御朱印を求めて日本の旅〜御朱印の旅〜 > 御朱印帳一覧 > 二見輿玉神社の御朱印帳 > 瀧原宮の御朱印
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瀧原宮の御朱印 平成20年12月12日拝受
今回は南紀勝浦温泉(ホテル中の島)に宿泊し「熊野速玉大社」「神倉神社」「補陀洛山寺」「熊野那智大社」「那智山青岸渡寺」「飛瀧神社」
「妙法山阿弥陀寺」「熊野本宮大社」「皇大神宮別宮瀧原宮」に参拝し御朱印を頂きました。
12月11日朝5時自宅を出発、今日はETCカードのデビューです。
東名阪高速道路の桑名東IC(6時)から伊勢自動車道・紀勢自動車道の大宮大台IC(7時)までETCカードは便利で安い!
早朝割引で通行料半額。あとは国道42号線の一本道をひたすら走る。
9時30分「熊野速玉大社」に参拝し”なぎ人形”を購入しました。
「熊野速玉大社」は本宮・那智の両大社ともに熊野三山のひとつに数えられ、熊野権現の名で宗教王国を構成した神社です。
熊野川のほとり、深い森を背にして朱塗り、熊野造りの社殿が並んでいます。
境内の”なぎ”の巨木は、平重盛手植えと伝えられ、幹囲6m、高さ20m、樹齢1000年を数えるという霊木で、毎年この木の枝から採取する実で”なぎ人形”が作られる。
10時「神倉神社」に長い石段を上って参拝しました。
538段、源頼朝寄進というこの石段、傾斜が急で足元も悪く苦労しました。
もと熊野速玉大社の祀られた地で、巨大な岩山の中腹に”ゴトビキ(ヒキガエルの意)岩”と呼ばれる大きな岩を御神体としています。
ここは古くは神武東征神話の中に”熊野の神邑”としてあらわれる(日本書紀)、また高倉下命が神武天皇に”横刀”を奉った(古事記)、
という神話の舞台としても知られています。
11時「補陀洛山寺」に参拝しました。ここは勝浦海岸に近いひっそりとした寺で、裸形上人が開いたと伝える古刹中の古刹です。
住僧たちが生きながら那智の浜から観音浄土へと旅だった、補陀洛渡海の寺として知られる。
11時30分「熊野那智大社」に参拝し”八咫烏のカフス”を購入しました。
由緒書によると、その由来は神武天皇の時代にさかのぼり”神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸されたとき、那智の山に光り輝くのを見て、
那智の滝の存在を知り、この大滝を神として祀った。
神武天皇は、その守護を受け、八咫烏の先導によって、無事に大和国にお入りになった”と伝えられています。
古くから神と仏が共に宿ると考えられてきた霊地、熊野那智。
滝を眼前に望む「那智山青岸渡寺」は天台宗に属し、西国三十三所観音霊場の第一番札所として名高い。
熊野那智大社境内のすぐ隣、木塀で隔てられた場所にあり、以前は神社と一体だったことがわかる。
那智の滝は、栃木県の華厳の滝、茨城県の袋田の滝と共に、日本三名瀑の一つに数えられる迫力ある大滝です。
高低差133m、岸壁を一気に流れ落ちるその壮大な姿は、熊野那智大社の別宮「飛瀧神社」の御神体として祀られている。
那智山スカイラインを通って更に山頂に向かう午後2時「妙法山阿弥陀寺」に参拝し、梵鐘を一つ撞いた。
弘法大師(空海)が熊野行脚の際、当山に登り秘法を修め、山腹に一棟の家を建てて阿弥陀如来を安置し、本尊と定めたため阿弥陀寺と名付けられた。
境内の梵鐘は”妙法山の一つ鐘”と呼ばれ、死者の霊魂がこの鐘を一つ撞いてからあの世へ旅立つとの伝承がある。
「一つ鐘の御詠歌」”空海の教えの道は一つ鐘、弥陀の浄土へ共に南無阿弥”
今日の参拝はここまで。
熊野三山参拝は、1回目平成10年11月21日〜22日かつうら御苑、2回目平成11年10月8日〜9日ホテル浦島、3回目平成14年11月16日〜17日ホテル中の島、
4回目平成16年3月19日〜20日ホテル中の島、5回目今回ホテル中の島に宿泊。
3時ホテル中の島にチェックイン。
勝浦湾に浮かぶ小さな島全体がホテルで、勝浦港から船に乗るリゾート感覚あふれる宿です。
波が目の前に打ち寄せる露天風呂が好きです。
11日の日の入は午後4時50分、12日の日の出は午前6時51分もちろん露天風呂で・・・極楽・・・極楽・・・
6時部屋で夕食、ここのモズク雑炊が美味しい、海の幸も楽しめる。
しかし、ノートパソコンが圏外で使えませんでした。残念!
