えているリーダーから、「君たちはそんな私利私欲のためではなく、クレアドの未来のために戦うべきだ」と非難されるかもしれない(こう言われたらケンツは何と答えるだろう?)。それでも彼らは、本当に未来を考えるなら戦わないべきだ、と薄々感じているから、両親を求めて旅を続けるだろう。
とどのつまりは、子どもたちの目を通じてのみ全てが語られると言うことだ。
「コッカイ(国会)ってなんだろ?」
「タバコの銘柄でしょ」
おっと、タバコはない設定にしたんだっけ。それより、日本人の子どもには分からないか(Parliament=議会)。ここで国会というのは共和国が開設しようとしているものだ。それは村の大人たちの話題になっているのだが、それは子どもたちは漏れ聞くだけだ。視聴者も子どもたちと同じようにしか知りえない。なおかつ、物語にとっても大したことではない。
ならば何故そういった設定にこだわるのかといえば、それはリアリティのためだ。ここでリアリティと言っているのは、必ずしも我々の住んでいる世界に近いということではなく、それが実在しているように感じられるかどうかだ。実のところ、2088年のクレアドは、少なくとも今の日本とは全然似ていない。別の惑星であるとか、科学技術が進歩しているとかのみならず、世の中の仕組みまでずいぶんと違っている。そういう「異星」で今の子どもみたいな子どもたちが冒険の旅に出るにあたって、その「異星」が現実に存在している(ように感じさせる)ためには、それなりの設定がどうしても不可欠だ。
ああ、なに書いてるのか分からなくなってきた。理屈は抜きで、そういう別世界を空想するのが好き、それがいっとう最初にある。「ダグラム」も、「アーティファム」を考える本当にほんのきっかけで、「アーティファム」を思い出したら、またどうでもいいような設定を思いついただけだったりする(ごめんなさい)。
1999.7.12
いきなりですが、試しに置いてみました。"aROUND VIFAM"専用ではないですが、何かご意見、ご感想、ご要望その他ありましたら、どうぞ。ただし、試運転中です。
1999.7.11
"CHICAGO SUPER POLICE 13"スタッフ
個人的な推測だけど、作画は順に近永、神志那、松下、山内という分担だと思う。ロディ、クレア、カチュアのシーンが松下氏なのは自信アリ。そんなの分かってもしようがないけど。
"CHICAGO SUPER POLICE 13"ナレーション
1999.7.10
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): カチュア
1999.7.9
↓誤解なきよう。
ありがとう、さようなら
これって歌詞転載にあたるんだろうか? 別れなのは同じでも、全然シチュエーションが違うけど、とっさに思いついてしまう。「13」ビデオ/LDも最終巻。予想通りのジャケット。ダークホースでばあさんになるかと密かに期待していたので残念(ウソ)。今までと少し雰囲気が違う。よく考えるとどういう脈絡でああいうシーンになったのか不思議ではある。どうせなら"SEE YOU AGAIN"にしてほしかった。
シャロンはちゃんと字、書けるんだね、ってのは気の回しすぎか。
お買い物――ちょっとだけ「バイファム」な書籍/雑誌(32)
題名/名前 | 定価 | 価格 | コメント |
『アニメック』1985年11月号 | 490 | 250 | すごい久々の買い物。 |
「日本サンライズ大特集」号。なぜか「Ζガンダム」と「ダーティペア」を2p.くらいごとに交互に特集していて、右のページで「今日の都合で魂を売った人々の決定など」と呟いているのに、左のページで土器手司&細野不二彦な2人が暴れまくっている。そのギャップの激しさにつられてつい買ってしまった。…ちゃいます。
スコット・ヘイワードこと(失礼…?)鳥海勝美のインタビュー記事があって、スコット役に決まったときの話とか、OVA#4の1人11役(と書いてある)がアドリブだったとかいうような話を読める。ついでに御本人のカメラ目線で決めたカッコいい写真も…。本命はこれじゃないです。