12日朝8時30分ホテル中の島をチェックアウト。
国道42号線(バイパス)で新宮まで戻り、新宮から熊野川に沿って上流まで国道168号線の一本道をひたすら走る。
10時「熊野本宮大社」に参拝し、”幸せ鈴御守”(携帯電話用)を購入しました。
本宮は、熊野三山の首位の座として君臨し、「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」の三山をめぐって、はじめて”熊野詣”の成就となります。
熊野三山は、奈良朝末期より、仏教の影響を色濃く受け、熊野三山を巡拝してこそ”心身の甦り”が図られるという、”熊野権現信仰”が浸透していました。
すなわち、衆生の苦しみ、病を癒されるという”過去世の業の救済”・”現世での御加護”・”来世(浄土)に導いて下さる”と説くものです。
明治22年の熊野川の洪水までは、河畔の”大斎原”に社殿があった。ここに日本一大きい鳥居があります。
実際に”大斎原”から熊野川まで歩いたが数十メートルしかなく近い。
この川原で1時間近く休憩し11時30分出発。
帰りは、国道168号線から国道42号線で一本道をひたすら走る。
途中3時「皇大神宮別宮瀧原宮」に参拝しました。
ここは伊勢神宮の別宮で幹囲4〜5mもある巨木が何本もあり癒される神社です。
毎回立ち寄るが今日も木々のパワーを頂いた。
紀勢自動車道の大宮大台ICから伊勢自動車道・東名阪高速道路の桑名東ICへ国道258号線・国道21号線・国道417号線と走り
午後5時30分無事帰宅しました。
今回の旅行は、4年ぶりでしたが年々道路も良く成っており、また数年後に行くのが楽しみです。
この2日間は天気も良く人生の節目の時期の旅で、思い出に残る旅となった。
またいつか6回目の”熊野三山”に行きます。
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御朱印は、神社・寺院に参拝した「あかし」として御朱印帳に神社・寺院にて頂けます。
御朱印の始まりは江戸時代ごろで、寺院の参拝したときに、信者が写経した「経文」を奉納し、参拝の「あかし」としてその寺院や御本尊の名称を墨書し、「宝印」を授与されるものでした。
これを「納経・朱印」と言います。今でも御朱印を「納経印」、御朱印帳を「納経印帳」、御朱印を頂くところを「納経所」と呼ばれることもあります。
御朱印の魅力は、ひとつひとつ手書きされますので、その神社・寺院によって書かれる内容が違います。
同じ神社・寺院で書く内容が同じでも、書く人の筆さばきの違いにより、その味わいはさまざまです。
御朱印の収集を始められる方は、御朱印帳は神社用と寺院用に2冊に分けて収集されることをお勧めします。
また身近に、あなたの心のエネルギーを充足してくれる神社または寺院(あなたのパワースポット)をみつけ、朔日参りまたは月参りを御朱印に記してはいかがですか。
心のよりどころとしての神社・寺院には、ご自身の節目・節目のご報告をされてはいかがですか。
御朱印は、その「あかし」でもあると思っています。
御朱印帳は、表面を使ったら裏面を使えるように蛇腹折りになっているものが一般的です。
他にも、袋綴じの御朱印帳、巡礼用の掛け軸、巡礼用の色紙、巡礼用の扇子などもあります。
御朱印帳には、その神社・寺院の社名や社紋、神社・寺院の由来や縁のある動物を表紙にオリジナルの刺繍を施したものも多く。
そんな御朱印帳の収集も楽しんでみてはいかがでしょうか。
全国の都道府県ごとに神社・寺院の御朱印の紹介と観光の紹介をしています。
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