本当は"CHICAGO SUPER POLICE13"に4p.も使っているから。ビデオテープを持ってんだろう!?という突っ込みがありそうだが、エンディング・クレジットがばっちり、くっきり写っている。それと劇中のナレーションが書いてある、おそらく全て。知りたい人がいるんだろうか、とも思うが近々紹介する。
ちなみにこの号では、ビデオソフトについて各社にアンケートしているが、ワーナーパイオニアも回答している。この時点で「バイファム」の4本以外リリースしていないので、その話ばかり。
1999.7.8
訂正
1998.7.7で「ドイツ人になるのは結構大変なことだったはず」と書いたのだが、その後状況が変わって、今のドイツは血統主義から出生地主義に変わっている。大ざっぱに言うとドイツ人の両親を持たない限り、生まれてくる子がドイツ国籍を持つことは難しかったのだが、今ではドイツで生まれた子はドイツ人ということになった(くどいけど大ざっぱ)。ということでケンツやバーツがドイツ人でも国籍上はもはや不思議ではない。(しかしこういうことになるとは予想だにしなかった。苦笑。)
それから、同じ1998.7.7の「私小説」云々の例を割と最近見つけた。文春文庫の電車の中吊り広告で、司馬遼太郎の小説に「大河小説」というキャッチコピーをつけていたが、あれは恐らく誤りだ。「大河ドラマ」からの逆輸入(?)だと思われる。「大河小説」の定義は国語辞典に譲るとして、と言いつつ僕自身あまりぴんときていない。多分、歴史上の実在の人物を主人公にしたら既に大河小説ではない。大河小説の具体例はロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』。主にフランスで盛んだった形式。この場合、「大河ドラマ」という命名自体からほとんど誤りだ。でも定着しているから受け容れられている。
1999.7.7
ちょっとだけ「バイファム」な書籍/雑誌(31)
『図(詳?)説TVアニメ全書』(原書房)。最初のほうのTVアニメの歴史について書かれた章に「バイファム」の記述あり。ただし、TVアニメ全タイトルの8割くらいが記載されているので当然という気も。人気を博した、とかその程度。1998年1月までなので「13」はない。
1999.7.6
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): バーツ
1999.7.5
「おにいさま」(カチュア?)
今、NHK-BS2で再放送している「おにいさまへ…」というアニメの主人公、奈々子を笠原弘子があてている。これがまんまカチュアの声だし、話は超名門女子高に入った奈々子が周りからいじめられるわ、しょっちゅうモノローグで「おにいさま」と呟くわで「バイファム」ファンが声だけ聞いていると、どうしても笑いがこみ上げてくる。
1999.7.3
「バイファム」第7話感想
1999.7.1
「ガンテツ、バイファムと叫ぶ」
深い意味はない。「∀ガンダム」でやられたと思ったのは、しょっぱなでお祭りをやったこと。「アーティファム」の旅立ちで書いてあるように、「村祭り(夏至あるいは収穫祭)」なんていうのをやれたらなあと思っていたから。「やれたらなあ」っつっても自分でやる以外全くあてはないのだけど。
ガンテツと言えばコンスコンだけど(1998.6.25参照)、コンスコンは「コンスコン強襲」などとサブタイトルに名前が入ったのは大きな差だ。「バイファム」で13人以外で名前がサブタイトルに出たのは、ケイト(第17話、第24話)、ミューラァ(第40話)くらいだ。強いて言えばあとは「博士」(第5話)か。
しかし「ガンダム」にしても「イセリナ恋のあと」、「ニュータイプ、シャリア・ブル」あたりは理解できるが、コンスコンはないだろうと思うぞ。
1999.6.30
無言実行少女くくとなかちゅあ!
自分で書いてあまりのくだらなさに脱力してしまった。
- 『魔法使いサリー』
- カブ: 千々松幸子
- 『ひみつのアッコちゃん』
- シッポナ、ギョロ: 千々松幸子
- 『魔法のマコちゃん』
- 林ハル子: 千々松幸子
- 『魔女っ子メグちゃん』
- 神崎アポ、キーラン: 千々松幸子
これはもう、カチュアを主人公に東映魔女っ子ものをやれと言っているようなものだ。地球に修行にやってきたククトニアンのお姫様…もとい、魔法の国からやってきたちょっと虚弱な女の子、あれ?
ライバルはペンチってことで。その割に何でも出来る証拠がないが。
で、それがなんでB級特撮魔女少女ドラマなタイトルになるのかって? ウケ狙い(きっぱり)。『バッテンロボ丸』、『ペットントン』なんかは観てたけど、多分『勝手にカミタマン』くらいまでで、以後は知らない。(いや『ぱいぱい』は少しだけ知ってる。)
1999.6.29
「13」というのは切りが悪いし、縁起の悪い数だったりする。が、13が基本のゲームがあるのに思いあたった。トランプだ。……でも、どうしようもないんだよね、これが。K=スコット、Q=クレア、J=ロディ、で後は…?
唯一言えるのは、クレアのクイーンはかなり似合いそうだってことだ。
1999.6.28
「僕たちが敵の勢力圏に入ってからうんたら」(スコット)
というようなセリフがOVA#3にあったように思う。僕の見解では、OVA#3はケイトの死後〜ローデンに会う前のどっかではないかと。
僕もこの話がどこに入るのか気になっている。と、言うのは、OVA#3の後日談となる話をかなり前から考えているからだ。ただし、後日談なのでその後のストーリーの外伝にもなる。特に、ローデンの艦隊と遭遇するのがかなり重要なできごとになる(=第22話以前という前提)。そういう凝った構成の話を書くのはしんどい。まず一度観返さないとならないし。
マルロとルチーナが主人公で、マキがおいしい役どころ、という仕立てなので書きたいのはやまやまなんだけど、話が暗いのもあって全く書かないでいる。
こっちに書いてしまってすいません >MAGIさん。
1999.6.26
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): スコット
1999.6.24
「いつまでも13人 それぞれの旅立ち」
後半の短くなったサブタイトルを前半風にしてみようとか考えたんだが、あまりウケがよろしいようにも思えない。「大宇宙のうた ミューラァの決意」とかってしてもねえ…。(さすがに「!」をつける気にはならない。)
逆に前半を後半風にしたほうが面白いかも。その場合第3話は「奇跡の価値は」…ひんしゅく。
1999.6.22
「ウグとは違うのだよ、ウグとは…!」(ジャーゴのパイロット)
「どうせあと1発か2発しか撃てないんだ、なら!!」
「ほう、銃を捨てたか、いい判断だ」
とはならないわけだが。RVの手持ちの武器が少ないのは、少なくても弾が切れたら素直に帰投すればいいのであって、そういうドライな戦い方をしている限りは、ある程度は問題にならないと言える。
問題はむしろロディやバーツであって、彼らの場合、常に勝たなければならない。視聴者が負けるのを肯んぜないこともあるし、それ以上に敵地に向かって航海していくジェイナスとともに物語の進行上の要請でもある。
これはもしかすると、地球へ向けて逃げていくという初期のプロットと関わっているのかもしれない。とりあえず逃げ延びるのが目標なら敵を撃退する必要はあっても、やっつけるのとは意味合いが違うだろうから。
1999.6.21
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): ジミー
1999.6.19
- 藤原カムイ
- ふくやまけいこ
- 金田伊功(「バース」の絵柄がまだ描けるなら)
- ますむらひろし(猫ではなく、人間)
僕の想像の中では11人はこういうような顔をしているということで(と言いつつかなりバラけているけど…)。設定だけ読んでいると、ひどく深刻な話に見えてしまいそうだけど、人の顔はそれほどコワモテではない。
あまり書くこともないが、親しみが持てて、線が少ない造形だとこういう人たちの絵柄かなあ、と。「バース」も観たことないし、必ずしも作風を知った上で選んでいるのではなく、単に絵の印象だけを基準にしている。
一応、男の子向けアニメなのだから、藤原カムイを筆頭に持ってきた。ディーヴのイメージには一番あっていると思う。メカものにもマッチするだろうし。ふくやまけいこは、かわいすぎてストーリーの重さに耐えきれないかも。ますむらひろしも同じく。金田伊功は現在目立った仕事をしていないから何とも言えない。
あと、5.に森野うさぎを入れようかと考えたのだが、この人の描く男の顔を見たことがないので不安になり、やめておいた。目が小さいのにかわいい女の子という独特の絵柄は好きなんだけど。
さて。
ご愛読感謝。こういうことはしないと以前に宣言したのだけど、日頃読んでいただいている皆さんへの感謝を表すのは忘れてはいけないだろう。特に記念企画とかはやらないです。やるような性格のページじゃないですよね。
にしても、最初の日からの読者っているんでしょうか?
1999.6.18
タイトルは篠原涼子の「青空が降る少年」のパクリ。意味不明なタイトルの歌だ。
この話は、本編中に織り込むつもりだったのだが、本編のプロットを考えた後に思いついたのと、本編のテーマからややそれるのでやめておくことにした。
赤面ものの恥ずかしい話。サッカリンの500倍くらい甘い。本編もちゃんと進めばこれくらいのクサい物語になるはず。
このネタは僕が思いつくくらいだから、既に使われている可能性がある。パクッたわけではないので悪しからずご承知ください。
ちなみにこの話を書いて「シャロンっていい子だよなあ」とますますシャロンファンになっている僕だったりする(アホ)。
1999.6.17
こ、このバイファム、アレンジが… >海洋堂ミュージアムストア | KMS。
これはどーいう意味でしょう >かげぼうずの過去ログ研究室。
「どうして君は、ククトニアンなんだ!」って「ロミオとジュリエット」みたいな気もする >「ロディ・・・。」
きっつうー >たけぽん お好みモード。
ははあ、「エレキバイオリン」なんてものがあるんだね >ハードうるうる。
「ド根性」に異議あり >新着レビューのページ。
爆笑 >http://www03.u-page.so-net.ne.jp/yb3/emi-seki/images/orihimec4.jpg
。
1999.6.16
1999.6.13のペンチの「いびき」はアゾレック基地にいたときにみんな知っているはずだと書いた。だったら逆に、だからこそペンチとシャロンが同室になったとも考えられる。つまり、シャロンだけは平気で寝ていられたと。
かといって、それでもベッドを交換しようという話が出てこないのは変わらないが、それならこういうのはどうだろう。みんな周知の事実ではなく、何らかの理由でマキ一人が知っていて、部屋割りを決めたのは彼女だから、彼女が気をきかせて二人を一緒にした。で、ベッドを交換するときは、自分で率先してペンチと入れ換わりになった。となると、マキって相当な女の子になるなあ。
でもシャロン・カチュアのほうが明らかに衝突は少なそうだ。それをシャロン・ペンチにしたののは何か裏があったように感じられる。やっぱマキ本人もクレアもシャロンと同じ部屋にはあまりなりたくないだろうから、それも考慮するとどうしてもシャロン・ペンチにならざるをえなかったのかも(もちろん、そのほうが話が確実に面白くなるのだが)。
あくまで、ペンチがいびきをかくとしての話。あくまで邪推。
1999.6.15
「バイファム」の絵本は持っているのだが、塗り絵と着せかえノートはあったんだろうか? 特に後者がほしい。僕の知っている限り、薄着だからという下心なんだけどね(何で知ってるかね >自分)。でもぞんざいな絵だったりする可能性もありあり。塗り絵なんかは線画が描いてあればいいというか。
1999.6.14
「アニメ批評」創刊号の読者ページを読んでいてすごいこと?をひらめいてしまった。サマージャンボ宝くじに当たったらガンダムを作るとかいうお便りがあって、それは編集部の回答通りその予算じゃ本物を作るのは無理だろう。僕なら「バイファム」のOVAをサンライズに作らせる。わはは。サマージャンボでいくらもらえるのか、OVA一本にどれくらい制作費がかかるのか知らないけど、30分ものなら可能じゃないかなー。誰か「バイファム」じゃなくてもいいから、そういう使い方をしてくれないかな。
1999.6.13
「さーて、来週の銀河漂流バイファムは」(クレア): マキ